タグ

communicationに関するmicrotestoのブックマーク (65)

  • 550ジェームズ・スタンロー著(吉田正紀・加藤将史訳)『和製英語と日本人――言語・文化接触のダイナミズム――』 - akamac's review

    書誌情報:新泉社,298頁,体価格2,500円,2010年7月25日発行 和製英語と日人―言語・文化接触のダイナミズム 作者:ジェームズ スタンロー発売日: 2010/07/01メディア: 単行 - 日常の日語には英語由来の外来語・文章が5〜10%を占めているという。「日ほど英語が広く使われている非英語圏の国はない」(5ページ)。書で紹介されているある調査(1996年)によれば,子ども向け漫画で18%,成人向け週刊雑誌では12%の英語語彙だった。日語の乱れの表れとして,また英語帝国主義批判の文脈から,英語話者には通じないことの多い和製英語(カタカナ英語)の氾濫が問題視されることになる。 アメリカ人言語人類学・認知人類学者の手になる書は,「一つのよそ者の見方を提示」(「日語版あとがき」,291ページ)した日語論だ。英語英語由来の外来語の使用例,Jポップ(これも和製英語

    550ジェームズ・スタンロー著(吉田正紀・加藤将史訳)『和製英語と日本人――言語・文化接触のダイナミズム――』 - akamac's review
  • 偽論ができない困った人の○○

    lastline @lastline @Penangal ちょっと○○のことdisらないでくださいよ! ちょっと●●だからってすぐそうやって批判するの良くないですよ! ペナンガル @Penangal @lastline いえ私も一概に○○を全否定しているわけじゃなくてですね、可能性は感じているんですが、だからこその忠告、提言をしているわけです。ただ、現状の○○はやはり残念だな、と。

    偽論ができない困った人の○○
  • 「未成の存在証明」(1971) - D's BLOG

    栗原彬によれば、少年であるとか、中年であるということに比べると、青年であることはとてつもなく重い。 まずはエリクソンのおさらい。 精神分析的自我心理学者エリック・H・エリクソンは、ライフ・サイクルの発達段階に即して解くべき基的課題を次のような葛藤のシリーズに仮説化した。すなわち、揺籃期の<基的信頼 対 不信>、幼児期の<自律性 対 恥・疑い>、遊戯時代の<自発性 対 罪意識>、学校時代の<勤勉 対 劣等感>、青年期の<アイデンティティ 対 自己拡散>、成人前期の<親密性 対 孤独>、成人後期の<創造性 対 停滞>、成熟期の<インテグリティ 対 絶望>である。一つの段階の葛藤が解決されるためには前段階の葛藤の解決が必要であり、これらは継起的なサイクルを構成する。 そして、各段階の葛藤が解決されてゆくとき順次形成される人間の基的な活力としてエリクソンが取り出すのは、希望、意志、目的、技能

    「未成の存在証明」(1971) - D's BLOG
    microtesto
    microtesto 2009/03/06
    非コミュでわーわー言うてる人への処方箋
  • Trent Reznorから中国のファンへ:海賊盤を買うな、ダウンロードしてくれ | P2Pとかその辺のお話

    P2Pとかその辺のお話 WinMXとかWinnyとか、日ではろくな扱いを受けていないP2Pですが、海外ではけっこう真面目に議論されてるんですよというブログ。 >中国という国は、お世辞にも解放的な国とは言いがたい。それは、政治的、社会的な面だけではなく、文化的な面においても閉鎖的な傾向が強い。特に、欧米の文化に対しては可視的であれ、不可視的であれ、非常に強い制限を課している。もちろん、その合間を縫って海賊盤ビジネスの温床ともなっている。そのため、中国における海外文化影響を語る上では、商用の海賊盤、海賊版なしには語れない部分もある。そんな状況に対しReznorは、合法的に手に入れられないのであれば、海賊盤を買うよりも、無料でダウンロードしてくれ、と訴えているよというお話。 原典:BoingBoing 原題:Trent Reznor to China: download our music,

  • 「他者が無い」とはどういうことか? - kuriggen’s diary

    今日の引用。 ジャック・ラカンのセミナール『精神病』より。(1956年。「穴の周囲」) 私はこの主張を、異なるグループに属する人の口から聴いたのですが、それは「その人にとって、他者というものが無いという人を分析することはできない」というものです。 「他者というものが無い」とは一体どういうことを言わんとしているのでしょうか。こういう定式は真実に近い何らかの価値を、たとえいかに貧弱であれ、持っているのでしょうか。何のことを言っているのでしょうか。体験上のことでしょうか、他のものに還元できない感覚のことでしょうか。私達の症例シュレーバーを例にとれば、彼にとっては確かにすべての人間はしばらくの間「へのへのもへじのいい加減な奴」の状態になっていました。しかし、彼にはちゃんとひとりの他者があります。それは特別に強調された他者、絶対的な他者=A、全く根的な他者=A、ひとつの位置とかひとつの図式とかいっ

