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2010名護市長選挙に関するnagonaguのブックマーク (72)

  • 辺野古強行は「民意軽視」 名護市長選で米有力紙が寄稿文 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    政治 辺野古強行は「民意軽視」 名護市長選で米有力紙が寄稿文2010年1月29日  26日付の米有力紙ウォール・ストリート・ジャーナルは、稲嶺進氏が当選した名護市長選挙の結果は、2006年に日米両政府が合意した現行案反対派の勝利を示すもので、米政府は日米関係を停滞させる現行計画への固執をやめるとともに代替移設地の検討を始めるべきだとする米評論家トビアス・ハリス氏の寄稿文を掲載した。  ハリス氏は、MSNBCやCNNなど米大手テレビ局のニュース番組などで日米同盟に関するコメンテーターとして出演している日米関係専門の評論家。 ハリス氏は、名護市長選での反対派の勝利は、県外移設を約束しながら計画の見直しに難航している鳩山政権と、圧力をかけることで解決を試みようとしたオバマ政権の敗北だと指摘。 名護市長選は単なる一つの地方都市選挙ではなく、日米同盟が地元の課題と直結している地域におけるものだと

    nagonagu
    nagonagu 2010/01/30
    政府の言う「沖縄の負担軽減」は、沖縄がさらなる負担を受入れていたから成立したレトリックだったんだと改めて思う
  • なごなぐ雑記: ありがとう

    まだ投票箱は開いてもいないが、マスコミ各社が競って稲嶺ススム当確を打っています。間違いないだろうと信頼し、今日一日の緊張を解きます。 名護市民のみなさん。おめでとうございます。みなさんの一票一票が切り拓いた、新しい「まちづくり」へのスタートです。1977年の市民投票から13年。長くかかったけど、これでやっと主権者の意思決定と、市の意思決定をあわせることができる。ほんとうに名実共にノーサイドです。 比嘉鉄也さん、末松文信さん、島袋吉和さん、ほんとうに長い間の市政の舵取り、おつかれさまでした。大先輩に、若輩者が失礼な物言いばかりですみませんでした。 建男さん、私は鉄也さんが言うように死んでしまった人の考えや心を忖度することはしたくありません。でも、1999年と明らかに政治情勢も変わっています。沖縄に新たな移設先を沖縄が探すときではありません。あなたなら情勢の変化の中できっとそうしたであろうよう

    nagonagu
    nagonagu 2010/01/26
    みなさんありがとう。感謝します。
  • なごなぐ雑記: 新しい朝

    16:00現在(選管速報より) 次回選管速報は18:00 当日有権者総数 44,896人 投票者数 14,470人 +期日前投票者数14,239人=28,709人 投票率 32.23% +不在者投票31.72%=63.95 % --------------------------------------------------------------------- 嘉数高台の麓から、「おはようございます」です。名護市長選挙の投票率などの情報が入り次第。こちらに書いておきます。 昨日の名護の様子について、書かれているブログ等をいくつか読みました。とても盛り上がったようですね。 稲嶺候補打ち上げ式(海鳴りの島から) 明日への希望(北限のジュゴン調査チーム・ザン) 保革を超えた大きな広がりの中でうまれた「稲嶺ススム」の選挙態勢。ここで変えきれなければ、名護市が変わることはほんとうに難しいと思う。

  • なごなぐ雑記: 新生・名護市へ捧ぐ

    名護市長選挙の結果を受けてなお、「ゼロベース」などという用語を繰り返し、政府は「辺野古」を手放さない。これまでの地元(行政的には名護市という基礎自治体)受入れという新基地建設の実現可能性の根幹が変わったのに、旧来のプランを残すことに固執する姿勢はゼロベース思考ではない。 首相は選挙前に「選挙結果も斟酌して」と発言していたのに、選挙結果が出たら官房長官が「斟酌する必要はない」などと言辞を吐く態度は、政府は「民主主義」的ですらないと公言しているに等しい。 市長選挙はもちろん住民投票ではない。しかし、名護市長選挙において新基地建設問題が大きく問われていたのは事実であり、当選した稲嶺進氏は「辺野古に基地はつくらせない」と公約し当選したことも周知の事実である。 ここで天下国家を論ずるつもりはないが、いよいよ政府は追い詰められている。 ■「変化」への市民の期待 市長選挙の最終結果は、稲嶺ススム17,9

    nagonagu
    nagonagu 2010/01/26
    名護現地に入ることはできなかったけど、精神的には怒涛の選挙戦だった。ちょっと休みます。がんばれ名護市。/id:felis_azuriありがとう。直した。
  • なごなぐ雑記: 名護市民だけが混乱に終止符を打てる

