民俗学というと、地方の集落や離島を訪れ、失われつつある伝統や風習、古道具みたいなものを調べたり、記録したりする学問だとおもっていた。しかし本書を読んで印象が変わった。 この本の副題は「ヴァナキュラーってなんだ?」。ちょっとなじみのない言葉かもしれないが、ヴァナキュラーは「<俗>を意味する英語」であり、当然、今の<俗>も研究の対象である。
一般の人から見れば、出版翻訳の世界は謎に満ちていることだろう。だからからか私は知人友人からさまざまな質問を受ける。一冊訳すといくら稼げるのか、何年勉強すれば翻訳家になれるのか、ベストセラーになる原書はどうやったら見つかるのか、出版社にはどうアプローチすればいいのか…。質問を受けるたび私は自らの体験をもとに答えている。 では、かくいう私はデビュー時にどれほどのことを知っていたのか。実はほとんど何も知らなかったのである。当時は入手できる情報も限られていたこともあり、知っていたのは印税や発行部数がどの程度かくらいで、出版翻訳家にはどんな喜怒哀楽があるのかとか、出版業界にはどんなトラブルの種が潜んでいるかなど想像すらできなかった。 そんな私がひょんなきっかけで出版翻訳の世界に飛び込んだわけだが、今にして思えば、それは何も持たずにジャングルに飛び込むようなものだった。美しい景色が見られたりスリリング
Twitter、Facebook、Instagram……2010年代はSNSが爆発的に普及し、さまざまな分野で大きな影響力を持つようになった。中東で行われた民主化運動「アラブの春」もSNSが大きな役割を果たしたといえるだろう。 しかし、SNSの隆盛は、しっかりとした主張のうえで地道に活動するよりも、瞬間的に耳目を集める話題を打ち出した方が賢く有効だという風潮ももたらしたと語る作家・思想家の東浩紀氏。ここでは、同氏の新著『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』を引用し、わかりやすさばかりが求められる風潮に抗い、「べつの可能性」を生み出してきた悪戦苦闘の日々を振り返る。 ◇◇◇ SNSが社会に大きな影響力を与えるようになったテン年代 なぜゲンロンという会社を立ち上げたのか。それは時代と無関係ではありません。まずは大きく時代から振り返ってみます。 株式会社ゲンロンは2010年4月に創業しました(正
Calvin Klein will be collaborating with Nensi Dojaka. After a two-season hiatus from the schedule to restructure her company and save a pretty penny from opting out of runway, LVMH Prize-winning Nensi will be returning to London Fashion Week this Saturday with a new Calvin Klein collaboration, which she will show alongside her namesake SS25 collection. The 44-piece strong collab will feature plent
諏訪式。 [著]小倉美恵子 小倉美恵子は『オオカミの護符』で、日本の伝統的な村落に存在した講と呼ばれる信仰に基づくネットワークの豊かさを、私たちに教えてくれた人だ。同時に川崎市北部の地域に根差して映画製作活動を行っている。その小倉が長野県の諏訪地方に着目したという。これは面白いはずと思い本を手にとった。 諏訪は、セイコーエプソンなど世界的な精密機械工業を生み出すと同時に、岩波書店、みすず書房など日本を代表する出版社の創設者を輩出した。その秘密は自主独立を旨とする「百姓」が、外から来た近代科学や学術を受け入れる一方、自らの地域や風土と向き合い、その両者を結びつけたことにある。 本書はさらに、アカデミズムに親しみつつ、自力で考え工夫し続けることの意味、土地に根差した文化や、ものの見方を持つ「軸足のある人」を、今こそ取り戻す必要があることを説く。コロナ危機以後の社会を考える上でも示唆的だ。
著者:福田 アジオ出版社:吉川弘文館装丁:単行本(276ページ)発売日:2009-10-01 ISBN-10:4642080279 ISBN-13:978-4642080279 民俗を知り、民俗学を理解する日本の民俗学は欧米の民俗学とは大きく異なる。その最大の相違は、欧米の民俗学が語りの民俗学であるのに対して、日本の民俗学は行為の民俗学であるという点にある。欧米の民俗学も日本の民俗学もともに、現在生きて暮らしている人々に会って、その人の語りを通して研究資料を獲得する。いわゆる聞書きという方法である。しかし、聞書きが共通であっても、その後の研究手続きは大きく異なる。欧米は聞書きで得た語りそのものを研究する。昔話、伝説、民謡などであり、近年親しまれている表現では都市伝説である。日本の民俗学も、もちろんそれらの口頭伝承と呼ばれる事象も取り扱うが、それらが中心を占めてはいない。日本の民俗学は、聞書