    「他者が無い」とはどういうことか? - kuriggen’s diary
  • ネットワークのオプション価値(Option Value of the Internet )

    1. オプション価値とは ファイナンスで知るべきことってのは、実はそんなに多くはない。式としては 3 つあれば、理論としての用はだいたい足りる(それを実際に使うとなると、また話は別だけれど)。一つは CAPM、一つは M&M、そしてもう一つは、ブラック・ショールズの式、というやつだ。 CAPM というのは、リスクが高いと、それなりの見返り(リターン)が見込めなければ人はお金を出さないよ、というのをきちんとモデル化したものだと思えばいい。M&M というのは、企業の価値を決めるのはその企業がどういう事業をするかで、そのためのお金をどうやって集めようと関係ないよ、というのを式にしたものだ。 ここまではまあ、わかりやすいといえばわかりやすい。が、最後のブラック・ショールズの式というのは、ちょっとたちがちがう。これはオプションというものの値段を理論化したものだ。そしてオプションというのは、いわば、な

  • ウェブに「他者」は現われるのか? - G★RDIAS

    kanjinaigordiasの主催者のひとりとして、いままで何度かコメントを削除してきた。そのうちの一件の削除に関して、コメントで渡邊良樹さんという方が違和感を唱えられた(削除されたコメントは別の方のものである)。そのコメントの中で、下記の部分は、改めてエントリーを立てて考えてみるに値すると思ったので、とりあえずここにエントリーを立ててみる。 その部分を引用する。 遠く離れた難民とか言葉を交わすこともなかったホームレスに対してはきわめて共感的なのに、現実に対話している相手とのやり取りがすぐに切れるのも不思議です。反論も何もして来ない相手にだけは、ほしいままに同情できるという風に見えてしまいます。 kanjinaiは、自分が管理人の役割をする掲示板(類)においては、書き込みは管理人が恣意的に問答無用で削除できる、削除の理由は開示しなくてよい、削除に関しての議論は受け付けない、という方針で

    ウェブに「他者」は現われるのか? - G★RDIAS
  • 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2』 - sekibang 1.0

    ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2posted with amazlet on 07.04.22東 浩紀 講談社 (2007/03/16) 売り上げランキング: 1045 Amazon.co.jp で詳細を見る 『動物化するポストモダン』からその続編として書かれた『ゲーム的リアリズムの誕生』において、筆者の着眼点はオタクから見る社会的分析から、オタク的なもの(ライトノベル、美少女ゲームなど)そのものを批評することにシフトしている。そこで語られる対象をおそらく筆者は肯定的に迎え入れているのだが、個人的にの中で肯定されている全ての部分がしっくりとこなかったし、「一生ラノベなんて読まないだろう!」という確信が強まるばかりの読後感である。議論そのものは北田暁大のコミュニケーション論と重なり合うものもあり興味深いのだが……。あと『涼宮ハルヒ』のシリーズが400万部も売れてる、ってい

  • 鷲田清一 on 「孤独」 - Living, Loving, Thinking, Again

    小国綾子「あなたは今、孤独ですか。 哲学者、鷲田清一・大阪大副学長」http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070418dde012100021000c.html 「国連児童基金」による国際調査で「「孤独を感じる」と答えた15歳」の率が日は世界でも「ダントツ」だったことを承けての鷲田清一氏へのインタヴュー。 なお、この調査については、張江洋直氏*1が既に言及している。また、http://d.hatena.ne.jp/iera/20070214/p1やhttp://d.hatena.ne.jp/kaerudayo/20070216#p2でも。 鷲田さんは、 孤独って感じるもの。一人の時に『私は私』と思うか、仲間外れにされたと思うか。日の子は孤独というより、人から見捨てられることに弱くて敏感。孤独は英語でソリチュード(solitu

    鷲田清一 on 「孤独」 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「好運にめぐりあえなかった金持」のためのエチュード - たいしゅううんどう

