「逆の方に変わっていたんじゃないですか。ヤバい方に」 ある「人生の節目」について語った時、野太い沈着な声色が俄かに熱を帯びた。広島のマツダスタジアム、一塁ダグアウト裏に設けられた会見室でNumber878号のインタビューに答えてくれた黒田博樹が、24年前のある冬の日に思いを馳せていた。 「現時点が無い……今の自分が無い可能性もある。やっぱり、ひとつの出来事で人生は変わると思いますね」 <センバツ推薦の上宮高校が辞退> 「毎日新聞」大阪版の社会面にこんな見出しが刷られたのは、1991年12月28日の未明のことだ。前月に発売された宮沢りえのヌード写真集が記録的に売り上げを伸ばしている最中で、海の向こうでは1週間前にソビエト連邦が消滅していた。黒田が人生のターニングポイントを迎えたのは、そんな日の朝だった。 甲子園という青春を奪われた黒田の、意外な言葉。 「高校3年時に公式戦登板なし」というエピ