理系で建築が専門の僕が「書く人」になったのは、大学院の時、四カ月にわたりヨーロッパ各地をヒッチハイクで回ったからである。 腹を空(す)かせた犬のように路地裏をさまよい、ヨーロッパの街がもつ、ともすれば押しつぶされそうな石の重みを感じていた。石の重みは時間の重みでもあった。ここではその都市と建築が石や煉瓦(れんが)を積み上げてつくるように、その文化もまた過去から現在へと積み上げられているのではないか。それに対して日本文化は、その建築が木造の組み立て式であるように、過去には中国から来たものを日本流に組み立て組み替え、近年には欧米から来たものを日本流に組み立て組み替えてきた。そう考えた。 西洋の思想が長期的、論理的、構築的であるのに対して、日本の思想は短期的、情緒的、雑居的である。ヨーロッパの文化は「積み上げる文化」であり、日本文化は「組み立てる文化」である。日本に帰って設計事務所に勤めながら、
ファッションが「まっとう」なものだということを、誰かが言い続けなければ、単なる流行やソーシャルメディアの道具で終わってしまう。著者は、セレクトショップのユナイテッドアローズ創始者の一人で、同社上級顧問でありクリエイティブ・ディレクションを担う。世界のファッションと永く伴走し、その変容を体感してきた経験から、ファッションは社会潮流に根ざしていると語る。 コロナ禍、アパレル危機、欲求不満の発露としてのファストファッション、大量消費と廃棄の問題−。混迷渦中にあるファッション業界に対し、西洋的価値観の行き詰まり、脅迫型消費が終焉(しゅうえん)に近づいていること、ラグジュアリーブランドに価値の棄損(きそん)が生じていること等、現状の問題点を指摘する。 一方、今後の方向性として、サスティナビリティに配慮し、時代を捉え未来をつくるため歴史を考察すること、アフリカの美しいビーズ刺繍(ししゅう)や織物といっ
日本の都市には地下街や地下鉄道網が広がっており、私たちにとって「地下」は日常的な空間といえる。「地下に潜る」というのも身を隠すことを意味し、どちらかというと安心な場所というイメージがあるのだが、著者は幼少期から足元、つまり地下に「原始的なざわめき」を感じていたという。そういう場合、私たちニッポン人は相撲の四股(醜)を踏んだりして地中の邪気を祓(はら)うのだが、彼は地下に入っていくことで、「ざわ
著者:ピーター・スタンフォード翻訳:白須 清美出版社:原書房装丁:単行本(368ページ)発売日:2020-08-25 ISBN-10:4562057831 ISBN-13:978-4562057832 宗教を信じていなくても天使を信じていたり、芸術作品をとおして姿を知っていたりする人は、多いのではないでしょうか。 ミカエル、ラファエル、ガブリエルなどの名前を、アニメやゲーム内で聞いたことはないでしょうか。 そんな天使が、人間に寄り添ってきた歴史について記した『天使と人の文化史』の編者序文を特別公開します。 天使ってなんだろう皆さんは天使と聞いてどんな姿を思い浮かべるだろうか。 大きな翼を持ち、白い衣を着た、穏やかで美しい天使だろうか。 それともキューピッドのような、ぽっちゃりした子供の天使だろうか。 それとも映画『ベルリン・天使の詩』の、コートを着た現代的な天使だろうか。 本書には聖書以前
なぜ、本を読むのか? Why do we need to read books なぜ、本を読むのか?本書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれた本の中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の
特定の時代や場所に、すごい才能の持ち主がなぜか集まることがある。新しい芸術や思想を生み出した19世紀末のウィーン、あるいは1920年代のパリ。歴史をひもとけばいくらでも例を挙げることができる。 本書はクリエイターたちが特定の場所に集まるメカニズムと要因を解き明かそうとする試みだ。そこで扱われるのは、戦後日本のカルチャー史を彩る数々の伝説的サロンやコミュニティである。 その筆頭は、なんといってもトキワ荘だろう。かつて東京・豊島区南長崎の小さな木造アパートに手塚治虫、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、藤子不二雄といった天才たちが集まった。いずれも漫画界のレジェンドである。よくぞここまで集まったものだと思う。 才能あるクリエイターたちが特定のエリアや同じ建物内に固まって住む「集住」という現象が、日本では多くみられた。大正から昭和初期にかけては田端や阿佐ヶ谷、鎌倉に文豪たちが集まり「文士村」を形成したし、
