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ブックマーク / blog.livedoor.jp/otaruohtaru (34)

  • タルタルソースも空を飛ぶ:危険だとなぜわからない - livedoor Blog(ブログ)

    mixiをやってて思うことだが、みんな危機管理能力がなさすぎだろうと思う。何かといえば、個人情報の問題だ。俺も人のことをいえるほどではないが、俺のmixiをみてわかるのはせいぜい大学ぐらいで個人を特定されるまでの情報を垂れ流そうとは思わない。もっともそのせいで古い友人は俺がmixiをやっていることを知らない人が多い。 これはひどいと思うのが、出身幼稚園や小学校などを晒したり、住所をほとんど公開してたり…お前らバカだろといいたくなる。いや、別にたかだか一個人の情報が出回ったところで関係ないとか、友人までにしてるとか言われるんだろうけどね。 わかってる人も多いが、mixiはいまや安全でもなんでもない。 ■たしかにそれがmixiだが たしかにmixiというのは招待制をとっており、普通にwebページをもってそこに個人情報を晒すよりははるかにましだった。名前検索により、あまり会うことがなかった旧友と

    hatayasan
    hatayasan 2014/06/29
    “ 自分が晒さなければ大丈夫と考えてる人もあまい。個人的な友人の中にはそういうところが無知な人が多いかもしれない。そうなると、どういう形にしろもれる。”2006年の記事。
  • タルタルソースも空を飛ぶ:思考停止 - livedoor Blog(ブログ)

    ブログをやめるときってあるのだろうか?たまにそう考える。俺がブログをやめるときは誰も見なくなったときか、時間に余裕がなくなったときだと考えている。 でも、最近戯言の更新回数が減っている気がする。事実毎月3〜5ほど記事数が減ってるのだ。別のものを書いてるからっていうのもあるが、やっぱり書こうと思ったら即時に書くようにしているので、やっぱり書く量は減ってる。考えなくなったのか? 考えるのをやめたときブログの更新はとまってしまうのか? ■考えるのをやめたとき 自分で考えることをやめてしまったブロガーはどうなるだろう。もちろん考えることがなくなったいじょう、記事もかけない。いや書けるかもしれないが、それに納得できるか?俺には無理だ。最近何度記事を書くのをやめたことか。何を考えても途中でピタっととまるのだ。考えれなくなる。 考えるのをやめるとは何か?それは今ある自分に満足してしまったときだと思う。何

    hatayasan
    hatayasan 2007/08/20
    「考えるのをやめるとは何か?それは今ある自分に満足してしまったときだと思う」
  • タルタルソースも空を飛ぶ:イイワケすんな。

    ブログで揉め事が合って文章うんぬんの話になったとき結構言われるのが「別に金もらってるわけじゃないから」「プロじゃねぇんだよ」みたいな言い訳っぽいもの。たしかに別に金もらってるわけじゃないし、好きでやってるんだから、何かいても好きかってすりゃいいとは思う。 でも、それを念頭に置いて記事を書くことはどうかと思う。いや、揉め事の話の途中でこれを出すのもみっともない話ではある。金もらってないから文章力がなくてもいいっていってるやつはどうせもらえないんだし、一生そのままだ。 プロでないということの縛りのなさを勘違いすることなかれ。 ■結局それって逃げ道にしか過ぎない 別に金もらってないから文章力のないことをとやかくいわれたくないという気持ちはたしかにわかります。別にそこまでの責任をもって文章を書く必要はブロガーにはありませんし、当然好きでやってる人ばかりです。 でも、それを念頭に置いて記事を書いてい

    hatayasan
    hatayasan 2006/08/10
    「妥協したくはない。言われるなら、黙らせればいい。何も言われないくらい、いや逆に何かをいわれるくらいの力をつけたい。」
  • タルタルソースも空を飛ぶ:書き方考察 - livedoor Blog(ブログ)

    lastlineさんの企画に軽く乗っかってみる。ちょうど記事見て書こうと思ったときにテスト期間だったんだよね…。まあ、なんとか不可は1個ですみそうですが。 企画にのっかったのはやっぱこういうことを書き記すことで自分の書き方が見えるだろうし、多くの人の書き方を見るのはやっぱいろいろ後につながるものがあると思ったからです。 もっとも気分屋なので、書き方が必ずしも固定されてはいませんけど。一番多いパターンを書き記しておきます。 [1]記事を書くモチベーション 戯言にしろ創作文にしろ、完全にその場の思いつき。というか気が向くまま、書きたいと思ったらとりあえずメモ。で、その後放置することが多数。 [2]記事のタイトル 基的に一番最後に考える。 一応メモ書きにはタイトルはついてるけど、たいていメモしたときにつけたタイトルとは違うことを書くことが多いので、アップする前に適当に。 [3]記事の書き始め

    hatayasan
    hatayasan 2006/08/08
    「あと極力自分の意見という形にしたいため、関連項目を調べたりはしません。」なるほど、そういうのもありですね
  • タルタルソースも空を飛ぶ:ニュースサイトの代替なんてない - livedoor Blog(ブログ)

