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ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/reizei (2)

  • オリンパス事件を受けて正義を考える

    オリンパス事件を受けて、日企業の統治が問われているという話はよく聞きます。ですが、問題なのは企業経営者だけではないように思います。日社会の全体における「正義の感覚」が脆弱化している、そうした大きな文脈での理解も必要のように思います。 考えてみれば「正義」という言葉自体がずいぶんと「遠い」感覚があるのです。最近ですと、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授が「正義について考える」という授業をしているということが評判になり、が売れたり、実際にサンデル教授が来日して「正義の話」をしたりするということがありました。 あのサンデル現象というのも、一時的な流行であると同時に「正義」という言葉が「海の向こうにある話」というイメージを与え、逆に日々の生活の中には「正義との距離感」がある、そんな感覚を増幅したように思います。実際はサンデル教授の思想は、同じ正義でも「コミュニティにおける多様性の共存」が

  • 原子力は「神の領域」なのか、「人間の領域」なのか?

    福島第一原子力発電所の事態は、アメリカでは刻一刻と報道される中、現地の14日の月曜日から翌15日にかけては危機感が高まっています。日の失態を責める論調は皆無ですが、逆に「何事も周到に準備する日」で事故が起きたのだから「アメリカの原発も危険では?」という印象論が拡大しています。 こうした原発への恐怖の奥には人間の自然な生存能、危険回避の能があるわけですが、恐怖をコントロールできないという背景には二つの問題があるように思います。それは原子核反応に関する理解と、その表現における「ことば」という問題です。 例えば我々は「火」を使います。火を使って暖を取り、調理をしたり、その他のエネルギーにも使います。火は照明にも使われ、五輪の聖火など精神のシンボルにもなります。ですが、人間はサルとは違い、「火」を恐れることはしません。「火」とは「神の領域」ではなく「人間の領域」にあるものと信じて疑わないか

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