476年、西ローマ帝国最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスが追放され、ゲルマン諸部族は支配体制が崩壊した旧帝国領土に次々とゲルマン諸国家を建国した。 しかし、彼らはローマ帝国から完全に独立した王国を築いたわけではなく、残った東ローマ皇帝を宗主と仰ぎ、あるいは同盟者として振舞った。ロムルス・アウグストゥルスを追放したオドアケルは東ローマ皇帝によってパトリキウス、ついでコンスルに任命され、ブルグント王グンドバットはガリア総督、東ゴート王テオドリック大王もコンスルに任命され、フランク王クローヴィス1世も西ゴート王アラリックを倒した後東ローマ皇帝からコンスルに任命されている。 ゆえに彼らは王国を統治するにあたってもローマ帝国時代からのローマ法を踏まえた統治体制を築こうと努力している。当時のゲルマン諸王に大きな影響を与えた法典として、437年、東ローマ皇帝テオドシウス2世によって編纂され439年に西