    「好運にめぐりあえなかった金持」。確かにそうだ。世界を来自分のものだと信じ込んだ人間、ところが世界は他人たちのもので、自尊心が傷つけられるものだから、世界を粉々にしてやろうと思いたつ人間、「好運にめぐりあえなかった金持」こそが、ラディカルに観念を疎外するのである。「好運にめぐりあえなかった金持」が地下室の住人の質だ。地下室の住人は、なにもかもが愚劣で無意味だと地上の世界を非難する。しかし同時に地上に対して卑劣なあこがれを抱き、この感情をもてあましているのが地下室の住人なのである。彼は考える。どうせ地上に出られないものならば、地上などは炎のなかで滅びてしまうがいい……。(『テロルの現象学』,笠井潔,1993,ちくま学芸文庫,p071-072)ぼくときみとヘーゲル笠井潔氏が、いわば既に「終わりつつ議論」――だが幽霊的に回帰してくる議論として――セカイ系を如何にして議論しているのか、私は知る

  • 『ニッポンの小説』 もう何も生えないのかというと… - 東京永久観光

    高橋源一郎『ニッポンの小説 ―百年の孤独』(asin:416368610X) なにか言いたいはずなのに、うまく言えない。どうしていいか分からない。それだけが小説なのだ。だからこそ小説を書いていたいのだ。ニッポン死すとも、小説は死なず! ――だいたいこんな要約と結論で、いかが? 高橋源一郎は、やはり、「言語では表現しえないなにか」について考え続ける人なのだ。言語では表現しえないなにか。たとえば「死者を描くこと」、たとえば「他者と関わること」、たとえば「存在とは何か」、たとえば「コミュニケートすること」。 * 師匠「神とはいかなるものか、答えよ」 弟子「森羅万象の創造主です」 師匠「くだらぬ。神はそのようなものではない」 弟子「では、これこれこういうものですか」 師匠「あまい。わかっとらんな」 弟子「では、かくかくしかじかのものでしょうか」 師匠「それも違う」 弟子「ということは…。もしや神は

    『ニッポンの小説』 もう何も生えないのかというと… - 東京永久観光
  • タバコ部屋は僕らのパラダイスなのさ! - フランシーヌの場合は

    mixiのノンスモーカーコミュニティに、あるトピックが立った。 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17269536 非喫煙者より喫煙者の方が、仕事が良くできているように見える。多分それは、タバコ部屋のコミュニケーションがあるからだろう。非喫煙者の自分はどうしたらいいだろうか。 超共感したので、これに関するエントリーを書く。 タバコ部屋ってうらやましいよね。 たとえば仕事で接点のない部署の人と、たとえば普段話すことのない上位上司と、話ができる。仕事に関係あることないこと話しているうちに、他の部署の仕事が見えてきて、互いの得意分野が見えてきて、会社全体の方向性が見えてくる。 こういうことは、ぺーぺーのウチはへーそうなのかで終わるけれども、自分の責任範囲が広がるにつれて、手を動かす側から仕切る側にシフトしていくにつれて、少しずつ有益な情報になる場面が増えてくる。 今困っ

    タバコ部屋は僕らのパラダイスなのさ! - フランシーヌの場合は
  • 親のない子を父なる神の愛へ丸投げ状態の養護施設 Firedragon戦記/絆なき者の記録

    養護施設にいる間の問題 誰にも誰もいない事で保たれる無愛着地獄で唯一求めても許される対象者として父なる神の愛があった。不遜にも「父なる神の愛」の愛の部分だけを用いて「幼子のように神を求めなさい」と伝えられる事に対して、わたしはすぐにやさぐれ気分になる。 養護施設での父なる神の愛への解釈と方向付けについて、わたしはいつも違和感を覚えていたのだと思う。だからクリスチャンとしての迷いが常にありいつも挑戦的だったと思う。 親から捨てられたり、養育放棄で保護されたりした子は施設にい続ける限り「人間的な親の愛」を求める事は不可能、その事から意識を逸らさせる為にキリスト教へ向わされる事は、神に対して不遜ではないかとさえ感じる。神の愛と人間的な愛は等価交換できるものじゃない。 家庭から措置されてきた子たちは、鼻先で説教や祈りや賛美歌を笑っていた。彼らは外の世界を知っていたので「父」と言えば、自分の父親が浮

  • 失敗しない自宅サロンの開業方法

    ここでは自宅サロンを開業するまでの流れを3つのステップで解説していきます。この流れに沿って見て頂ければ、自宅サロンを開業するまでの最適な道のりがきっと見えてくると思います。まず3つのステップは以下のようになっています。自宅サロンの具体的イメージを固める自宅サロンのメニューを考える自宅サロンの開店準備...

