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ブックマーク / iiwarui.blog90.fc2.com (8)

  • 三原弾正貞吉と鴛鴦

    mimizuku004
    mimizuku004 2010/12/05
    『三原「鳥のくせにリア充だと!?許せん!!」』やめろwwwww
  • 雑談・徳川家光の日光参拝って…

    2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板  http://ikura.2ch.net/sengoku/ 280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 02:51:07 ID:FDA9ccdO 家光の家康崇拝は有名な話で、日光参拝も10回ほど行っております。此処までならいい話なんですが、 将軍が行くとなると当然お供がいるわけでその人数が10万人とか、1回の参拝に20万両(400億円)ぐらい必要とか 聞いたんですが実際のところはどうだったんでしょうか? 281 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/25(土) 03:15:22 ID:l5ICK/GH >>280 そう聞いたならそれでいいんじゃないか? まぁ徳川自らが10万も動員するわけないし 緒大名も歩役がわりに参拝させられてたんじ

    雑談・徳川家光の日光参拝って…
    mimizuku004
    mimizuku004 2010/11/10
    『だから江戸時代の日本に蹄鉄は無いと(ry』そうなんだ。隆慶一郎の小説では普通に出てたからそう思ってた。/ http://j.mp/cdSyOS
  • 「嫐討ち(うわなりうち)」

    2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板  http://ikura.2ch.net/sengoku/ 701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/10/14(木) 23:22:43 ID:sz+BS87Q 「嫐討ち(うわなりうち)」というのを御存知だろうか。 「嬲」じゃないぞ。「嫐」だぞ。 嫐討ちは、離婚した夫が新たなを娶ったとき、先が後のもとに 押しかけて乱暴狼藉をはたらくという日古来の慣習である。 別名を「後討」と言う。 先側は仲間(全員女)を集め、ホウキとナベで武装して後の家に 攻撃をかける。後の家には前もって宣戦布告を通達し、後側に 迎撃準備の時間を与えるのがルールなのだという。 嫐討ちを実行した有名人には、源頼朝の正室北条政子がいる (離縁はしてないけど)。 頼朝がよそに女をつくるた

    「嫐討ち(うわなりうち)」
    mimizuku004
    mimizuku004 2010/10/19
    『嫐討ちは、離婚した夫が新たな妻を娶ったとき、先妻が後妻のもとに押しかけて乱暴狼藉をはたらくという日本古来の慣習である。』(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
  • 薩摩示現流「雲耀の太刀」

    233 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/26(日) 04:43:20 ID:YrGJtvZ3 そういや小松明みたいなトンデモ武器って他にもあんのかね? 243 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/09/26(日) 15:03:13 ID:PeIkm/EU >>233 トンデモ武器は無いがトンデモ技ならあるよ 示現流の奥義「壱ノ太刀」は有名だが 開祖の東郷重位だけが使えた奥義マスター壱ノ太刀こと「雲耀の太刀」 その神髄は脈拍の8000分の1の速度で敵を両断する事なんだが 東郷重位(184㎝)、脈拍(分70)、太刀の刀身(1m)として 蜻蛉の構えから弧線距離で剣先の速度を計算してみると 雲耀の太刀の剣速は軽く秒速30万mを超える 現代兵器に換算すると実用型レールガンの2倍の速度 因みに雲耀とは雷光のことですがサンダーリードの速度は更に10倍 流石に雷速とまではいか

    薩摩示現流「雲耀の太刀」
    mimizuku004
    mimizuku004 2010/09/27
    ダイゼンガーでもムリダナ。
  • 前田利家「不遇な時にこそ本当の友情が」

  • 里村紹巴の連歌論

    2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板  http://ikura.2ch.net/sengoku/ 312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/26(火) 16:11:22 ID:y1i15NtW 里村紹巴と言えば、戦国後期を代表する連歌師である。 その紹巴には、心前兼裁などといった、優れた門人が多かった。 彼らは皆、それまでに無いような奇句や作意を行い、聞く人の耳を驚かせたが、 その師匠の紹巴と言えば、彼らの句に比べると、その中に子細を含めているわけでもなく、 作意と言うべき所も無い、ただ素直なばかりで、人が『面白い!』と思うような所も無かった。 ある人がこの事を、思い切って紹巴自身に聞いてみたことがあった。 紹巴はこれに 「どんな事でもそうなんだけどね、風景の内、面白く奇妙な部分をとりわけ強調して

    里村紹巴の連歌論
  • 江戸城西丸御殿にて、徳川家光、大久保彦左衛門に遭遇する

    mimizuku004
    mimizuku004 2009/08/16
    この話、今読んでる柳生武芸帳に出てたわ
  • 柳生五郎右衛門宗章「逆風の太刀」・いい話

    2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板  http://ikura.2ch.net/sengoku/ 122 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/23(月) 20:33:31 ID:aDoh3T+7 ■柳生五郎右衛門宗章「逆風の太刀」の逸話 柳生五郎右衛門宗章は、柳生石舟斎の四男である。 (つまり、但馬守宗矩の兄で、兵庫助利厳の叔父) 彼もまた、石舟斎直々に新陰流の免許を受け、小早川秀秋に300石で仕えた。 だがしかし、関が原の合戦の後、秀秋が急逝。 小早川家も断絶となり、これにより、浪人の身となってしまった宗章は 知己の米子藩中村家の家老、横田村詮のところへ身を寄せた。 村詮は宗章を快く迎え、中村家の剣術指南として推挙しようとした。 だが、若年の藩主である中村一忠(中村一氏の息子)は 村詮と折り合いが悪

    柳生五郎右衛門宗章「逆風の太刀」・いい話
    mimizuku004
    mimizuku004 2009/03/24
    話半分でも9人斬ったことになるからなー。凄まじいの一言。
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