    個人ニュースサイトを毎日5つぐらい見て回っている俺。そりゃ時間がかかるのだが、とにかくまわらないと気がすまない。もっとも記事を全部が全部見てるわけではないので、まあ1時間半ぐらいなのだが、さらにそれにRSSに登録しているサイトもみるわけで…総計3時間ぐらいは巡回してることになる。 RSSに登録してるだけも十分じゃないかと思うこともある。ニュースサイトも実際同じようなサイトばかりのときもあるし、同じ記事が孫サイトにめぐりめぐってる場合もある。今でははてブのホットでも見ておけばニュースサイトなんていらないんじゃないかといわれさえもする。それでも、ニュースサイトとは切っても切れない関係にある。 ニュースサイトとの関係はどうやっても切れないのだ。それこそネットとの関係を絶たなければ絶てないほどに。そんなニュースサイトに代替はあるのか? ■RSSとかSBMは代わりとなるか? 『RSS』 俺にとってR

    hatayasan
    hatayasan 2006/07/24
    「自分の趣向に合った、多くのニュースサイトを見れば別にRSSはいらない気もする」
  • タルタルソースも空を飛ぶ:無駄な文章なんてない - livedoor Blog(ブログ)

    俺はどっちかというと長文嫌いです。いや正確にはだらだらと長い長文が読みたくないんです。長い文章でもその中に起伏があったり、工夫があると読むのが苦でなくなります。 面白く、引き込める文を書けるならともかく、そんなことは簡単にやってのけるほどのものではありません。読ませる気がないんだったらともかく、読ませたいならなんとかしてほしい。これは固定読者の多いブロガーにとくに見られるようなきがしてならないんです。まあ、そういう人はきっと読みたくないなら読むな、っていう人なんでしょうけど。 ■中身か長さか、それとも簡潔にか まず、読まれる読まれないで、よくいわれることは中身、文の長さ、そしてまとまっているかである。でも、考えてみれば、おかしくはないだろうか。長さはともかく、中身なんて読まなきゃわからないでしょう。まとまっているかもある種の工夫でもしない限り、読まないとわからない。つまり多くの人たちが読む

    hatayasan
    hatayasan 2006/07/18
    「これ以上短くできないと思ったとき、それがあなたの文章力の限界なのだ」
  • タルタルソースも空を飛ぶ:引用はどうなのだろう? - livedoor Blog(ブログ)

    1.見栄えが良くない 2.文中リンクは、リンクを先に読んで欲しいの? 3.リンク先を読まなくても理解できる記事を の3つです。1はCSSいじってしまえばなんとでもなるんですよね。たしかにリンクの青時は色がついている分通常よりも目立ってる。それは目に付くし、目ざといものです。そして、3については同意です。突然リンク先が消えてしまえばそれで終りですから。内容がわからなくなってしまったら記事として成り立ちません。 ここで考えたい問題は2つめのある事に関してだ。 「○○でも書きましたが」とか、「○○で言われているとおり」とか、「詳細は○○で」といった感じでリンクされている場合、リンク先は先に読んで欲しいのでしょうか?書いている側って、多分補足程度だと思うのです。だったら、注意書きつけて記事の最後にリンクを挙げればいいと思うのです。先に読んで欲しい場合は、引用すればいいじゃないですか。 前半部分はた

    hatayasan
    hatayasan 2006/07/11
    「長くなれば見にくくなる、短くなるとわからなくなる」
  • タルタルソースも空を飛ぶ:web2.0は進化しないと思う