    失敗しない自宅サロンの開業方法
  • 2007-03-28

    このいやはての集いの場所に われら ともどもに手さぐりつ 言葉もなくて この潮満つる渚につどう…… かくて世の終わり来たりぬ かくて世の終わり来たりぬ かくて世の終わり来たりぬ 地軸くずれるとどろきもなく ただひそやかに (The Hollow Men T. S. Eliot (1925)より 井上勇訳) finalventさんが「静かに自然にやってくる…人類滅亡の日」のことを書かれていたので。 思い出したのは『渚にて』でした。 いじめと現代社会BLOGで紹介されていた壮絶な管理教育("熱中教育")の例などを見るにつけ、自分がそういう教育環境に出くわさなかったのは幸運だったと思います。そしてそれ関係であちこち見て回った折、nigellanoireさん@ニゲラ嬢の雑記帖の「■[book]私も属したあの・・・?」という記事から、明治学院大の原武史さん(44)によるある書籍の出版紹介(記事)に出

    2007-03-28
  • 専門知への不信 - The best is yet to be.

    383: 名無しさんの冒険  2007/03/13(Tue) 22:22 >>379 専門知が信頼されないのって、もっと単純なことなんじゃないの? そこらへんの 学部卒者に聞いてみれば分かるが、学部以上の文系高等教育(専門知)って大半の パンピーにはイヤな思い出でしかないのよ。経済だと「わけのわからない計算をやら された」とか法学だと「晦渋で訳が分からなかった」とか。何とか最低限の勉強だ けして単位だけは取るけど、もう思い出したくもない人も多いんじゃない? 何とか万人に広く薄く詰め込めるのは初等中等教育までかな、という感じなんだけど。 学部卒者でさえそうなのに、初等中等教育で落ちこぼれた人・中等教育までで済ませ た人の「教養」「知識」「学歴」に対する敬意と軽蔑の二律背反は凄いものがある よ。自ずと専門知は尊敬されつつ軽蔑される宿命にあるんですよ。 企業人も知力シグナリングとしての「学校の成

    専門知への不信 - The best is yet to be.
    microtesto
    microtesto 2007/03/15
    本当は各々が専門人となって専門家同士の共感作用で世の中動かしていくのが理想なんだろうけど、大半の人々が専門人でないからこういう考えは悪しきエリート主義と言われるんだろうなぁ、と嘆息。
  • http://d.hatena.ne.jp/i_orita/20070225

  • 北沢かえるの働けば自由になる日記 - 書いて置けよ、わかるように

    自動的に移動しない場合はをクリックしてください。

    microtesto
    microtesto 2007/02/23
    恥ずかしい事をしたと反省できるなら探し出して謝罪と提言位は出来るんじゃないのとか思うよ。
  • 「自己本位」というポジション(heuristic ways)

    先日、図書館で柴田勝二『漱石のなかの〈帝国〉 「国民作家」と近代日』(2006年)というを見つけ、借りて読み始めたところ、冒頭に漱石の「個人主義と国家主義」の問題について書かれているくだりがあった。そこでは、漱石を『文学論』の構想・執筆へと向かわせた「自己位」の姿勢とはどういうものであったかということが、「私の個人主義」(1914年)などの講演を参照しつつ論じられている。 もともと漱石が任じようとする「個人主義」の起点をなすものは、漢文学への親炙のなかに育ちながら、青年期にそれらとは距離のある英文学を研究分野に選ぶことで、文学の包括的な像を見失った際に、価値判断の基準として浮上してきた自己の内在的な感覚としての「自己位」である。 この一節に何か心揺さぶられるものを感じて、少し考え込んでしまった。たとえば私がフリーターになったのは、学校教育や消費社会への親炙のなかに育ちながら、青年期

  • 京都を原爆から守った論理 - atutake's diary

    3マイル以上人口稠密地域の続く百万都市 第二次大戦後期、アメリカでは原爆開発が進められるとともに、その攻撃対象が検討されていた。いわゆるマンハッタン計画である。上記はその条件の一つであり、ほかにも一発の原爆で街の大部分が破壊される集中的形態の都市であること、8月までにまだ通常の空襲がなされず街が破壊されていないことなどの条件があった(毎日新聞1月14日『時代の風』)。 こうした条件を検討した結果、第一の候補となったのが実は京都だったという。京都こそは求められる条件を満たしているだけでなく、この街を破壊すれば日人に壊滅的な衝撃を与えることができる。軍事的効果を検討する委員会では、原爆投下の最有力候補として京都が強く推されていたらしい。 ところが、当時の陸軍長官が京都投下に反対する。毎日新聞の記事によれば、そもそも長官が反対した理由は、彼が京都に対して個人的な好意を抱いていたからのようだ。戦

    京都を原爆から守った論理 - atutake's diary