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2010年2月7日のブックマーク (6件)

  • 永訣の朝 肉筆原稿 (1/2)

    デジタルに欠ける身体の痕跡 MITメディア・ラボに赴任した'95年から、私はグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)の次に来る、新しいヒューマン・コンピューター・インタラクション(HCI)の形を追究する研究を始めた。そして、デジタル情報に物理的実体を与えることにより、情報を直接両手で触れて操作できるという「Tangible Bits(タンジブル・ビット)」のコンセプトを生み出した。その背景には、現在のデジタルメディアに欠如している身体性に関する根的な問題意識が横たわっていた。 使い込まれた物理的なメディアにはあって、デジタルメディアには欠けているもの──それは、身体の痕跡だ。このことを強く感じさせてくれることになった、10年前のエピソードを今回は紹介したい。 肉筆原稿に残る創作の痕跡 三十数年住み慣れた日を離れ、MITに赴任した'95年の春、私は長年の夢だった宮沢賢治の故郷、

    永訣の朝 肉筆原稿 (1/2)
  • 脱無縁社会〜ネット縁が、セーフティネットのポートフォリオの1つになる時代の到来〜 - 女。MGの日記。

    NHKスペシャル『無縁社会』今日は録画しておいたNHKスペシャル『無縁社会』を観た。1人っ子・未婚の私には迫力のあるテーマだった。そこでは、職場・家族という縁を失って、晩年に独り孤独に死んでいく人々が紹介されていた。NHKはもちろん、このドキュメンタリーを通じて、「今の日では、あらゆるコミュニティから放りだされて、孤独死し、墓も用意されずに、無縁仏になる人々が大勢いるんです。このような死を生じさせてしまう社会は異常だと思いませんか?」ということを私たちに問いかけようとしたのだ。しかし、このドキュメンタリーを「孤独死」という強烈なイメージに影響されて、「今の社会ってだめだよなぁ〜」と言うための時事評論ネタにするのも違うと思う。そもそもなぜ私たちには「縁」が必要なのか?まずそこから話を始めないといけない。 『縁』とは何か?〜身体縁と脱身体縁〜縁とは、人と人とのつながりだ。地縁、血縁といった言

    kananaka
    kananaka 2010/02/07
    ネット上でもリアルでも、この放映が話題に上るたび、「無縁"社会"」についてはともかく、自分に「無縁」であることの恐怖心が欠けている事に気づかされて当惑してしまう。ヒトとして大事な何かが欠けているようで。
  • おに - とラねこ日誌

    今日は日中で鬼が活躍する日だと謂う 我がどら家も例外ではない。 つのつの1銅鑼鬼壱号 つのつの(?)2銅鑼鬼弐号 画伯も参戦・・・ こうして、夜は更けていく。

    おに - とラねこ日誌
    kananaka
    kananaka 2010/02/07
    画伯の鬼さん、お顔はベビーフェイスなのに、体(特に腹周り)は夜な夜なビール飲んでる大人の風情がそこはかとなく…
  • DV被害者支援を志す人はマツウラマムコ著「『二次被害』は終わらない」に絶望せよ

    サブカル路線に走った軽い記事に混じって「女性学年報」第26号に掲載されたマツウラマムコ氏の論文「『二次被害』は終わらない 『支援者』による被害者への暴力」を読む。マツウラ氏はこのブログにもたまにコメントをくださっている方で、性暴力やドメスティックバイオレンス(DV)への取り組みにおける「支援者の暴力」の問題に関してわたしと似たアプローチを取っているのだけれど、わたしが常々問題としているような「DVシェルターにおける権力構造」みたいなある意味社会設計によって解決可能な問題よりさらに奥にある解決不可能な構造的問題まで射程を伸ばしている点で評価できる。 わたしの「支援者」批判の論理は大きく2つに分けられる。1つはDVシェルターをはじめとするフェミニズム系の団体にありがちな構造上の問題であり、もう1つはそれを支えるフェミニズム発祥のイデオロギーというか「気分」だ。前者について詳しく言うと、例えばシ

    DV被害者支援を志す人はマツウラマムコ著「『二次被害』は終わらない」に絶望せよ
    kananaka
    kananaka 2010/02/07
    どちらの立場にも心当りが。この構造はDVや性暴力被害者支援の現場だけでなく、あらゆる支援系ボランティアの中にも見出せるものに思う。「フェミニズム」「二次被害」の言葉がつくかつかないかの違いはあれど。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…

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  • “女”じゃ、ナゼいけないのですか?:日経ビジネスオンライン

    「そろそろいいでしょ? 海外勤務もしたし、結婚もしたし・・・」 彼女たちの証言によると、彼女たち以外にも同年代の女性たちが同じ“被害”にあったそうだ。「そんなに辞めてほしけりゃ、辞めてやる」と退職の条件をつり上げ、辞めていった同僚もいたという。 彼女たちの名誉のためにも断っておくが、今回の出来事は、彼女たちがもともと肩たたきされても仕方ない人たちで、たまたま“女性”だった、というわけでは決してない。 いずれの女性も私がこれまで一緒に仕事をしたり、取材をしたことがある人物で、男性だからとか、女性だからとか、全く感じさせない仕事ぶりだった。当然ながら、私は彼女たちの上司ではないし、彼女たちと同じ職場で働いているわけではないから「100%違う」とまでは断言できない。だが少なくとも彼女たちの働きぶりを見る限り、たまたま“女性”とは考えにくい。 商社に勤めていたB子は、女性初の海外勤務を命じられたと

    “女”じゃ、ナゼいけないのですか?:日経ビジネスオンライン
    kananaka
    kananaka 2010/02/07
    「仕事に男も女も関係ない、まずは精一杯力を尽くせ」というコメへの既視感…。個人の成功譚は、社会構造に精神論で立向かうべき論とリンクされた時点で『包括されている』。一体、この記事の何を読んでいたのか。