    まなめさんのところでこの前の記事がweb2.0のことだと思ったといわれたので、ついでだし俺の考えるweb2.0について話してみたいと思う。といってもたかだが大学一回が考えたことなんだが…。 じつのところ大学のゼミの発表で一度web2.0についてはいろいろ調べたことがある。学科も情報系だし、やっぱ興味あったし。だか調べてみてわかったことはすごさとその不完全さ。さらには考え方がものすごく極論すぎだし、たびたびその定義が変わってくる。まあ、これじゃあ発表に使えないと思い、お蔵入りに。結局P2Pについての発表に切り替えました。 調べていて、ふと思ったことだが、web2.0はこれ以上進化しないよなということ。ネットサービスとしてweb3.0にはならないということだ。というのもweb2.0という言葉自体が曖昧すぎるため、いろいろなものをカバーしてしまい、2.0の中に取り込んでしまっているようにみえる。

    hatayasan
    hatayasan 2006/07/06
    「web2.0という不完全な定義ゆえの曖昧さと、今現在のPCという限界があるいじょう、これ以上進化することはない」次はデバイスからWebが解放されると僕は見ています
  • タルタルソースも空を飛ぶ:コウシンセヨ - livedoor Blog(ブログ)

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    hatayasan 2006/06/30
    「RSSはその便利さゆえに読者には見る手間を省くという恩恵を、サイト運営者には更新をせまるツールとなってしまってる」RSSリーダが普及するとその傾向は加速するだろう
  • タルタルソースも空を飛ぶ:6/28 スーツは着たくない - livedoor Blog(ブログ)

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    hatayasan 2006/06/29
    その多いユーザにライブドアがSBMの楽しさを気づかせることができれば、はてなも危ういよ
  • タルタルソースも空を飛ぶ:書けなくするのは自分 - livedoor Blog(ブログ)

    以前どこかでニュースサイトに載るにはみたいな記事を読んだと思う。俺はアクセス数気にするのはどうかと思う人間だが、アクセス数を増やすためにニュースサイトやはてブを大いに活用することを悪くは思わない。それは個人の勝手だし、立ち上げてすぐのサイトなら人が来てほしいと思うのは当然だろうし。 ただ、そのために記事の内容を限定しすぎてかけなくなってしまう人がいなくはないはずだ。同じような話題を書くしかなくなるだろうし。気にするがあまり、書いたものに自信がもてなくなってしまう。末転倒だろう。 消費者金融じゃないがご利用と計画は大切に。 ■はてブとRSS 記事を書くときに最低でもはてブにだれかがブックマークしてくれることを目安にする人がいなくはないと思う。いや、別にそれが悪いとはいわないが、はてブにブックマークされることって結構偏ってる気がしてならない。 別にはてブ利用者が偏っているといいたいわけではな

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/25
    「見に行くだけの時間がおしいと考えられてしまう間は、人をお気に入りではなく、記事をお気に入りになっているのだ。」
  • タルタルソースも空を飛ぶ:サイドバーってどうよ? - livedoor Blog(ブログ)

    ブログのデザインについてとやかく考えることが多いが、そもそもこだわる必要があるのだろうかと最近思ってきた。いやたしかに自分が他人のブログ見てあったほうがいいなと思うが、実際問題なくてもいいんじゃないかと思うことのほうが多い。 文字の大きさや見易さ、っていうのはもっとも優先的に考える必要のあることなので、とやかくいったりはしないが、サイドバーは必要なのかってたまに思う。 サイドバーについてとやかく言う前に考えてみてよ。 ■サイドバーに必要なものって何? よく表示しないやつは何を考えてるのかと言われるのが最新コメントと最新TB。たまにいらなくない?と思う。だってこれってコメントやTBしたやつは見るかもしんないけど、別になくてもよくね?ほんとの意味でコメント好きな人はそんなとこ見なくて、コメントしたところ確認するだろうし、TBだってとばしたから何?って思う。 カテゴリーや月別アーカイブだって必要

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/21
    読者を意識するか、徹底して自分の使い勝手のよさにこだわるか、どちらを向くかによって答えは変わってくる
  • タルタルソースも空を飛ぶ:文章の難易 - livedoor Blog(ブログ)

    受験勉強してから、論説文とかを読むとそれほど難しいものと思わないんですよね。国語の試験のためにそういう文章を読まされるからでしょう。逆に安易な文章に嫌気がさしてきます。一言だけで書かれるとわかりやすいかもしれませんけど、内容がわかんねーよ。 それでも支持されるのはそういったもの達。わかりやすさと読みやすさは別物です。 でも俺はこれを聞いた時、この首相に助言してる人は頭いいなと思いました。この文章に足りないことはなんでしょうか?答えは簡単、郵政民営化法の内容です。おそらく、賛成した人の中には、内容をよく知らないが民営化には賛成だという人が大勢いるはずです。これは多数の人が知ろうとしないという点をついた立派な作戦でしょう。 簡単な文章は人に意見が伝わりやすい反面、その人が当にそれの内容や深層部分が伝えることが困難なのです。だからこそ、それを利用してこのようなことが起こるのでしょう。無知の恐ろ

