まだ私が学部1,2年生の頃、中世哲学、とくにアウグスティヌスの専門家の中沢宣夫先生に対し、大変生意気な質問を投げかけたことがある。ソクラテス以前の哲学についての講義の際、哲学の一命題としての「良く生きる」ということに関して、私は中沢先生にこう問いかけた。一体、söllen に基づいて生きることに、どういう意味があるのか、そういった生き方の先には、世俗社会と乖離した、哲学者の独断的狭小な社会が開けるにすぎないのではないか、というような内容だったと記憶する。この、私の不躾な質問に対して先生はムッとするどころか、ニコニコ顔で、このような質問をした私を褒めてくださった。とても穏やかな先生であった。 国を憂い、社会を憂いて、あるべき社会を目指して行動しようとする。こういった生き方を全面的に否定するつもりはないけれども、このような仕方、つまり自分の進むべき、あるべき道を自ら定め模索するようなやり方は、