前回、中村正直訳『自由之理』(1872年)について触れた。原著者のジョン・スチュアート・ミルは19世紀のイギリスで活躍した著者であ り、中村とほぼ同時代の人物だ。経済学に興味のある人にとっては古典派経済学の完成者だし、哲学の興味のある人にとっては功利主義の学 者だし、政治に関心のある人にとっては『自由之理』の原著、On Libertyの著者だ。つまり、この時代に相応しく、森羅万象を考えようとした思想家であった。ミルの著作はいまでも古典として読みつがれており、この On Libertyも、塩尻公明・木村健康訳『自由論』(岩波文庫)を簡単に入手できる。 塩尻・木村訳は1971年に出版されているので、中村正直訳より99年後に刊行されている。中村訳と塩尻・木村訳を比較すると、明治の初めから100年 で翻訳がどう変わったかを知るうえで絶好の資料になる可能性がある。 塩尻・木村訳が出版された経緯が
19世紀半ば以降の日本の近代化は、ある意味で当時の常識を覆す動きであり、世界史に残る偉業だとすらいえるだろう。そのなかで翻訳が少な からぬ役割を担ったのはたぶん確かなので、翻訳について考えるのなら、明治初期の翻訳に注目するのが当然だ。 明治の翻訳というと、たとえば二葉亭四迷が先駆者として有名だ。有名な「あひヾき」が発表されたのは明治21年(1888年)だ。二葉亭は1864年に 江戸で生まれたというから、教育を受けたのは明治に入ってからだ。この事実をみると、明治も半ばのこのころになれば、外国語の教育も進んで、ようやく翻訳 もできるようになったのだろうと思える。 だが、このように考えるのは、小説の翻訳を中心に考えるからなのかも知れない。翻訳の歴史を扱った本はいくつかあるが、たいていは小説や詩の翻訳をテー マにしている。たぶん、翻訳研究者に文学系の人が多いからなのだろう。日本の近代化に翻訳が
自分が無知であることも知らなかったころ、下町にはめずらしく洒落た喫茶店に入って、カレーを食べていた。ふと見ると、カレーに奇妙なもの が入っている。どうみても木の葉だ。早速、文句を言った。店の人はできた人だから、「ローリエですよ、香辛料の。月桂樹の葉という方が分かりやすいかな」 と、丁寧に教えてくれた。「盛りつけるときに注意しているのに、入ってしまったんですね」ともいってくれた。お陰でひとつ賢くなった。料理に木の葉とか枝 とかが入っていても、文句をいってはいけない。だが、料理についてはいまだに何もしらないので、間違った香辛料が入っていても、その辺の木から風に飛ばさ れてきた葉が入っていても、見分けがつかない。 最近、評判のいい翻訳家が訳した評判のいい作品をつぎつぎに読んでいる。そのひとつを読みはじめて、3行目で止まってしまった。こう書かれていたから だ。 この話には、鈍色〔にびいろ〕の雲
名訳とはもちろん、すぐれた翻訳である。では、劣った翻訳や並みの翻訳とすぐれた翻訳の違いはどこにあるのか。言い換えれば、翻訳の善し悪しを判断するときの基準はどこにあるのか。 たぶん、こう考えたときにすぐに頭に浮かぶ基準は、2つあるはずだ。ひとつは、誤訳が少ないことという基準だ。もうひとつは、読みやすいこと、分かりやすいことという基準だ。 だが、この2つの基準はどちらも、明治以来の伝統である「後進国型の翻訳」を前提にしたものであり、いまの時代には相応しくないと思う。いまの時代に相応しい基準は誤訳が少ないことでも読みやすいことでもない。「原著者が日本語で書くとすればこう書くだろうと思えるものになっているか」だと考える。 誤訳が少ないこと、読みやすいことという2つの基準がいかに根強いかは、どういう形で翻訳が話題になるかを考えればすぐに分かる。雑誌記事や本などで目につくのは、「あなたも翻訳家になれる