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/12
    「感情を移入して読む、あるいは場面を思い描きながら読む小説と違い、論説文はいわれてることをたんたんと聞いているだけの受身的な文章になる」
  • タルタルソースも空を飛ぶ:記事の質を他人が決めることは無駄な行為 - livedoor Blog(ブログ)

    [Blog]私がアクセス数よりもはてブのブックマーク数を気にする理由(Tomo's HotLineより)やその言及記事を読んで思ったことですが、質を外部のことから見極めようとするのは限りなく無駄な行為だと思う。 たとえば、アクセス数=サイトの面白さではないことは既知であろう。アクセス数が少ないブログだって面白いことを書く人はいる。ただ、それに出会えないだけだ。俺だって自分で言うのもなんだが、それなりに自信を持って記事をだしている。むしろ、自身も持たずに記事を出すやつの気が知れないのだが。このへんは別記事でまた話すとする。 記事の質とは何か?わかっている人には退屈な話だが、付き合ってもらおう。 ■質は数値にもならないが、文章にもならない 「質」を数値化する指標なんてどこにも存在しないと思う(日々是自己主張より)でAkkyさんが言うように質は数値化できるものではない。たとえはてブ数が多くとも、

    hatayasan
    hatayasan 2006/06/06
    「いくら書き手がいい文章を書いたと思ったとしても評価するのは周りであり、その記事の質やイメージを形成するのは読み手一人一人である」自分自身の満足が読み手の満足を満たせれば良いのですが
  • タルタルソースも空を飛ぶ:言及したい記事が見つからない - livedoor Blog(ブログ)

    最近思うことだが、どうも人の記事を見て思うことを書こうという気にならない。感じることはあるんだけど、書くほどのことでもなかったり、どうでもいいことだったりする。感じさせるものと書きたくなるものはどうも違うようだ。何がどう違うかはわからないのだが。 実際、深く考えさせる記事や面白いなと思う記事にはいやというほど目にしてはいる。それでもその記事の内容を題材として考えることが困難なのである。まとまらないときもあるのだが、多くは書きたいという意欲がでてこないのだ。 読みたい文章と言及したい文章の違いが若干俺には感じられるようだ。 ■読みたい文章を言及したい文章 興味あることを書いた記事ならたしかに読みたいし、俺だってそのことについて書きたいと思う。そういうときは素直に書く。ただこの場合は初めから自分の中で書きたいという意思があっての言及なので、言及したいとは若干違っているように感じられる。 じゃあ

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    hatayasan 2006/06/04
    「ネタの幅が狭まっていく」「記事の完成度が高ければ高いほど、言及しにくいと感じてしまう」
  • タルタルソースも空を飛ぶ:どうして過去記事がよまれないか - livedoor Blog(ブログ)

    前回の続きになるのだが、過去記事が読まれないのはそれなりの理由があるのだろうと思う。それは書き手としてではわからないが、読み手としてならなんとなくわかる。読み手はわざわざ過去記事をほりださない。当たり前だが、人間誰しも面倒くさがりだ。とてつもなく興味をもつようなものでなければ、過去記事なんてみようとも思わない。だから、見せる努力が必要なのだ。 ■過去記事を新しくしよう 新しいものと古いもの、どちらも同じような内容だったとして、どちらをとるだろうか?古いほうが年季があっていいというようなものならともかく、ブログの場合は意味のない新着記事のほうが意味のある過去記事よりも読まれます。誰も過去記事になにがあるかもわからないのに良記事をもとめてあさらないでしょう。 だったら過去記事を新しくすればいい。新しくといっても書き直す必要はない。ようは新着記事に過去記事と関連すること書いてとべるようにするか、

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    hatayasan 2006/05/31
    「過去記事を過去記事として考えるのではなく新しい記事のように見せかけてしまえ」
  • タルタルソースも空を飛ぶ:過去記事ついて本気出して(ry - livedoor Blog(ブログ)

