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長崎に関するmisato-girlのブックマーク (8)

  • オリーブベイホテル【公式】

    小さいけれど、贅沢なホテル 長崎の西、紺碧の海に浮かぶ緑豊かな大島。 穏やかな潮風がそよぐ島の入り江に佇むオリーブベイホテルは クルーザー、プールや美しい庭園を備えたリゾートホテルです。 ホテルの設計を手掛けたのは、世界的な建築家、隈研吾氏。 内装は、多くの五つ星ホテルを手掛けたGA Design International社。 館内には心地よい音楽が流れ、 陶板のレリーフや和紙の照明、絵画や彫刻など、 さまざまなアート作品に触れることができます。 喧騒を離れ、『上質な寛ぎの時間』を存分にご堪能ください。

    オリーブベイホテル【公式】
  • 坂田焼菓子店 | SAKATA YAKIKASHI TEN

    Good quality Fresh ingredients all hand made 厳選された自然素材を使って焼き上げた 新鮮なデザートたちです。

  • 島全体が廃墟へと向かってる「池島」(長崎) - @nifty:デイリーポータルZ

    長崎の沖合5kmほどのところに、かつて炭鉱で栄えた「池島」という小さな島がある。炭鉱だった島といえば、同じく長崎の端島、通称・軍艦島が有名だが、そちらが1974年に閉山したのに対し、こちらは2001年に閉山。ギリギリ21世紀まで営業していた。 池島には現在も人が住み生活している。が、産業がなくなった島はその後どうなっていくのか。そこにはなんとも独特な景観が広がっていた。

  • http://www.tarami.co.jp/koubou/

  • 吉宗 本店 (よっそう) - 観光通/和食(その他) [食べログ]

    リクエスト予約希望条件をお店に申し込み、お店からの確定の連絡をもって、予約が成立します。 1 予約の申し込み ご希望の条件を当サイトよりご入力ください。 2 お店からのメール ご予約が承れるか、お店からの返信メールが届きます。 3 お店へ来店 予約が確定した場合、そのままお店へお越しください。

    吉宗 本店 (よっそう) - 観光通/和食(その他) [食べログ]
  • キリシタンの島で、宝石みたいな天主堂群とかわいい休火山をめぐる - 沙東すず

    ▲貝津教会のステンドグラス 五島列島は長崎市の西100kmに位置する島々です。釣りや自然が豊かなので有名なところですが、キリシタンの歴史とも深い関わりがあります。キリスト教は当初は領主の庇護下、最初こそジャンジャンバリバリで根づいたものの、豊臣秀吉や徳川幕府の禁圧を受けることに…信徒達は、比較的禁制がゆるいと言われた五島にあいついで移住しました。しかし明治初期には「五島崩れ」と呼ばれる最後の大弾圧が行われ、死者を出しています。 やがて禁教令が解除されると、花の開くがごとく数多の教会が建てられ、いま五島に存在する教会の数はなんと50!とてもすべてはめぐりきれませんが、それぞれ個性ある教会ばかり。静かな漁村に建つ古い教会は、なんだかヨーロッパの田舎みたいな風情です(ヨーロッパ行ったことないけどな!)。今回の福江島編だけでも五島の教会の多彩さの一片は伝えられるのでは。宝石のような教会建築だけでな

    キリシタンの島で、宝石みたいな天主堂群とかわいい休火山をめぐる - 沙東すず
    misato-girl
    misato-girl 2011/07/04
    三井楽教会可愛い!!!
  • 衝撃の廃墟/旧長崎刑務所を訪ねる :: デイリーポータルZ

    “明治の五大監獄”のひとつと言われる旧長崎刑務所。明治時代に作られた赤レンガの建物で、文化財に指定されてないのが不思議なくらいの、立派なシロモノだ。長崎は諫早市にある。 これが15年前に閉鎖されて以来ずっと放置され、現在はすっかり廃墟と化している。 明治の建物、赤レンガ、しかも刑務所、しかも廃墟。これが住宅街にあるのは、なかなか異様な光景だったが、今年の6月から、ついに取り壊されることになった。 その最後の姿を写真に収めて来ました。 (text by T・斎藤) 100年前に建てられた建物 旧長崎刑務所が建てられたのは、今から100年前の明治時代。近代国家を目指す明治政府が、諸外国に比べて劣悪だった監獄状況を改善すべく、海外を視察し、研究して作った五大監獄のひとつ。 明治の五大監獄は他に、千葉・奈良・金沢・鹿児島がある。 千葉と奈良は門や館などが現在も現役で使用中、金沢と鹿児島は取り壊し

  • 『安全な』軍艦島への旅は、それでも行く価値がある - 日毎に敵と懶惰に戦う

    長崎の沖合いの島、端島。周囲1200mの小さな島。1810年に石炭が発見され、明治に入ってから格的に開抗されたこの島は、良質の石炭を産する島として海底炭鉱の開発がすすめられ、三菱石炭鉱業の主力炭鉱として栄えていた。小さな島は埋め立てによって次第に拡張され、来の島は現在の1/3ほどの面積だったという。それでも狭い島に大勢の人が働くために、鉄筋コンクリートの高層アパートが林立し、最盛期には5000人以上の人々が生活していた。 細長い狭い島に高層建築がひしめく異様な姿が、三菱造船長崎造船所で建造された戦艦『土佐』に似ていることから、軍艦島と呼ばれた端島。その島の炭鉱は1974年1月15日に閉山され、4月20日には無人島になった。多くの建物は取り壊されることもなく、往時の姿をとどめたまま次第に朽ち果てていく。いつしか、軍艦島は“廃墟の島”として好事家に知られる島になった。 NHKのドラマのロケ

    『安全な』軍艦島への旅は、それでも行く価値がある - 日毎に敵と懶惰に戦う
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