ソ連軍は北海道侵攻への野望をあからさまにし、南樺太や千島列島へと侵攻したが、その際、民間人の乗った引揚船に対する襲撃事件も引き起こしている。 南樺太から北海道へ向かう三隻の引揚船がソ連軍の潜水艦に襲撃されたこの事件は、「三船殉難事件」と呼ばれる。 「三船」とは小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸という3隻を表している。この事件は後世に語り継ぐべき極めて重大な史実であるにもかかわらず、現在の知名度は残念ながら低い。 終戦後の南樺太を襲った「不条理な暴力」 終戦後の南樺太では、女性や子供を含む多くの民間人が不条理な暴力の犠牲となった。 南樺太ではすでに終戦前の8月13日には、南部の大泊港(おおどまりこう)から北海道への疎開船を出航させていた。しかし、戦争終結後もソ連軍による攻撃が続いたため、日本側は早急な引揚船の運航に迫られた。そんななか、樺太庁長官である大津敏男は、高齢者や女性、子供を優先して引揚