7月5日、良品計画>は、2019年に銀座3丁目に「無印良品」の世界旗艦店をオープンすると発表した。また、同じビル内に日本初の「MUJI HOTEL」を開業する。写真はパリで昨年6月撮影(2017年 ロイター/Jacky Naegelen) [東京 5日 ロイター] - 良品計画 <7453.T>は5日、2019年に銀座3丁目に「無印良品」の世界旗艦店をオープンすると発表した。また、同じビル内に日本初の「MUJI HOTEL」を開業する。
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ブログ記事の引用・転載はすべて自由です。その際、ページのリンクを示していただけると嬉しいです。以下でキーワード記事検索ができます。 7月1日の英国スカイニュースより ・news.sky.com この数年は、このブログでも「新しい島の出現」ということに関して、ずいぶんとご紹介させていだいた気がします。最近は冒頭の記事のように、アメリカの東海岸に「新しい島」が出現したのですけれど、今回はそのことをご紹介させていただくと同時に、このアメリカの新しい島の出現を受けて、英国デイリーメールが、「最近、新しく出現した島の特集」の記事を組んでいまして、最近を振り返る意味でも、その記事からもご紹介したいと思います。 以前、 ・大陸の隆起の時代 : トンガ沖の「新しい島」や西之島が急拡大している中、アトランティスやレムリア大陸の幻想は現実になる? 2015/01/27 という「大陸の隆起の時代」などというタイ
ベトナムの首都ハノイ中心部を走るバイク(2017年7月4日撮影)。(c)AFP/HOANG DINH Nam 【7月4日 AFP】ベトナムの首都ハノイ(Hanoi)市当局は4日、大気汚染と混雑の緩和を目的に、市街地へのバイクの乗り入れを2030年までに禁止すると決定した。 急速な成長を見せるハノイでは公共交通機関が限られており、普段はバイクの大群が道路を埋め尽くし、時には一家全員が折り重なって乗っていたり、荷物が過積載されたりしたバイクも見受けられる。 人口約700万人のハノイ市では、自動車の保有車両数が50万台程度である一方、バイクの場合は約500万台に上るという。 ただ、市内の大気汚染やひどい交通渋滞の原因がバイクにあると主張する声も多く、4日に開かれた会議では、地方議会に当たる人民評議会議員96人のうち、95人が今回の条例案に賛成した。 市政府のウェブサイトに掲載された当局の報告書に
【名古屋】豊田合成は2017年内にも自然光に近い発光特性を持つ発光ダイオード(LED)「太陽光LED」の量産を始める。紫色LEDに複数の蛍光体を組み合わせることで、対象物を色鮮やかに見せることができる。製品の外観検査や色校正などの需要を見込んでいる。LEDを含む同社の光学関連事業は現在は営業赤字となっている。産業用途などを開拓して18年度の黒字化を目指す。 開発した太陽光LEDは、ベースとなる紫色LEDに赤や緑、青色の蛍光体などを混ぜることで、太陽光に近い光を実現した。特に従来のLEDと比べて波長の長い赤色の発光特性に優れており、屋内でも屋外と同じような光を再現できる。 既にサンプル出荷を始めた。例えば自動車の外観検査用や洋服の展示用、撮影用照明などに需要があるとみて提案している。また自然光に近い「やさしい光」である点も生かし、オフィスや医療機関・保育施設などでの生産性向上に向けた研究も外
強い甘みと程よい酸味が特徴のハウスミカン「湘南の輝き」の出荷作業が、26日から大磯町のJA湘南みかん選果場で始まった。露地栽培のミカンと比べて高価だが、贈答品としての需要が高く中元商戦が始まると品薄に。9月中旬まで、約40トンの出荷を見込む。 初出荷は昨年と比べて4日遅く、2戸の農家から約1・7トンが集まった。ベルトコンベヤー上の装置で表面につやを出すワックスが塗布されたミカンは、選果場の従業員が傷や色づき具合をチェックして丁寧に箱詰めしていった。 湘南の輝きはJA湘南が2005年に商標登録したブランドミカンで、大磯町と二宮町の農家6戸が生産している。ハウス内を11月ごろから加温することで露地ものより3カ月ほど早く収穫でき、春先からは水切りなどの潅(かん)水管理で木の水分吸収を抑制。糖度12度以上、酸度1以下という甘みの強いミカンに仕上げる。 ハウスみかん組合の守屋隆組合長は「今年は雨が少
日根野駅近くの踏切に設置されたLED製の看板。英語や中国語で立ち止まらないよう呼びかけている(泉佐野市で) ◇関空近く 外国人あわや JR西日本は、泉佐野市の阪和線日根野駅そばの踏切に、3か国語で速やかな横断を呼びかける発光ダイオード(LED)製の看板を設置した。関西空港に近く、外国人観光客の利用も多いが、ルールを知らずに遮断機の下りた踏切内で通過待ちするなど、あわやの事態が後を絶たないためだ。安全に旅行を楽しんでもらえるよう、鉄道会社も知恵を絞る。(浦野親典) 「Danger!Don’t stop!」「危険!不要停留!」……。 駅のすぐ南側にある日根野南一踏切(幅7・2メートル、長さ26・5メートル)。警報音が鳴り始めると、線路脇のフェンス上に設置された4枚の看板(縦0・2メートル、横1メートル)に、英語、中国語、韓国語で「危険!止まるな!」とのメッセージが流れた。遮断機が下りると、表示
