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ブックマーク / islecape.hatenadiary.com (18)

  • ニンジャスレイヤーを楽しむための、最初にして最大のハードル - そこにいるか

    (2015年5月14日23時34分追記:読み返したらコピペミスで文意不明の箇所などがあり、こまごま修正) ■長い前置き このダイアリーでも何度か言及した英国のミステリ小説家で、『女には向かない職業』や、『トゥモロー・ワールド』の題で映画化された『人類の子供たち』の作者であるP.D.ジェイムズが昨年11月末に亡くなっていたことに、昨日気づいた。94歳であった*1。 彼女の最後の作品となったのは『高慢と偏見、そして殺人』。タイトル通り*2、ジェイン・オースティン作『高慢と偏見』の“続編”として書かれたもので、「高慢と偏見」編の数年後に起こった殺人を描くという、作者91歳の二次創作だ。 高慢と偏見、そして殺人〔ハヤカワ・ミステリ1865〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ) 作者: P・D・ジェイムズ,羽田詩津子出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2012/11/09メディア: ハードカバー購

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2015/05/15
    笑いが止まらない良記事でした。/こういうのを体感するたび翻訳された本をいくら読んでも原作者の心を読み切れはしないのだと悲しくなる。
  • 「過剰な批判は逆効果」ということについて - そこにいるか

    人工知能学会の表紙は女性蔑視? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/607736 上記の記事については、たまたま比較的早い段階で目にし、その後の展開(と炎上)が予想されたので、主張を絞りつつ2ツイート(※・※)ぶん言及し、それで終わらせるつもりでいた*1 *2 。 その後、RSSなどで入ってくる反応やその後の展開をちょいちょい流し見るに、僕の立場からするといくつか気になる意見もあったが、それに対しても少なからぬ人々が異論・反論を主張していたため、僕自身はそのままフェードアウトしてもよいだろう、と思っていた。過去の経験から人を苛つかせる能力にはそれなりに長けているようなので、ここでわざわざ油を注ぎにいくこともないだろうと。 その折、以下の記事を見た。 あの程度で「性奴隷を作りたがってる」とか言ってるんじゃねーよ http://anond.hatelabo

    「過剰な批判は逆効果」ということについて - そこにいるか
  • 我流の陥穽 〜僕が世のお父さんお母さんに伝えたいこと〜 - そこにいるか

    爪切りってありますよね、そう、あの「く」の字型になって、テコの原理で爪をはさんで切るやつ。 僕は子供のころ手のかからないいい子と言われてましてねぇ、や、なんかそれって前回のエントリでちょっと言及したように少年犯罪フラグみたいですけど、そういう話じゃないですよ。 で、爪切り。もう幼稚園に入る前*1から自分で爪切ってたんですけどね、え? 深爪とかしそうで危ない? あぁ、それは確かにそうですねえ……まあ僕の場合、偶発的な危機に対する察知能力は低いんですけど自分で刃物持ったときは慎重なくらい慎重だったので、そういう話でもなくてですね。 その爪切りを使うとき、刃を押し込む側のパーツの裏側に、金属の波打った部分があるでしょう? あるいは鮫肌か?って感じのざらざら。パーツのわりと全体だったり、ごく一部だったりという違いはありますが、アレ、爪を切るときに親指に引っ掛かったりしますよね。 一体アレはなんだろ

    我流の陥穽 〜僕が世のお父さんお母さんに伝えたいこと〜 - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2013/04/30
    ある日突然気付く。心象風景では稲妻がぴしゃり。/僕は鼻づまりする子供だったから、呼吸は口でするものと思っていた。が、鼻でするものだった。道理でみんな食事中息苦しくならないなと……。
  • この社会が発する言葉に、われわれはなにを込めるのか - そこにいるか

    (Webで公開するにあたっての注記:原発に関しても中国に関してもまだ事態は収束していないので、特に個別具体的な批判にはしていない。このダイアリーの記事はどれもわりとそうだが、今回は特に覚書の側面の強い、この社会に対する個人的な印象論である) 追記9/23:この記事を書いたあとでは、「よろしい、ならば戦争だ」「非常事態に備えて防衛力が必要だ」みたいな記事のほうが勢いを増したような感じもあり、なんだかこの記事が説得力を失ってしまったような気もする*1。「遠くの"アラブの春"のときはソーシャルメディアを礼賛していた人が、自分に火の粉が掛かりそうな隣国の件に関しては"なんで中国政府は早く微博を規制しないんだ"というようなことを言ってる」といったブログ記事かツイートがあったのをちらと見た。いかにもありそうなことだっていうか、記事より、そちらの書き込みのほうが今回の事態を簡潔に言い表しているようにも

