リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです。こうした中で、出版社、編集者、あるいは芸術評論家はより重要な役割を担うことになります。ある小説や映画などが単なる感情操作を意図した作品なのかどうかを判別できる人が本当に必要だからです。 データは金、石油になった ――感情に重きが置かれるようになった責任の一端はSNSにあるかもしれません。イシグロさんご自身は使われますか。 私自身は利用しておらず、オブザーバーという立ち位置ですが、匿名性についてはルールが必要なのでは、と思っています。ほとんどの公共生活がそうであるように、例えば私が新聞に寄稿する場合は実名で書いています。何かについてコメントをする場合は、それに対して責任を持つ、というのは大切なことであり、このことについて改
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