タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

コミュニケーションとはてなに関するmisato-girlのブックマーク (2)

  •  褒めることのむずかしさ - イチニクス遊覧日記

    何かの「良さ」を人に伝えようとするときに、「好き」という言葉を選ぶことが多くなった。もしくは「良いと思う」とかね。 この「良さ」の判断基準は「私」にありますよー、ということを示しておきたいとき、好き、という言葉はとても便利だ。 例えてみる。 「私は焼肉が好き」 これはあなたにとっての焼肉がどうであるかは含まない。私は私の焼肉を好きだ、っていう、それだけ。しかし、 「焼肉は良いものだ」 これだと、私だけでなく、世界にとって焼肉の良さをアピールしているようになる。なりませんか? 少なくとも、「おまえも良いっておもうだろ、な?」というような、迫ってくる感じがある。強い気がする。そこで、 「焼肉は良いものだと(私は)思う」 としてみると、「良さ」は再び私に結びつけられる。 → しかし、そうやって安易に「好き」という言葉を選ぶのは、何か違うような気がしている。言葉の手綱を握っていたい気持ちはあるけれ

     褒めることのむずかしさ - イチニクス遊覧日記
  • オフ会はコミュニティから緘黙傾向者を排斥するからです←結論 - 呉

    かも知れない、自分の場合は。ルックス以外の困難の話が出てきたので書くと。 2〜3年前の私は宅間死刑囚(執行済み)とシンクロするくらい人間が嫌いで、社会が嫌いで、コミュニケーションが嫌いで、私は孤独であり、見捨てられており、死んだほうが世のリソースを無駄にせずに済むのはわかっているが、その前にみなが死ぬのを見てみたいというどす黒い闇を抱えていた。 その頃の私にはオフ会なんてものを企画するだけで私に鋭い刃を突き刺すに等しい行為だった。そんな明るい世界を垣間見せる人々を恨んでいた。死ねばいいと思っていた。 この時、オフ会を企画すると声をあげていた人は、私を抑圧していたのだろうか? そうじゃないだろう。私が私の内なる暗闇で育てた憎しみとか絶望が内側に切っ先を向けたのだ。傷つけと。こういう風景を見たらお前苦しいだろ、さあ思い切り傷つけと。 http://anond.g.hatena.ne.jp/an

    オフ会はコミュニティから緘黙傾向者を排斥するからです←結論 - 呉
  • 1