    この社会が発する言葉に、われわれはなにを込めるのか - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2012/09/23
    《けっきょくこの関心の高まりは社会による「強いものにへつらおう、弱いものはいたぶろう」という表明にしかなってないんじゃないかなあ、というようなことを思ってしまうのである》
  • 「人生とはこういうものでしょう」 - そこにいるか

    冬は好きだが、寒さを覚えて古傷が疼く季節でもある。 その疼痛を増幅させるような話を聞いた。「歩道を走る自転車と歩行者の事故」が目立つといって、警察が「自転車は原則として車道を走る」よう指導を徹底する方針らしい。あらかじめ断っておくと、僕は「自転車が歩道を走ってなにが悪い」と主張するものではない*1。むしろ小学生の時分から車道を走る自転車乗りであった。 それで事故にあってしまう。 小学生のころ。眼科で初めてコンタクトレンズを処方された帰り道、自転車で帰宅する途中だった。進行方向に合わせて左車線を走行し、車道と歩道が明確に分離していない(ガードレールのない)狭い道路に駐車されていた軽トラックを避けて通りすぎようとしたとき、軽トラックのドアが突然開き、非常に悪い偶然で左足膝上に裂傷を負った。さらに、右側に吹き飛ばされたにも関わらず(左利きのため)とっさに頭をかばって出たのが左手だったので、折れた

    「人生とはこういうものでしょう」 - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/12/11
    自転車に乗っていると自動車が怖いし、自動車に乗っていると自転車が怖い。歩行者も怖いときは怖い。路上はとかくデンジャラス。/おうちの中にいても小指をぶつけて痛い。人生は小さな痛みでできている。
  • 「中国嫁の差別性」によせて - そこにいるか

    ※追記:フォロー記事書きました 「中国嫁」の落穂ひろい(一年ぶり二度目) http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110810/yome こちらのほうがいくぶんすっきりしています。文章量、はんぶん。 ※冒頭補記(2011.8.3 16:23) こんにちは。この記事を書いて2日後のislecapeです。 そもそもこの記事では、回りくどくも「中国嫁」が「差別とは思わない」と言っているので、「中国嫁が差別とかなに考えてんだ」というような感想は送っていただかなくても結構です。ああ……タイトルが悪いんですね。"「中国嫁の差別」(という非難)によせて"とすればよかったんですね……(なんかこのパターンは前もあったような) ※冒頭補記その2(2011.8.6 19:40) こんにちは。この記事を書いて5日後のislecapeです。 この記事がいつのまにか「中国嫁」の検索でかなり上

    「中国嫁の差別性」によせて - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/08/03
    《「中国出身配偶者日記」は売れないだろうなあ……》 げに。語呂の良さで「中国嫁」を選んでしまう程度には僕は無自覚……。
  • 手のうちを明かすということ - そこにいるか

    当たり前のことだが、この世界に自分と同じ人間はいない。 たとえ「遺伝子がまったく同じ」という一卵性双生児であっても、100%同じ経験はしない。遺伝子は同じでも、その生育歴が双子をまったく別の人格に育て上げる。 生活上の好みや些細な癖から、政治信条・信仰する宗教まで、どんな少数派であろうと「考え方が近い」人というものは、もちろんそれなりにいる。特にインターネットがその傾向を加速させたというが、同じものを愛好する人は、どんなマイナーな分野であろうと存在し、そのものの愛好者として居場所を見つけることは、難しくなくなってきている*1。 だが「自分と(まったく)同じ人間」は、やはりいない。 Webでの沈黙は「非存在」と同義で――単に新聞やテレビの代替など情報入手手段として利用するならともかく――ソーシャルメディアにおけるROMに「存在感」というものは決してない。必然的に、なにかしらを表現することで、

    手のうちを明かすということ - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/01/29
    この手札を晒すのはまずい、と躊躇いながら提示しても、傍目にはそこが急所とは読めなかったりする。ネガティブな思いこみのために表現を躊躇っていた時間がもったいなかった。ということがあった。
  • 「表現の自由は他者を傷つけることも当然視する」と主張した人を批判していた人へ - そこにいるか