マリア・テレジアといえば、有名なオーストリー・ハプスブルグ家の女王です。 彼女の在位は1740〜1780年でした。 この女王の像を刻んだ銀貨が、不思議なことに、東アフリカとアラビア半島の一部で異常な人気を呼びました。 「人気」という言葉はふさわしくないかもしれませんが、その実質的な価値以上の価値をもって取引されたのです。 エチオピアの西部にあるカファ地方は、コーヒーの語源にもなったところです。 コーヒーを買うためには、他のどんな貨幣でも受け入れられず、マリア・テレジアの銀貨だけが使われたのです。 何と200年近くもです。 マリア・テレジアの1ターレル銀貨 表:マリア・テレジア像 裏:楯紋章を胸に掲げた双頭の鷲 表から裏に続く銘文:M・THERESIA・D・G・R・IMP・HU・BO・REG・ARCHID・AVST・DUX・BURG・CO・TYR・ (ローマ帝国の女帝にして、ハ
劇場版「セーラームーンR」主題歌 "Moon Revenge" シングルCD(フォルテ・ミュージック FMDC-505) ジャケット。 人物中央 月野うさぎ=セーラームーン。上の男性のうち左 地場守=タキシード仮面。右の男性 フィオレ。うさぎの左側上から 愛野美奈子=セーラーヴィーナス、水野亞美=セーラーマーキュリー、ちびうさ。うさぎの右側上から 木野まこと=セーラージュピター、火野レイ=セーラーマーズ
南太平洋に浮かぶ島、ニューカレドニア(フランス領)は、 天国に一番近い島と呼ばれ、美しい海のあるところとして知られます。 ここに棲むカレドニアガラスは、道具を作って食べ物をとる天才ガラスです。 その天才ぶりをご紹介しましょう。 ニューカレドニアの位置 一番の大きな島のグランドテールは、長さが400キロほどの面積は四国と同じくらいの大きさ。ヌメアがいちばん大きな都市です。人口は全島で20万人。 カレドニアガラスは、グランテール島に棲んでいます。一部はマレ島にもいますが、これは人が放したものだそうです。 ちなみに、映画天国に一番近い島の舞台となったのは、ウベア島です。 そして、サラメア、ピックニングアがカレドニアガラスの観察地です。
Search Theory Workshop サーチ理論(search theory)とは分権的取引(decentralized trading)を描写する理論的枠組みであり、ワルラス市場のようにすべての経済主体が一堂に会して円滑な取引が行われるのではなく、取引相手を見つけるのに時間や費用が掛かる状況を想定し、交渉・オークション・契約といった具体的な取引の手続きを通じて取引が行われると考えるのです。こうしたサーチ理論の目的は、ワルラス市場を前提とした一般均衡理論の基礎的条件についてさらに深く分析するとともに、労働経済学・貨幣経済学などの様々な応用分野において従来の分析手法では得られなかった新たな知見を獲得するところにあります。 この研究会の意義は日本におけるサーチ理論ひいては分権的取引についての研究の拠点となることにあります。特に日本ではこの分野の研究者が少ないという事情を鑑みるに、この
(3) コレステロールは体内で作られている ・私たちは1日に約100〜400mgのコレステロールを食物から摂取している。しかし、コレステロールが食物から摂取される以外に、体内でも作り出されているということを知っている人は意外と少ないようである。 しかも、1日に必要な量の約80%ものコレステロールが、肝臓をはじめ体内で作られており、これは食物から摂取する量よりも4倍も多いということになる。 ・健康な人であれば、体が血中コレステロール値を調節してくれるため、食品から摂取するコレステロール量を過度に気にする必要はない。それよりも、食生活や日頃の運動、ストレスを溜めないなど生活全体のバランスを考えることが重要である。 (4) 悪玉コレステロールと呼ぶのは大間違い ・血液中のコレステロールは、大別すると「LDLコレステロール」と「HDLコレステロール」に分けられ、それぞれ大切な役割を持っている。
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