    過去記事について気だして考えてみたら やっぱり読まれてないんだと気がついた 僕は過去記事に対して失礼だったみたい もういちど丁寧に感じて拾って集めてみよう どこぞの歌の替え歌です。いや、なんとなく出だしがそれっぽくなったんでやってしまっただけです。後悔はしてません。 過去記事がどうあるべきかはブロガーにとっての大きな問題の中のひとつであると思っております。俺は「その埋もれた過去記事をどうする?」で過去記事は見られないから見てほしければアクションを起こせと言いました。その試みとしてお勧め記事を表示したわけですが、個人的に失敗だったと思います。なぜか?LSTYさんが言うようにサイドバーにお勧め記事なんて置いてもだれも読まないから。アクションの仕方を間違えているわけです。 読み手に読ませるんじゃなくて、読み手が読みたくなる、あるいは読みやすい方法をとらなければならないのだ。 ■LSTYさんのと

    hatayasan
    hatayasan 2006/05/30
    「タイトルだけの過去記事紹介よりも自身による批評やまとめがあるとそのほうが新たな記事としても考えられて面白い」うん、自分の成長の軌跡として振り返っても面白い
  • タルタルソースも空を飛ぶ:揉め事ってなんで起こるの? - livedoor Blog(ブログ)

    巡回してるいくつかのサイトで揉め事というか、討論というか、そのようなものをちらほら見かけます。俺はそういうのにはいつも首をつっこまず静観してます。冷たい人間とかじゃなくて単に首をつっこみたくないだけです。 つっこんでなにかが起こるのが怖いってのもあるんですけど、揉め事って視てる分にはおもしろいんですよね。格闘技観戦と同じだな。やるほうがおもしろいっていう人もいますが、視てるほうが楽しい人も多いはず。そういうのを視て楽しんでいる、やっぱ人間は野蛮な生き物なんですよ。 まあそんなことはおいといて、うちはそう大きな揉め事がまだ起きてはいないんですが、やっぱそのうち一回ぐらい荒れるかもしれません。回避続けることは不可能だと思うから。俺からはつっかからなくても相手が一方的にやることはありますから。揉め事は必ず起こるんです。 ■起こるのは必然 揉め事を起こす要因は二種類いると思う。揉め事を起こす人と揉

    hatayasan
    hatayasan 2006/05/26
    「揉め事が起こることこそ書き手がプログラムでない確たる証拠なのだと思います。」
  • タルタルソースも空を飛ぶ:正しいことなんて何もない - livedoor Blog(ブログ)

    昨日の話だが、サークルの帰りに駅でがたがたわめいてるおっさんがいた。たぶん酔っ払いだろうが、「俺は間違ってない」だとか「お前らは間違ってるだとか」わめいてた。昔酔っ払いにいちゃもんつけられて以来、酔っ払いには関わらないほうがいいと思った俺はその場を去った。 これをみて思うことだが「お前らは間違っている」とかいってるやつは一度病院に行ったほうがいいと思う。たしかに世の中で絶対に正しいことなんて何もない。かといって自分自身の意見は他人にとって正しいとは限らない。その人に正しいことであっても他人にとっては正しくはない。たとえ99人が正しいといっても1人ぐらいは間違ってると言う。ある人には英雄とされる人でも、ある人にとってはただの殺人鬼なのだ。 一般的に正しいとされている意見は、所詮一般論だ。 ■自分の中で正しいこと 誰だって信念はある。こういうことが正しいとか、こういうことは間違ってるだとか。A

    hatayasan
    hatayasan 2006/05/22
    「人の意見を参考にすることと、自分の意見と比べることは違う。」
  • タルタルソースも空を飛ぶ:パン屋の話 - livedoor Blog(ブログ)

    ある日パン屋がありました。そのパン屋味は悪くはないんだけれども、宣伝をしなかったために全然人が来ない。来てもそのパン屋が開設したことを知った友達ばかり。しかし恥ずかしがりやなパン屋はひっそりと営んでいました。 しかし、それではパンを焼き続ける理由がなく、これではいけないと思ったパン屋は近くのパン屋に偵察に行きました。そこで何が自分に足りないか、自分の何がいけないかを比較し、参考にし、そして改善しました。さらにパン屋だけでなくいろいろな人気店にも行きました。 前よりも人が来るようになりました。他のパン屋からここもおいしいよと勧められるようにもなりました。 そんなある日、パン屋にいつもより多くの客が押し寄せました。なんとある雑誌に小さいながらも載ったのです。そのおかげで数日間だけパン屋は繁盛しました。しかしながら、所詮は広告、一見客ばかりで数人の常連客はできたものの台風のあとの静けさのようにま

    hatayasan
    hatayasan 2006/05/22
    「客こそ少ないながらもパン屋はいつか人が来るための最大の努力を」yas-toroさんのハレとケの話を思い出した