    ※冒頭付記(副詞、指示代名詞、こなれない表現など可能なかぎり元の文から意図を外さないよう修正。誤字脱字訂正。一部文言追加。最終更新日時・2011年1月14日午前2時9分) 僕も日の現在の人権状況について懸念は感じています。また、そうした現状についてまったく考慮することなく「表現の自由」を主張してそれで済ませようという場合、「表現の自由」が差別構造の現状追認、もっといえば差別構造の温存・推進に働く点は否めないとも思います。しかしそれでも僕は「ヘイトスピーチの規制にも反対」と書きました。ここではそのことについて考えてみます。 まず、彼の「倫理観」ですが、これについては僕は何も言うことがありません。 理由はふたつ。 1:彼がどのような論を展開していたか、ブログがプライベートモードになった今となっては確認できないため 2:人が「関係性」の中で生きる存在である以上、その倫理観の表明と行使とは他者に

    「表現の自由は他者を傷つけることも当然視する」と主張した人を批判していた人へ - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/01/14
    《それは草刈機で芝を刈るようなもので、「根元」が残ります》
  • アンジーのゲーム - そこにいるか

    「私の友だちなんて、もう二週間も行方不明だよ」 ええっ。私はかなり驚いた。老人界では、そういうことはよくあることなのか? 「いやあ、徘徊老人のために警察は動いてくれないしねえ。いつものことだから、家族ももう諦めてるみたいだよ」 「でもさすがに二週間はまずいんじゃ……。例のアナウンス*1はかけたんですか?」 「うんにゃ」 なんでもないことのように、おばあさんは首を振った。自発的楢山節考というかなんというか、老人たちの潔さにたじろいでしまう。もしかしたらこうやって、人知れずどこかへ消えてしまった老人はたくさん存在するのだろうか。死亡届も出されないままで、市役所の戸籍係が、「あれ、この人、今年で百四十五歳だぞ?」と首をひねるケースが多くあるのかもしれない。 三浦しをん『人生激場 (新潮文庫)』*2 百四十五歳どころではなかった。 今や国内最高齢記録は200歳に達した。人類は、まったく意識しないう

    アンジーのゲーム - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2010/08/30
    アンジェリーナ・ジョリーのゲームがどんなか考え込んでしまった。
  • もふもふしたウサギが主演する戦争アニメは、ただそれだけで非難に値する - R is for Rumor

    ※2010年8月24日補記:記事は当ダイアリーのものとしては珍しく、大きな反響を呼びました。Webで公開して「これほど多くの人に見られるとは思わなかった」という言い訳をしても通用しないとはもちろん考えていますが、実際そう考えがちになってしまうのは事実です。そのあたりの脇の甘さはご勘弁いただくとして、以下のように反省しましたのでご覧ください。 「もふもふウサギ」エントリの落ち穂拾い(暫定版) 日を改めて、記事の改題と改稿も行う予定です(なお記事の「削除」は行ないません)。 - 以下文 - つい先日、動画投稿サイトYouTubeに以下のようなアニメ作品が投稿された。 戦争漫画家として有名な小林源文氏の作品を3DCGアニメ化した"Cat Shit One - THE ANIMATED SERIES"だ。 簡単にあらすじをいうと、「G.I.っぽい民間特殊部隊員のウサギ二匹が、アラブのテロリス

    もふもふしたウサギが主演する戦争アニメは、ただそれだけで非難に値する - R is for Rumor
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2010/07/19
    オモチャのピストルからポップコーンが飛び出すレベルでないとね。/人間が主演でも血が出なかったりすると、なんだかなぁと思う。
  • ニューヨークよ、おまえもか - The cape of an island

    東京ローカルのテレビ局・東京メトロポリタンテレビジョン(MXTV)のニュースで、米ニューヨークの24時間ニュースチャンネル"NY1(ニューヨーク・ワン)"の報道を字幕つきで流すコーナーがある。話によれば提携局らしい*1。 それによると、ニューヨーク市の公共バスで、経営合理化に伴うサービス低下*2などに怒った乗客が運転手につばを吐きかける事件が多発しているとか。 それだけでもびっくり仰天ニュースのような気がするのだが*3、それよりニュースの主眼が別のところにあったので別の意味で驚いた。 「私も吐かれている」……えっ 報道によると、ニューヨーク市交通局には、職務中暴行を受けることによって有給休暇を取得できる制度があるという。2008年に運賃をめぐるトラブルで運転手が乗客に刺殺されたことがきっかけということで、つば吐きも「暴行」として扱われる。2009年には83人のドライバーが乗客から唾を吐かれ

