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文化に関するken_woodのブックマーク (168)

  • :デイリーポータルZ:ツインコリダーを見よ

    ご存知の方もいらっしゃるかと思うが、ぼくは団地マニアとしてそこそこ名を知られた人間だ。日々団地造形の魅力を訴求すべく啓蒙活動を行っている。 しかし、ぼくの力不足ということもあり、残念ながらまだまだ団地鑑賞はメジャーな趣味として世間から認知されるに至っていない。申し訳ない。 そこで、さらなる活動強化・テコ入れ策の一環として、勝手ながら今回はこの場を借りて団地の分かりやすい魅力をプレゼンテーションさせていただきたい。 タイトルはずばり「ツインコリダーを見よ」だ。なにが「ずばり」だ。 編集部より:団地を見学される際は、お住まいのかたの共用部分に立ち入らないようご注意ください。 (text by 大山 顕) エレベータータワーに向かって伸びゆく両サイドの廊下、それはあたかも人が持つ未来への希望の象徴のようだ。 すまん、全体的に言い過ぎたが、上の写真を見ていただいてどうだろうか。ぐっとこないだろうか

    ken_wood
    ken_wood 2006/10/22
    美しい。だが最近は入れない建物が多すぎる。
  • 芸術とArtの違い : 404 Blog Not Found

    2006年03月20日01:29 カテゴリArt 芸術とArtの違い これはPerl Mongerとしては一言いわなければならない。 FIFTH EDITION: さりげなく梅田望夫さんが嫌なことを言っている件 芸術というのは、いわゆる一つの文化の最終地点であって そこでどこまで踏みとどまれるかで、その文化の寿命が決まる。 そこから先はない。一つの文化が、成熟期から衰退期にさしかかった事を しめす言葉だと僕は思っている。 芸術家、失礼Artist、palさんをして「芸術」をそう思わせたこの国の「ゲイジュツカ」達の罪は思いやもしれぬ。 英語いうところのartという言葉には、「芸術」が臭わせる終末感はほとんどない。その語源は「腕」である"arm"に通じ、広義には「人間が築いて来たもの」全てがここに収まる。「孫氏の兵法」は"The Art of War"だし、「教養課程」は"Liberal Ar

    芸術とArtの違い : 404 Blog Not Found
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    ken_wood 2006/05/27
    >芸術は、断じて「芸術家・批評家」のものではない。自らの手を動かし何かを成す全ての人のものである。行為そのものが報酬なのだ。その意味においてブログとは立派なartなのである。
  • livedoor ニュース - 大道芸の楽しみ方を忘れた日本人

    大道芸の楽しみ方を忘れた日人 2006年04月20日07時51分 / 提供:PJ 写真拡大 東京・秋葉原駅前で演奏するペルー人楽団、17日。なぜか、立ち止まらない日人。(撮影:穂高健一) 【PJ 2006年04月20日】− 派手な民族衣装を着たペルー人たちが17日の夜、東京・秋葉原駅前で楽器演奏をしていた。電気街に買い物にきた欧米人の親子連れが聞き入っていた。腰を落とした日人の若者が遠巻きに数人。オフィスから駅に向かう、大勢の通行人は楽団『アミゴス』を横目で一瞥し、通り過ぎていく。拍手は外国人のみ。売れるCDは細々としたものだ。  5人の楽団員は午後3時から演奏を続けていた。残り三曲、午後7時で止めるという。投げ銭が入った楽器ケースをのぞき見ると、千円紙幣が2枚と、硬貨がすこし。「日人は忙しいね。立ち止まって聞いてくれない」と、楽団リーダーのカル・マンタさんがたどたどしい日語で

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    ken_wood 2006/04/25
    >日本人は欧米人に比べ、スマイルや笑いが少ないといわれる。大道芸人たちの回りで笑ったり、音楽を聴いたり、飛び入り参加したり、庶民が投げ銭の百円玉ひとつで楽しめる
  • オンラインゲーム & PCゲーム 情報サイト 4Gamer.net - ゲーム評論不在の日本で,評論の場を興す試み。GLOCOMのRGN

    情報が取得できません。自動での移動を中止しました。(Can not get a information.Aborted move.)

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    ken_wood 2006/04/23
    >ゲームライトノベルで死の表現が表層的(小説や映画ではクリエイター達は限界を意識しつつすごくがんばっている。」リセットしようがゲーム体験として固有の死を演出するといった,新しい試みはなされている
  • 音楽配信メモ クリエイターは「批評されること」そのものを問題にしているのではない

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    ken_wood 2006/03/26
    >システム側で一定レベル以下のレビューはフィルタリングした方がいい。「0→1のクリエイター」と「1→10のクリエイター」、「賞賛よりも的を射た批判がクリエイターの糧になる」というのは後者のみ。
  • <アンチであること>は本質でありうるか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    かつて左翼が既存のシステムに対抗して生み出した戦術や表現の中には、それこそ「そこでしか生み出せなかった美/快楽」が存在しているのだと思います。68年のパリ五月革命然り。ウッドストック然り。セカンド・サマー・オブ・ラブ然り。 アビー・ホフマンやKLFの痛快さは、それこそ彼らが対抗する「権威」や「権力」があってこそ際立つものです。そうした文化に触れる機会をつくること、そうした視座を失わないことこそ、「左翼」に求められていることではないかと思います。 足りないのはKLFとアビー・ホフマンなんじゃないの? - 想像力はベッドルームと路上から 「2006-03-20 - モジモジ君の日記。みたいな。」関連。このあたりは考えどころだと思ってる。 まず、カウンター・カルチャーと呼ばれるものがなぜ魅力的なのか。あるいは当に魅力的なのか。たとえば僕の場合、カウンター・カルチャー的なものがあまり好きではない

    <アンチであること>は本質でありうるか - モジモジ君のブログ。みたいな。
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    ken_wood 2006/03/22
    >カウンター・カルチャーと呼ばれるものがなぜ魅力的なのか。
  • センス競争は悪か? - 死に舞

    http://d.hatena.ne.jp/VanDykeParks2/20060226/1140888403 http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060304/1141461766 基的にあらゆる文化の価値観は人を馬鹿にすることでなりたっていると自分は思ってる。 あのムハンマドの風刺画問題で一つ勉強になったのはフランスには人を馬鹿にする権利があるということだ。宗教的なことがらについてもそれがある特定の集団(例えばイスラム教徒やキリスト教徒)ではなく、ある宗教の象徴(つまり十字架とかコーラン)をならば馬鹿にすることがゆるされるらしい。 まあ日がそこまでの表現の自由があるべきか否かはとりあえずとして、その話から俺は人の趣味を馬鹿にすることはそんなに問題はないと思っている。というか自らの趣味の価値を信じるならば、そこに他の趣味としての上下関係はあるのは当然

    センス競争は悪か? - 死に舞
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    ken_wood 2006/03/05
    >自分をセンス競争から解脱した仏陀だと思ってるのかしらんが、それこそ自らが「狭い趣味のあなたよりリベラルな趣味の自分」がより優秀だというセンス競争に加担していることを隠蔽するようなロジック
  • http://toron.pepper.jp/jp/syndrome/shien.html

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    ken_wood 2005/10/23
    >彼らの反日感情は、日本人が儒教朱子学の序列秩序に黙って従うことを要求したものである。