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GPIFに関するkazu_levis501のブックマーク (7)

  • GPIFの運用見直しと日銀の追加緩和

    私がいつも使っている、できる限り単純化して日の金融構造を表したバランスシート図を用いて、いずれも10月31日に発表されたGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用見直しと日銀行の追加金融緩和が実施されるとどのような効果が生じることになるかを確認しておこう。この目的のために、いつもは国債は日銀と民間銀行によって保有されているとしているのを、国債は日銀、民間銀行とGPIFの三者で保有されている(それぞれの保有分を国債Ⅰ、国債Ⅱ、国債Ⅲとする)と変更し、他の保有(例えば、個人による直接保有)は無視する。 なお、このバランスシート図について解説が必要な場合には、拙著『連続講義・デフレと経済政策』(Kindle版も発売中)の第3講「ゼロ金利制約と金融政策」を参照されたい。 まず、第1図をご覧いただきたい。GPIFの運用見直しに伴って、GPIFと民間銀行の間で取引が生じることになる。すなわち

    GPIFの運用見直しと日銀の追加緩和
  • 連載 GPIF改革の論点 (14) どのようなポートフォリオ分散をはかるべきか 真のリスク要因

    どのようなポートフォリオにするべきか。 考慮すべきことは、真のリスク要因は何かということに尽きる。それは二つに分けられ、資産の源的価値の毀損リスクと価格変動リスクである。日国債であれば、前者は政府の信用リスクであり、後者は、国債の投資家の行動変化である。上場株式に分散投資する場合は、前者のリスクは小さくコントロールできるが、後者の要因が非常に大きくなる。 価格変動リスクとは、コントロールすべきリスクそのもの、リスクの定義であるが、分散投資によって、個別資産の価格変動が部分的に相殺され、ポートフォリオ全体では資産時価変動幅が低下する。しかし、実際には、この分散投資効果は落ちていて、例えば、世界の上場株式に地域分散を行なっても、ほとんどの国の株価インデックスは連動するため、効果は小さい。この理由は、同じ投資家が世界中に分散投資しているので、この投資家の投資行動が変化することにより、世界の株

    連載 GPIF改革の論点 (14) どのようなポートフォリオ分散をはかるべきか 真のリスク要因
  • 連載 GPIF改革の論点 (6) 日本国債への投資は過大か?

    ガバナンスの議論もまだ尽くしたとはいえないが、具体的なポートフォリオの議論に関心の強い読者も多いと思うので、今日からは、少し運用資産や手法の話をしよう。まずは、日国債からだ。 現在のGPIFは日国債へ過大な資金配分をしている。しかし、日国債はインフレリスクがあり、価格下落リスクがある、安全志向が歪んだ形で過大投資になっている、だから、即刻、日国債を売り払って、日株を買え、ということにはならない。 むしろ、日株への投資の方が過大だという見方もあるのだ。 今日は冷静に議論してみよう。 現在、GPIFは、5年タームの基ポートフォリオがある。これは、中期的に(5年)どのような資産構成を基準として目指すかというものを示したものである。国内債券並みのリスクで効率的に運用するということになっており、一方、全体の目標利回りは概ね名目で4%となっていることから(目標利回りの議論は非常に重要なと

    連載 GPIF改革の論点 (6) 日本国債への投資は過大か?
  • 連載 GPIF改革の論点 5 GPIFへの信頼

    これまでの議論をまとめつつ、再論してみよう。 GPIFの改革の質は簡単である。ガバナンス改革だ。だが、真のガバナンス改革とは、世間で議論されているガバナンス改革ではなく、出資者である国民、彼らの媒介者となる政治、この両者を、健全な素人に育てることが最重要だ。そのためには、投資、運用というもの、そして年金運用に関する議論を深め、それらの質を理解するようになることが必要だ。その上で、年金を運用するための専門機関のあり方について考えることができる。 出資者が優れた健全な素人になり、落ち着いた状態で物事を考えられるようになったら、次にやることは、資金を運用させる専門機関、ここではGPIFに対する信頼を確立することである。信頼を確立せずに、一般にガバナンスと言われるテクニカルなことを議論することは全く無意味、末転倒である。テクニカルな手法で信頼を生み出そうとしているが、そうではなく、信頼する組

    連載 GPIF改革の論点 5 GPIFへの信頼
  • 連載 GPIF改革の論点 4 ガバナンスとは透明性でも説明責任でもない

    ガバナンスの質については、前々回、議論した。最も重要なのは、ガバナンスをかける主体で、それが優れていなければ、何も始まらない、ということであった。 では、優れたガバナンス主体がいたとき、次にどうすればいいか。優れたガバナンス主体とは、自分の真の目的を理解しており、冷静に普通のことを判断でき、またその判断に対して時間もエネルギーも十分投入する意思がある主体のことだったが、彼らはどうやって、自分の目的である公的年金の資金運用を専門組織に委ねればよいか。 一般的には、ガバナンスとは、透明性を確保し、説明責任を果たさせることにあると思われている。 誤りだ。 これが組織を殺している。ガバナンスをかける対象を殺してしまっているのだ。 我々は、何のために委託人に何を委託しているのか。企業経営で言えば、株主が経営陣に何を期待しているのか。GPIFに国民は何を求めているのか。 それは長期の安定性の下でのリ

    連載 GPIF改革の論点 4 ガバナンスとは透明性でも説明責任でもない
  • 連載 GPIF改革の論点 3 GPIF改革は成長戦略ではない

    GPIF改革が6月に打ち出される再度の成長戦略の目玉だと言われている。これこそ、GPIF改革の最大の誤りだ。GPIF改革と日の経済成長は、別の目的であり、目的であるGPIF改革を別の目的の手段にしてはいけない。 成長戦略としてのGPIF改革。これがGPIF改革の最大のリスクだ。 実は、これは、官邸の政策が二重に致命的な誤りを犯していることを示している。 第一の誤りは、GPIF改革は成長戦略ではないということであり、GPIFに日株を買わせて、株価が一時的に上昇したとしても、GPIFは将来実現する含み損を抱えさせられることになる。そして、儲けるのは先回りした外人投資家だけだ。 第二の誤りは、株価を上げることが成長戦略だと思っていることだ。アベノミクスの成功の証は株価上昇に尽きているから、株価が止まった現在はアベノミクスの危機であり、なんとしても株価を上げなくてはいけない、という感情のように

    連載 GPIF改革の論点 3 GPIF改革は成長戦略ではない
  • 連載 GPIF改革 2 ガバナンスの本質

    GPIFを改革するには、出資者である国民とそれを統括する政治が変わらなければならないというのが前回の話であった。 家を建てるときも、施主がセンスが悪ければ、どんなに優れた建築家であってもいい家は建たない。最悪なのは、建築について何も分かっていないのにネットでかじった知識で無理なコストカットを要求したり、有名建築家や有名建築の真似事をしようとしたりすることだ。一番悪いのは、何も分かっていないのに、すべて分かっていると自分で思い込んでいる場合だ。 何度も自宅を建替えた経験のある施主でも、せいぜい数回だ。建築家は何十、何百という経験をしてきている。施主は健全な素人として、職人である建築家に対峙するのが正しい役割分担だ。 しかし、どんなに優れた建築家よりも施主が良く知っていることがある。それは、自分の目的だ。どのような家に住みたいというより、どのような暮らしがしたいのか。その中で、自宅がどう位置づ

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