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2008年11月29日のブックマーク (4件)

  • <META http-equiv="Content-Style-Type" content="text/css"> <TITLE>メッセージ「根拠なき希望」

    根拠なき希望 2007年12月24日(月) 日キリスト教団香里ケ丘教会クリスマス・イヴ音楽礼拝説教「恐れることはない」改題 説教時間:約20分……パソコンに取り込んでからゆっくりお読みください。 礼拝堂(メッセージ・ライブラリ)に戻る 「キリスト教・下世話なQ&Aコーナー」に入る 教会の案内図に戻る 聖書:マタイによる福音書1章18〜25節 (新共同訳・新約) イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。 「ダビデの子ヨセフ、恐れずマリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。そ

  • 過ぎ去ろうとしない過去 - 「歴史家論争」について

    ずいぶん昔に長文を書いたのだが、アップするのを忘れていた。 「歴史家論争」は、ドイツ人の「国民の物語」を巡る問題と直結している。その発端は、1986年にフランクフルトで行われる予定になっていたエルンスト・ノルテの公演内容の講演と、同年に発表されたアンドレアス・ヒルグルーバーの著書『ふたつの没落』に対する、ユルゲン・ハーバーマスの批判であった。 ノルテは、ユダヤ人の大量虐殺という「過去」は、ドイツ人にとって永遠に消えないスティグマとして刻印付けられており、そのことが過去の歴史に対する冷静な検証をかえって行うことを妨げていると述べる。ドイツ人が、「最終的解決」の問題にあまりにも注意を向け続けているあまり、ナチ時代に行われた他の諸問題、あるいは現代なお行われている他の虐殺の問題が、なおざりにされている、と。 このような動きに対して、ハーバーマスは「国民意識の再生」に対するドイツ国民のコンセンサス

    過ぎ去ろうとしない過去 - 「歴史家論争」について
    hokusyu
    hokusyu 2008/11/29
    これは認識論的な焦点からはずれるけど一応。古いものだしなー。
  • Rir6アーカイブ - 2004-10-14

    [歴史問題]僕らは虐殺の上に生きている ▼宮ひろ志『国が燃える』を応援しよう。言論弾圧を許すな。@▼CLick for Anti War 最新メモ ・『サラリーマン金太郎』で知られる人気漫画家の宮ひろ志氏は、日中戦争を題材に、『国が燃える』という漫画を『週刊ヤングジャンプ』に連載しています。(内容紹介→http://d.hatena.ne.jp/claw/20040929) 宮氏は、心情的には保守的な人物だとは思いますが、この漫画を通じて、「歴史の流れの中で犯した誤りに対し、一人ひとりの人間はどう責任を取っていくのか」という問いを提起しているようです。 (略) ・そのような立場から、宮氏はこれまでの連載でも、日の対中侵略や、矛盾に満ちた「満州国」の建国、殖民政策の展開を批判的に描いてきました。 ・ところが、南京大虐殺について描いた第88話が発表されると、「南京大虐殺はなかった」「

    hokusyu
    hokusyu 2008/11/29
    危険な議論だと思いますよ。宮台も同じこと言っていたぐらいですから。全体として突きつけられた課題は受け入れなければいけないけど、個別の、固有の事件群も同じくらい重要なのです。
  • 歴史の物語り論−「開かれた未来」からの歴史認識の可能性について - tukinohaのアニメじゃない日記

    1980年代のドイツで起こった「歴史家論争」の渦中、感傷的な筆致によって第二次大戦中のドイツ軍との心情的同一化、ひいては彼らの行った歴史的事実の正当化を試みたアンドレス・ヒルグルーバーに対し、ユルゲン・ハーバーマスは以下のような批判を加えた。 「人は、当惑して次のような疑問を抱くであろう。ヒルグルーバーは、何ゆえに1986年の歴史家に、40年の歳月を経た時点から振り返ることを試みさせないのか、すなわち、どのみち自らをそこから引き離すことはできない自分自身のパースペクティブを引き受けさせないのか、と。さらに言えば、現在から振り返るパースペクティブには、直接その場、その時に居合わせた当事者たちとの選択的な認識を関係づけ、互いに比較考量し、あとから生まれた者の知識でもって補足することができるという解釈学的な利点がある。しかしながら、ヒルグルーバーは、このようなほとんど「正常な」と言いたくなるよう

    歴史の物語り論−「開かれた未来」からの歴史認識の可能性について - tukinohaのアニメじゃない日記
    hokusyu
    hokusyu 2008/11/29
    アーサー・ダントもそうなんだけど、思想屋の人は歴史記述の困難性に苦慮するあまり、あっさり「物語」的な言葉を使いたがる気がする。もう少し我慢してくれないと、結局言葉遊びになる気がするんだよなー。