真魚八重子(映画文筆業。「映画秘宝」「キネマ旬報」「TRASH UP」ほかで執筆多数) 悩んだり落ち込んだりして涙をこぼしていても、顔を覆った手の隙間から見える世界は美しい。悲劇も喜劇も、「悲しみ」という膜を通して残酷さを見据えるか、日常の輝きを見いだすか、その立脚点をどちらに置くかで映画の雰囲気が異なるだけだといえる。 だからガールズ・コメディー・ムービーも、主人公は悩む。必ず壁にぶち当たる。コメディーはとても純粋に「起承転結」――物語をつむぐ人々が何千年も続けて磨きをかけてきた、心を喜ばすお話の構成にのっとって展開する。喜劇でも女の子たちは必ず恋愛の苦しみ、家族や友人との軋轢、この世の生きづらさを体験するが、そのなかで決意をして、明るい未来に向かって地面を蹴って舞い上がり、自力で喜びを手に入れる姿が描かれる。 人を笑わせて、明るい気分にさせるのは難しい。ゆえに、成功したコメディーは貴重