青森から福島県までの太平洋沿岸で環境省が整備を進めている遊歩道「みちのく潮風トレイル」の気仙沼市区間が4日、開通する。 気仙沼市区間は北部と南部に分かれる約100キロの道のり。北部では唐桑半島や離島・大島などのリアス式海岸や珍しい形の巨岩、白い砂浜を楽しめる。南部では景勝地・岩井崎や、鉱山なども通る。 17日には開通を記念したトレッキングイベントが唐桑半島で開かれ、ガイドが同行しながら約4キロの海岸線のルートで海や花を眺めたり、東日本大震災で打ち上げられた巨大な「津波石」を見たりする。途中の御崎神社では郷土芸能を見学し、海の幸のバーベキューも行う予定。イベントを主催する唐桑町観光協会は「きれいな景色を見て、気仙沼の良さを知ってほしい」とPRする。 潮風トレイルは、東日本大震災の復興を後押しするプロジェクトで、青森県八戸市―福島県相馬市を結ぶ700キロを超える遊歩道。県内では女川町や石巻市、
会場で溥傑の書「宿愛女家詠即興」に目をやる福永●生さん=西宮市上ケ原一番町 ●=女へんに雨、その下に誇のつくりで大を取る 「ラストエンペラー」として知られる中国・清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)(1906〜67年)の弟の溥傑(ふけつ)(1907〜94年)とその家族の足跡をたどる展覧会「日中のかけはし-愛新覚羅溥傑家の軌跡」が、関西学院大博物館(西宮市上ケ原一番町)で開催されている。溥傑の次女で同市在住の福永●生(こせい)さん(77)からの寄贈品約千点のうち約50点が展示され、一家が日中友好へ懸けた思いが感じ取れる。22日まで。 溥儀を皇帝とする満州国が建国された後、軍人となっていた溥傑は昭和12年、日満親善の象徴として昭和天皇の遠縁にあたる嵯峨浩(ひろ)(1914〜87年)と結婚。3年後には福永さんが生まれた。だが終戦により満州国が消滅すると、溥傑は兄とともにシベリアに
山梨県笛吹市春日居町寺本の養殖場で4日、県内初のトラフグの養殖が始まり、稚魚の池入れ作業が行われた。育った成魚は当面、石和温泉の旅館など県内に出荷する。将来的には新たな山梨ブランドとして全国発信を狙う。 トラフグの養殖は県が官民で進める「陸上養殖チャレンジ事業」の一環。養殖、流通業者による「甲州トラフグ組合」が県の補助金約2000万円を活用、ニシキゴイの養殖場だったところを買い取り、その一部でトラフグの養殖を始める。 この日、愛知県の業者から届いた2500匹の稚魚は、同組合の業者の社員によって、バケツで養殖場内のコンクリート製池に放された。 山梨県花き農水産課によると、トラフグの陸上養殖は温度や塩分濃度の管理ができるため、天候の影響を受ける天然ものよりも早く成魚になり、約1年間の生育で出荷できるという。 春日居町地区は地下水の温度が22度。フグが好む適温で、養殖に適しているという。トラフグ
アウディ・F103は旧西ドイツの自動車メーカー、アウトウニオンが1965年から1972年まで生産した乗用車の型式名称である。ベースとなったのはDKW・F102で、エンジンがDKW伝統の2サイクル3気筒から、ダイムラー・ベンツが設計に関与した4サイクル4気筒に改められたのが最大の相違点である。このモデルの登場でDKWの車名が消滅し、第二次世界大戦後初めてアウディの名称が復活した。 バリエーション[編集] デビュー当初は単に「アウトウニオン・アウディ」と呼ばれたが、後に各モデルはエンジン出力の数字を示すサブネームが与えられることになり、最初のモデルはアウディ・72となり、翌1966年にはよりパワフルなアウディ・80(1972年に登場する後継モデルのB1系80とは別物)及びアウディ・スーパー90が追加され、1968年には廉価版のアウディ・60が追加された。1969年には「72」と「80」がアウデ
DKW・F102は旧西ドイツの自動車メーカー、アウトウニオンが、アウトウニオン・1000シリーズの後継車種として1963年から1966年まで生産した乗用車である。伝統の2サイクル3気筒エンジンを持つ最後のDKW車であったが、この時代には取り扱いの容易性や排気ガス対策の点で4サイクルエンジンの優位性は動かしがたいものになっており、1965年には同じボディ・シャシーをベースにした4サイクル4気筒のアウディ・F103が登場し、翌年に生産を終了した。 F102を含むDKW各車は、1950年代はじめからDKWを長年販売していた老舗ディーラーの日本自動車によって日本にも比較的多数が輸入され、DKWのオーナーズクラブも組織されていた。
旧友が体調を崩し、運転操作に支障が出たために手塩にかけて長年愛した愛車を泣く泣く手放す事になったことをきっかけに、Mさんが譲り受けたクルマ。それがDKW 1000S de Luxe (1963年製)だ。 DKWは、1932年にアウディ/ホルヒ/ヴァンダラーと合併したアウトユニオン社のなかの、2ストロークエンジンを搭載する4輪車とオートバイのブランドとして確立したブランドだ。アウトユニオン社はそのロゴである「フォーシルバーリングス」を見てもわかるように、アウディの前身となるドイツの自動車連合会社だ。 オーナーのMさんは、若かりし日は旧車には全く興味はなかったそうだ。もっぱらスポーツカーや実用性のあるクルマにしか目が向かなったという。 「歳を取ったせいか、昔ながらのクルマにも興味が沸いてきた」と笑うMさん。50年以上前、街を颯爽と駆け抜けていたDKWの姿を思い起こすが、まだ若かった当時は非常に
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