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2009年3月15日のブックマーク (4件)

  • アジアとの和解をはばむもの - lmnopqrstuの日記

    20:490 サルトルは次のように述べている。 もし社会がそれ自身を見、殊に自分が見られているということを見るならば、そのこと自体が樹立された価値や体制への異議申し立てとなる。作家は、社会に社会の姿を示して、それを受け入れるかそれを変えるかすることを求めるからだ。そしてとにかく社会は変る。社会は、無智のおかげで保っていた平衡を失い、恥辱と冷笑との間で動揺し、自己欺瞞を行う。このように作家は社会に不幸な意識を与える。*1  サルトルの言葉が正しければ、社会に「不幸な意識」を与える作家の活動が意味をもつためには、まずその前提として、当該社会自身に「自分が見られているということを見る」力が備わっている必要がある、ということになるのではないだろうか。 1 昭和天皇裕仁は、日帝国主義の被害者であるアジアの民衆の前で、己を恥じたことがあるだろうか。あるいはアジアの民衆の前で恥じる様子がない裕仁を見て

  • 差別について。 - hituziのブログじゃがー

    差別。「差別はいけません」。「なくそう差別」。 うーーん。どうなんでしょうね。ちょっと、小山エミ(こやま・えみ、macska)さんの解説を みてみましょう。 macska dot org 差別についての、ごく基的な考え まず、一番大事なこと。わたしは「差別」という言葉で社会の諸制度や、それを含んだ社会システムのことを指す用法を取り、一般に「差別」と呼ばれる個別の行為や発言などは「差別的」と呼んで区別している。つまり、特定の人々に対して「不利益・不平等な扱いをすること」という行為のレベルではなく、特定の人々が「不利益・不平等な扱い」を受けるような社会のありかたを「差別」と呼び、個々の不平等な扱いは「差別的」もしくは「差別行為」として区別している。それは、「差別」とは主に社会のありかたの問題であり、個々の行為や発言などのことではないと考えているから。 いやあ、すばらしい。そのとおりですよね。

    差別について。 - hituziのブログじゃがー
  • 『『asahi.com(朝日新聞社):炊き出しに路上生活者が長い列 苦情で中止、苦渋の決断 - 社会』へのコメント』へのコメント

    暮らし 『asahi.com(朝日新聞社):炊き出しに路上生活者が長い列 苦情で中止、苦渋の決断 - 社会』へのコメント

    『『asahi.com(朝日新聞社):炊き出しに路上生活者が長い列 苦情で中止、苦渋の決断 - 社会』へのコメント』へのコメント
    hokusyu
    hokusyu 2009/03/15
    行政がちゃんとやらないというのはホームレス問題一般に関していえばそうだけど、この件に関して言えば道が通りづらいとか近くにホームレスが増えてイヤだとかそのくらいの「負担」くらい被れよと思う。
  • 『asahi.com(朝日新聞社):炊き出しに路上生活者が長い列 苦情で中止、苦渋の決断 - 社会』へのコメント

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    『asahi.com(朝日新聞社):炊き出しに路上生活者が長い列 苦情で中止、苦渋の決断 - 社会』へのコメント
    hokusyu
    hokusyu 2009/03/15
    id:chuuburarin 言いたかったのはホームレスに悪い人いない、じゃなくて、自分の持つ暴力・権力に無自覚だがしかし持つがゆえに、他者に対して病理的な恐怖を向けてしまうことの恐ろしさです。(銃社会の問題にも繋がる)