2020年の東京五輪開催に沸く臨海部。実は戦前にも国家プロジェクトの開催が決まっていた。万国博覧会だ。1940年(昭和15年)、五輪開催と同年に、晴海と豊洲で開く予定だった。五輪以上に準備は進んだが、日中戦争突入で実現しなかった。1970年(昭和45年)の大阪万博へとつながった「東京万博」とは、どんな内容だったのか。晴海・豊洲で「東京万博」アポロ12号が持ち帰った「月の石」、岡本太郎制作の「
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2012/7/108:39 東京スカイツリーから展望する人口減少時代の「未来都市」像 ――〈タワー的公共性〉と〈ショッピングモール的公共性〉の交錯として 中川大地 ■雨のスカイツリー開業と「時空を圧縮したランドスケープ」 2012年5月22日に「東京スカイツリー」が開業して、1ヵ月半以上が経過した。 その開業の日、強い雨風がこの新参タワーの展望塔としての門出に文字通り水を差す中、誘致決定以来の7年間の地元民としてのコミットを元にした著書『東京スカイツリー論』を上梓したばかりだった筆者は、事業者サイドが公表していた事前情報を元に書いた自著での叙述と実際の体験性との違いがどうなっているかを我が身で確かめるべく、初めて付帯施設「東京スカイツリータウン」の敷地に足を踏み入れ、そして地上高350メートルに位置する第一展望台「天望デッキ」へと上った。 ちょうど夕暮れ時、ようやく雨も小降りになって雲
印刷 地下鉄の乗車中も携帯電話が「圏内」に――。東京や大阪、名古屋など全国の地下鉄で、駅のホーム以外でも携帯電話の電波が届くようにする対応が進んでいる。今年中に多くの路線で、地上の電車と同様にメールやインターネットが使えるようになる予定だ。 先行する福岡に続いて、3月には東京や名古屋、大阪の地下鉄の一部区間で携帯が通じるようになる見込み。 都市部では大半の場所で使えるようになった携帯電話だが、地下鉄の駅と駅の間は残された最大の「圏外」エリアの一つ。ただ、地下鉄事業者はこれまで、車内での通話を自粛するよう乗客に呼びかけてきた手前、駅間で携帯電話を使えるようにすることに積極的ではなかった。 続きは朝日新聞デジタルでご覧いただけます関連記事〈日刊工業〉ソフトバンクモバイル、大阪の地下鉄に無線LAN(12/8)
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