    ニューヨークよ、おまえもか - The cape of an island
  • 『シャーロック・ホームズ』ワトスンが強すぎる件についてちょっとひとことふたことみこと - そこにいるか

    ※冒頭補記:ちょこちょこ事実誤認があるようで、その都度訂正を入れてます。ごめんなさい。 表題の通り、3月17日にガイ・リッチー監督、ロバート・ダウニーJr.主演のワーナー・ブラザース映画『シャーロック・ホームズ』を鑑賞した。 ショッピングモール併設のシネマコンプレックスは、平日午後2時半からの上映にもかかわらず満席。公開から最初の水曜「レディースデー」ということもあってか、女性が目立っていたように思う。ロバート・ダウニーJr.とジュード・ロウの威力か。 すでに情報が流れているが、海外では好調な興行成績を記録し、早くも続編の製作が内定しているという*1。 映画は、背後から迫りくる馬車を表現したサラウンドから始まる。編中そうした音の演出が申し訳ていどにちりばめられているのだが、そのあたりの演出論については詳しくないのでパス(でもとりあえず画に関しては「目ざわりでやかましい映像遊び」という意見

    『シャーロック・ホームズ』ワトスンが強すぎる件についてちょっとひとことふたことみこと - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2010/03/19
    Mの人って、モリ――いや、なんでもない。
  • 「私」と「公」のあいだ(Twitterにおける情報選択の困難さについて) - そこにいるか

    Tweak Twitter上で発言をフォロー(購読)している人が増えてきたからか、あるいは、フォローしている人たちがTwitterというメディアに「慣れた」せいなのか、僕の個人的な観測範囲内でもかなり直截的な性の話題が目につくようになってきた。 旧来型の受動系メディアでは、どんな情報の送り手がどういう情報を作るかを100%コントロールすることはできない。そのかわり、飛び込んでくる情報はある程度スケジューリングされており、そのことを考慮しつつ受け手が選ぶことはできる。なら読む前に選べばよいし、テレビならチャンネルを変えればよい。 しかし、Twitterの場合、基的に「この人の発言を追いかけよう」とフォローした人(アカウント)の投稿が一律にずらっと並ぶ「タイムライン」がコンテンツのすべてである。「常に性的な発言をする人を快く思わずフォローしない」ことはできるが、「自分がフォローする人が性的

    「私」と「公」のあいだ(Twitterにおける情報選択の困難さについて) - そこにいるか
  • 批判はかわさず、それで受けた傷口を観察する - そこにいるか

    十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、非イスラーム・近代主義の立場から、『女性解放』(1899)を著すなどし、「エジプトフェミニズムの父」と呼ばれる弁護士のカースィム・アミーンが「一夫一婦」を称揚する運動を行ったことについて、人類学者で、女性・ジェンダー研究に携わるライラ・アブー=ルゴドが、『「女性をつくりかえる」という思想――中東におけるフェミニズムと近代性』のなかで、こう批判する。 私は(略)次のように主張する。アミーンは女性の権利、教育、就労について語ってはいるが、そうした主張を展開することによって彼が当に奨励しようとしていたのは、近代ブルジョワ家族という家族組織と、そこで理想とされる夫婦愛や科学的な育児であった、と。アミーンが推奨した近代ブルジョワ家族は、のちの西洋フェミニスト、マルクス主義者、そして二十世紀後半の社会理論家たちによって、今では女性に強いられる服従の原因として非難

    批判はかわさず、それで受けた傷口を観察する - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2010/03/10
    射手を殺そうとも、すでに放たれた矢は力を有して天を駆け、対象を射るのである。
  • ひとときの休息を得ようというブロガーへ - そこにいるか

