ヘルタ・ベルリンへの移籍を決めた原口。愛する浦和から旅立ち、欧州の舞台に乗り込む 【Getty Images】 17歳でユースからトップに昇格した若者は、どこか所在なげで、なにより孤高だった。ボールを持ったら離さない。左サイドからゴール中央へカットインして右足シュート。『俺のゾーン』と公言するこのパターンだけに固執し、その存在意義を誇示することだけがサッカーをプレーする動機のように振る舞った。ひとつ年上だが同時期にトップチームへ引き上げられた山田直輝、濱田水輝、高橋峻希(ヴィッセル神戸)、永田拓也(横浜FC)らとの信頼関係は強固だが、それを表に出さずに不遜な態度を貫く所作に揺るぎない自信をにじませた。 個人的に、『彼はサッカーをプレーしていて楽しいのかな』と心配したことがある。それを本人に問い質すと、少し戸惑った表情でこう言った。 「うーん、もちろんあらゆる勝負に勝つという思いでプレーをし
26日のチームトレーニング後、大原サッカー場でドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンへの完全移籍が発表された原口元気の記者会見が行われた。 【原口元気】 「自分の目標である日本一の選手になるということをかなえるためには、もっと成長していかなくてはいけない、より厳しい環境に身を置きたいと思い、移籍を決断しました」 【質疑応答】 (移籍を決断した要素にワールドカップのメンバー選考は?) 「それもありますが、自分として、もっともっと上に行きたい、うまくなりたいという気持ちが強くなっていたので、それが抑えられなかったということです。浦和レッズのクラブスタッフや選手、監督が非常に前向きに話を進めてくれましたし、行ってこいと言ってくれたのでスムーズに話が進んで良かったです」 (ヘルタの細貝選手と何か話したか?) 「移籍の前に話すことはなかったですが、ある程度決まった後には連絡を取って色々なことを教え
ドイツ1部ヘルタへの移籍が決まった浦和MF原口元気(23)が26日、さいたま市の大原グラウンドでの練習後取材に応じた。練習後には、多くのサポーターからのサインや記念写真に対応し「頑張って来てね」と声援を受けた。 原口は「うまくなりたいという気持ちのほうが強かった。さみしい気持ちというよりも、タイトルを取ってからと思っていたので、心残りはある。あと2試合、レッズのエンブレムを背負って全力でプレーしたい」と語った。少年時代の江南南以外は、ジュニアユース、ユースと浦和育ち。「箱入り息子なので」と言うが、「いちから原口元気を作りたい」と意欲的だった。
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