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災害に関するmoewakaのブックマーク (3)

  • 南西沖地震18年 奥尻で鎮魂の灯-北海道新聞[道内]

    南西沖地震18年 奥尻で鎮魂の灯 (07/13 11:30) 地震から18年を迎えた夏。鎮魂のろうそくが奥尻島の形に並べられた=12日午後7時30分(村典之撮影) 【奥尻】1993年の北海道南西沖地震から18年を迎えた12日、死者・行方不明者198人を出した檜山管内奥尻町で、追悼の催しが行われた。遺族らは南西沖地震と東日大震災の犠牲者に祈りをささげた。 青苗地区の慰霊碑「時空翔(じくうしょう)」周辺で行われた町民有志による催しには、遺族ら約120人が参列。日暮れが近づく中、「7・12 18年の宇宙の中で 皆の胸にいだかれ」の文字と奥尻島の形に並べた、ろうそく計1500に一つずつ灯をともした。 南西沖地震で両親を亡くした青苗の漁業林清治さん(62)は「当時のことは一日も忘れたことがない。大震災の報道を目にする度に被災者の苦しみが伝わってくる。一日も早く立ち直ってほしい」と静かに話した。

  • 濱口梧陵 - Wikipedia

    濱口梧陵 広川町役場前にある濱口梧陵の銅像 濱口 梧陵(はまぐち ごりょう、文政3年6月15日(1820年7月24日)[1] - 1885年(明治18年)4月21日[1])は、日の実業家・社会事業家・政治家。 紀伊国有田郡広村(現・和歌山県有田郡広川町)出身[1]。梧陵は雅号で、字は公輿、諱は成則。駅逓頭や初代和歌山県会議長を務めた。 醤油醸造業を営む濱口儀兵衛家(現・ヤマサ醤油)当主で、七代目濱口儀兵衛を名乗った[1]。津波から村人を救った物語『稲むらの火』のモデルとしても知られる[1][2](後述)。 経歴[編集] 生い立ち[編集] 紀州湯浅の醤油商人である濱口分家・七右衛門の長男として生まれる。12歳で家(濱口儀兵衛家)の養子となって、銚子に移る。 その後、若くして見聞を広め、開国論者となった。海外留学を志願するが、開国直前の江戸幕府の受け容れるところとならず、30歳で帰郷して事

    濱口梧陵 - Wikipedia
  • asahi.com(朝日新聞社):北海道電力、本州に送電できず - 社会

    北海道電力と電源開発によると、7日深夜に起きた震度6強の地震後、北電が先月13日から連日行ってきた州への最大60万キロワットの送電ができなくなった。青森県東北町にある変換所が停電したことが原因とみられる。東北電力側の電源が復旧し、不具合の有無をチェック後、再び送電できる見込みだという。

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