    同じことを考えている人は多いでしょうが、韜晦の権化のように皆を煙にまいていたあなたのこと、これは壮大な冗談なのではないか――と、どうしても思ってしまいます。 そうであればどれほどよいでしょうか。 あなたのブログに対し、大文字の英文*1で嫌がらせのコメントが投稿されたということは、他のユーザーのソーシャルブックマークを通じて知りました。ここしばらく、Webでの活動が鈍っていたのですが、きょう、久々あなたがお書きになったエントリのうち、未読のものに目を通そうとして僕が見たのは、あなたがコメント者とのやりとりの結果、ブログをプライベートモードに設定することにした、という発表でした。そしてその夜のうちに、その通りになってしまったのです。 すぐれたエントリを息を吐くがごとく量産していたあなたを、他のブロガーと一緒になって「追い落としてやろう」などというような失礼な冗談で盛り上がっていたのが、わずかに

    ひとときの休息を得ようというブロガーへ - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2010/02/22
    時期外れブクマ/今でもブクマ見て、タイトルとブコメから内容を思い出したり推測したりしている自分がいる。そして改めて気付く。あの人は天才だった。
  • 「私は感心した」僕は心配です - そこにいるか

    2009年11月8日付の朝日新聞投書欄に、「社会を冷静に観察する中学生」という投稿があった。中学校の教員によるもので、中学三年生の国語のテストに「鳩山政権の政策をひとつ取り上げ、自分の考えを200文字以内の文章にまとめる」という課題を出したそうだ。 以下、引用: 意外にも、「子ども手当はなくしてほしい」が36人で1位だった。理由は「親は何に使ってしまうかわからない」が最多で、「その場しのぎに過ぎない」「保育所を増やすなど支援を目に見える形にしないと、安心して子供を産めない」と続く。子ども手当の対象者が書いたと思うと、苦笑いしてしまう。 2番目に多かったのは「公立高校無償化に反対」の24人。理由は「中学を卒業したらすぐ働きたい人や職人に弟子入りしたい人がいるかも」「誰もが高校に行きたがるという考えを前提にしているのがおかしい」などシビアだ。 私は感心した。子どもたちは親や社会を冷静に見ている

    「私は感心した」僕は心配です - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2009/11/09
    この正論が石の雨になって、ちょっと心配な人たちの頭上に降り注ぎますように。
  • 育児とWebの日々から職場復帰するブロガーへ - そこにいるか

    は世界でいちばん女性漫画家が多い国、と聞いたことがあります。もちろんそれには「女性作家の作品を受容する女性読者」の多さや、「作家の女性性を利用する側面」の可能性など、さまざまな要因もあるのでしょうが、実力のみではかられる世界において、「性別というファクターに関係なく、表現者がその能力を示した」結果のひとつの証左として慶賀すべき事実ではないかと思います。 半年ほどのご活躍の結果、あなたはささやかながら「影響力」をお持ちになるまで地歩を固められました。googleの検索窓におなたのお名前を入力しようとするとアルファベット六文字目でサジェストされる程度には、あなたへの関心を持つ人がいるようです。あなたがブロゴスフィアで歩んでこられた足跡は、広大なWebにおいては辺境もいいところの「はてな」における小径にすぎないという人もいるかもしれません。しかしその「小径」さえ、大きな変化へと至るひとつの可

    育児とWebの日々から職場復帰するブロガーへ - そこにいるか
    keiseiryoku
    keiseiryoku 2009/10/02
    《そうした人々のとんちんかんな認識に触れた第三者に、そのような女性蔑視への違和感をもたらすのは、ほかならぬあなたのような方々の日々のご発言なのです。》
  • 早々と神を裏切った人間が「この子たちが味わうことになるであろうこの先の苦労を思うと」もなにもないもんだ - そこにいるか

    才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか - はてな匿名ダイアリー http://anond.hatelabo.jp/20090408121545 僕自身、絵がうまかったが進路に悩んでいた同級生に、プロになるよう安易に勧めたことがある。別に僕に言われたからそうしたわけではなかろうが、彼はプロになった。しかし現時点で大ブレイクしているわけでもないので、少し良心の呵責を覚えないでもない。 「医者なんて掃いて捨てるほどいるけど、当に才能のある絵描きは歴史を見ても1000人といない」 あんなことを言って。あれはまったく無責任だった。医者だって貴重だ。 それはともかく、世の中には芸術の女神の衣の裾にも触れることができない絵描き*1がごまんといて、それでも生きている。 親の仕事の関係で、そんな人を何人か見てきた。アルバイトで糊口を凌ぎ、お金をためては海外に行って描いた絵で個展を開く人

    早々と神を裏切った人間が「この子たちが味わうことになるであろうこの先の苦労を思うと」もなにもないもんだ - そこにいるか
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