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鎌倉時代に関するkmonのブックマーク (1)

  • NHK高校講座 | 日本史 | 第10回 第2章 武家社会の形成と生活文化のめばえ 平氏政権の登場

    郷先生 「当時の院政の状況は、白河(しらかわ)天皇が上皇になって、長く院政を行っていたんです。その白河上皇を継いだのが孫の鳥羽(とば)上皇。鳥羽上皇の息子が崇徳(すとく)上皇と、後白河(ごしらかわ)天皇なんですけれども、あまり仲がよくない。特に、この2人は仲が悪かったんです。」 平安時代の末期、朝廷では後白河天皇、その兄・崇徳上皇の上で父・鳥羽法皇が院政を敷いていました。 1156年、その鳥羽法皇が亡くなると、かわって院政を行おうとしたのが崇徳上皇でした。 しかし、弟の後白河天皇が異を唱え、政治の主導権をめぐり対立が深まります。 崇徳上皇は左大臣・藤原頼長(ふじわらのよりなが)と、対して後白河天皇は藤原忠通(ただみち)と手を組みます。 頂点に立つ2人の権力争い、その下で摂関家も上皇方、天皇方に分かれて対立します。 この問題に決着をつけるために、貴族たちは武士の力を利用します。 崇徳上皇は

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