安藤鶴夫(一九〇八〜六九年)は東京市浅草区向柳原町(現・東京都台東区浅草橋)の生まれ。父は義太夫の八代目竹本都太夫。五、六歳の頃、寄席の帰りに、おぶさった背中から「婆アや、さっきの都々逸(どどいつ)、へただねえ」と言ったという。演芸・演劇評論家となるのは当然か。 また随筆の名手として多数の著書を執筆。私の世代ではすでに過去の人だったが、旺文社文庫が『ごぶ・ゆるね』『年年歳歳』ほか続々と文庫化し、その存在を知ったのである。明治生まれ、大正、昭和育ちの眼が見た東京下町や寄席の風景は、貴重な証言であるとともに、詩情あふれる筆致と独自な語り口で酔わせた。
加藤一二三・九段と渡辺明三冠は、史上五人しかいない、中学生プロ棋士となった「天才の中の天才」。本書は、その二人のエッセーと対談をまとめたものだ。 深淵(しんえん)な思考を言葉に出さない棋士も多い。しかし、二人はそれを率直に表明してくれる。おかげで読者は、加藤九段の底抜けの明るさと、渡辺三冠の恐ろしいほどの合理主義を堪能できる。 例えば加藤九段は、羽生善治九段の「直感の七割は正しい」という有名な言葉について、これは全く言い過ぎではないと断言する。さらに、加藤九段の直感が何パーセント正しいかも書かれているが、その数字は驚くべきものだ。他方、渡辺三冠の凄(すご)みを感じさせるのは、不調時の分析に関する記述だ。「自分の将棋の型が時代の潮流についていけていなかった」と、自らの欠点を認める冷徹さは、あまりにかっこいい。 この本では、AI(人工知能)の登場も大きなテーマになっている。将棋AIが発展し、「
多くの人々が「教養」を渇望した時代があった。そんな昭和二、三十年代を「幸福な時代」と懐かしむ声をしばしば耳にする。だが、その時代は誰にとって、どのように幸福だったのか。 農村の青年団・青年学級(第一章)、集団就職組の定時制高校(第二章)、『葦』『人生手帖』などの人生雑誌(第三章)、いずれも格差社会の下方から教養システムにメスを入れた本書のテーマはことのほか重い。 教養を求めた勤労青年がその鬱屈(うっくつ)、憤懣(ふんまん)、閉塞(へいそく)感を綴(つづ)った手記も多く引用されている。その重さを本書が感じさせない理由の一つは、吉永小百合が主演した映画『キューポラのある街』(一九六二年)の紹介で始まり、その続編『未成年』(一九六五年)で終わる構成にあるのだろう。前者は成績優秀なジュン(吉永)が家庭の貧困を理由に全日制高校への進学をあきらめ、働きながら「別の意味の勉強」を求めて定時制に学ぶ物語で
建築史家、五十嵐太郎氏による「東京の建築」ではなく「建築の東京」、すなわち東京に建っている建築のことではなく、建築の政策や市場のことでもなく、建築家の東京への関わりが紹介される。それが意外なほど幅広いことにまず驚く。著者が上京した1985年はバブル期、東京中が活力にみなぎっていた頃であろう。この時代、行政主導で東京の方向性を示し、ミッテラン仏大統領の施策「グラン・プロジェ」にならい、公共文化施
ルネサンスという「時代」は、19世紀に、近代のはじまりの時期として「発見」された。しかし、そこで数え上げられたいくつかの徴表は。それ以前に存在していたことが明かされ、「暗黒の中世」観はいまや否定された。するとルネサンスは、他の時期と同様ただの「過渡期」なのか? ルネサンス観の諸類型を説明し、ボッカッチョ、カンパネッラらに着目して、多様な文化的位相が未決のまま共生していた時代としてこの時期の動態をとらえる。 まえがき 序章 歴史の〈境界〉 1 時代区分 断絶史観──ブルクハルト/近代世界の濫觴/連続(継続)史観 ホイジンガ──ミシュレ、ブルクハルトを継承して/過渡期史観/複数主義史観 「歴史の発見」とルネサンス/エラスムス──北方ルネサンスの王者 2 ルネサンス観の変遷 ペトラルカ──歴史・風景・内面の発見/宗教改革(一五一七年)以降 啓蒙主義・浪漫主義時代、その後/二十世紀以降 3 ルネサ
専門の科学哲学の傍ら、大学生の学びについても積極的に発信してきた著者が、中学生以来悩み続ける「教養とは何か」という命題。本書は「学生時代の自分に向けて書く」ようにそれを開陳し、大学生や未来の学生を、教養の世界に呼び込む。積もり積もった「もやもや」を出し切った一冊でもある。 三部構成で、教養が大切な理由や身に付けるために必要な態度を説き、大学での学び方を実践的に紹介する。ベーコンの哲学を交えるのに、口調はうさんくさいくらい砕けている。 教養人を<社会の担い手であることを自覚し、公共圏における議論を通じて、未来へ向けて社会を改善し存続させようとする存在>と定義した。教養と言えば知識の広さが浮かぶが、知識をただ持っているだけではだめ。歴史的、空間的な位置を捉え直し、絶対視しない感覚が大事という。
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