人工知能の開発周りでは完全に投資家モードになっているため、あんま具体的な話は何一つ知らんわけですが、フィンテックや最適化方面の人工知能は「人工知能だからこれができる」というよりは「人がやっていて自動化すればこんなに簡便化できる」みたいな方向に完全に寄っているため、やっていることそのものにあまり新味はないのです。 例えば、医学の世界では外来の問診が、患者独自の個人情報(PHR:パーソナルヘルスレコード)が医療機関同士で共有されていれば、おそらくこういう疾病の可能性があるかもしれないという前提情報をもって主訴の分析ができるようになりますし、それらの実現は人工知能単体の問題ではなく、医療データの利活用から診療技術の平準化までさまざまな社会システムと人工知能のプロトコルが一致して初めて成立するものです。 なので、質の低い医療に従事するヤビーな医者からすれば死刑宣告でしょうが、そうでないまともな医師
2月18日に開催された、2020年を見据えたテクノロジのカンファレンス「CNET Japan Live 2016 Target 2020」で、学校教育におけるICTの活用に関するパネルディスカッションが実施された。 所得の違いによる学力格差、習熟度の違いによる一斉授業の難しさ、公立学校のネットワークインフラ不足など、教育に深く携わる立場でしか知り得ない観点から、3社がその解決策として進めている独自のアイデアや取り組みを披露した。 登壇したのは、動画を用いた受験生向け学習コンテンツ「スタディサプリ(旧受験サプリ)」などを展開しているリクルートマーケティングパートナーズの代表取締役社長である山口文洋氏、2016年4月に開校予定の通信制高校「N高等学校」校長に就任するドワンゴの奥平博一氏、円滑な学校教育の実現を目指す「Google for Education」の統括責任者であるグーグルの菊池裕史
「CNET Japan」を運営する朝日インタラクティブは、イベント「CNET Japan Live 2016 Target 2020 ~テクノロジーがもたらすパラダイムシフト~」を2月18日に青山ダイヤモンドホールで開催する。 オリンピック・パラリンピックも開かれる2020年を契機に、各産業や業界がテクノロジによってどのようにパラダイムシフトしていくのかを議論する。来場には事前登録が必要で、ウェブサイトから申し込める。 A-3セッションでは、タブレット端末をつかった学習や、いつでも好きな時間に学べるオンライン講座が増えている今、「テクノロジーがもたらす『教育』の行方」をテーマにしたパネルディスカッションを実施する。 パネリストは、高校生向けオンライン学習サービス「受験サプリ」を立ち上げた、リクルートマーケティングパートナーズの代表取締役社長である山口文洋氏、ドワンゴ教育事業本部 N高設立準
「好きな仕事をしなさい。」 よく聞く言葉だが、その人にとって「何が好きな仕事か」、「どういう才能があるか」は、実は、親も先生もそして本人も、よく分かっていない。 教育とは、その可能性を追求することではないだろうか。 なぜ子供はプロ野球選手に憧れるのか? それは、テレビなどで身近に接することができるから。 もし、テレビなどでプロ野球選手を見たことがなければ、プロ野球選手に憧れることなどとうていできないだろう。その結果、すごく野球の才能がある子供たちが、その可能性を追求できないことは、とてももったいないことだ。 教育とは、その選択肢を示すことだと思う。 かつて、子供たちに伝統芸能を見せても喜ばない。テーマパークに行った方がよほどいいと公言していた人もいた。しかし、100人に1人でも、本物の伝統芸能に触れて、感化されて、隠れた才能が発揮される機会になったら素晴らしいことではないだろうか。 長島大
成人式を明日に控えた昼下がり、おととし高校を終えた卒業生たちが「作新学院」を訪ねてくれました。 全員が元野球部のため、私の頭の中には毬栗(いがぐり)頭に詰襟姿でしか記憶されていない生徒たちがビシッとスーツ姿で勢ぞろいすると、少し見ない間に立派になって…という感慨と、一抹の寂しさがない交ぜになって、どこかこそばゆいような気恥しいような不思議な気持ちになります。 卒業生の進路は様々で、多くは東京をはじめ各地の大学に進学し学生ですが、就職し既に社会人という子もいれば、大学に籍を置きながら営業マンとしてノルマを背負いがんばっているという子もいます。 中でも感慨ひとしおだったのが、地元で警察官になったH君。彼は高校3年間、各学年を受け持った3人の担任教諭からいずれも「警察官になれ」と太鼓判を押されたとのこと。確かにマッチョで威風堂々、泰然自若としながらも人情味のあるその風貌は、頼りがいのある警察官そ
アゴラで中沢良平さんの「学校は勉強するところではない」という記事が話題を読んでいるので、ちょっと補足しておこう。 学校が本質的には規律=訓練の装置だという指摘は、フーコー以来ありふれたもので、日本に特有の事情ではない。というより日本の公立学校は、ヨーロッパをまねて明治時代につくられたものだ。それまでも日本には水準の高い塾や寺子屋があったが、それは職業的なスキルを学ぶ少人数の教育の場であり、学校のように集団的な規律をたたき込む軍事的な訓練の場ではなかった。 先進国のどこでも「荒れる学校」は問題になっている。特にアメリカはひどく、ニューヨークでは高校の校舎に金属探知機が設置されている。大学も、日本でほめられている一流大学は同世代の1%以下の例外で、大部分のカレッジでは先日のオレゴン州の銃撃のような事件は珍しくない。ただ日本に特有の事情は、中沢さんもいうように、団体行動への同調圧力が極端に強いこ
2015年10月05日19:03 カテゴリ本 教育の「脱学校化」は可能か アゴラで学校についての話題が盛り上がっているので、ちょっと解説しておこう。学校には人的資本を高める機能と子供を選別する機能(シグナリング)がある。経済学の通説では、義務教育には社会的な「外部性」があるので、公的な補助が必要だとされているが、高校以上の教育には疑問がある。 世銀の調査では、大学教育の社会的収益率はマイナスと推定されている。若者が4年間働かない機会費用が大きいからだ。しかし学歴のシグナリング効果は大きく、生涯所得は大卒と高卒で大きく違う。 つまり大学の私的収益率は高いが社会的収益率はマイナスで、社会的には浪費だというのが多くの経済学者の意見である。このようなビジネスを私学助成などで補助する必要はなく、バウチャー(奨学金)のような形で学生を支援し、多様な教育機関を育てたほうがいい。 こうした議論はかつて脱学
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