    いよいよ明日、名護市長選挙は投開票日を迎える。各陣営の街頭での選挙運動も数時間後には終わる。 1997年の市民投票に参画した縁で、基地建設問題に真摯に向き合い続け人生を大きく変えてしまった私にとっては、重大な関心を寄せざる得ない選挙でした。 島袋ヨシカズ氏は、V字案で前政権とはいえ日政府と基合意している。稲嶺ススム氏は「辺野古に新しい基地はつくらさない」を明言している。ヨシカズ陣営が「市長選で基地問題は争点にしない」といっても、図式としてはとてもわかりやすい一騎打ちだったと思います。 これでヨシカズ再選になれば、「移設」先を探せずウロウロしている政府が辺野古に舞い戻る可能性は一気に高まります。「少なくとも県外」を公約して政権とって、辺野古以外の県内も含め検討しつつ結論先送りしているのが日政府であり、「舞い戻る可能性は薄い」とする考えは根拠薄弱です。 稲嶺ススム勝利で、名護市民が明確に

    nagonagu
    nagonagu 2010/01/23
    もうじき終わる
  • なごなぐ雑記: 六諭衍義―1997/2010【追記あり】

    1997年12月24日は遠くなりにけり。しかして我々はすべてを忘却の闇に捨て置きたるにあらず。過去は死なず、現在を根源から問うべく現在に息づいている。 我々の苦悩は、困窮は、諍いは、あの日にはじまった。 市民投票の結果を踏みにじり、当時の比嘉鉄也市長が首相官邸で基地受入れ表明と市長辞職の意向を伝えた。あの日。 【追記】21:30 だれにわかってもらえなくてもいい…などと思いつつ、これは比嘉鉄也氏にささげるオマージュのつもりで書き出した小さな思考。儒教的精神の教科書である六諭衍義は、琉球王朝時代に、王府が名護地域によこした統治者・名護親方が大陸から持ち込み紹介したもの。それが大和にも伝わり教科書となったらしい。下記の六つの文の冒頭にあるのは、六諭衍義の言葉。それぞれの漢語の意味は、興味のある方はネットででも調べてください。鉄也さんは今回で休まれたほうがいい。ほんとうにお疲れ様でした。 【追記

    nagonagu
    nagonagu 2010/01/22
    比嘉鉄也さんに言及するのはこれで終える。
  • なごなぐ雑記: 比嘉鉄也氏の「逆風張帆」の戦い

    私たちは思う。たかだか人口6万の名護市の市長選挙で、在沖海兵隊の新基地建設問題が問われることの不条理を。政府民主党は選挙時の公約に従い県外移設を早く決定すべきだ。現行案を残した「見直し」というのは、現行案に舞い戻る可能性を高く残している。その私たちの思いに、比嘉鉄也氏は上手に棹差して自らを善玉に仕立て上げる。 簡単に図式化する。1997年は日政府は悪玉で、必死に抵抗する名護市民は善玉だった。市民投票時の条件付賛成派は悪代官か「お前も悪よのぉ」の越後屋であった。悪代官は破れ、市民投票では「反対」が過半数を上回った。 破れた悪代官は、自らを代官にした市民の前ではなく、悪玉政府首相の前で恭順の意を表しつつ、自ら腹を切ってみせた。ときの首相の橋龍太郎は涙を浮かべたという。 悪代官の名は比嘉鉄也。 つまらん浪花節だが、物語はつながった。比嘉鉄也氏が辞任したことで行なわれた1998年の市長選挙は、

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    nagonagu 2010/01/21
    友人からの情報では、本日から鉄也氏が街頭演説に立っているらしい
  • 2010名護市長選 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

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    nagonagu 2010/01/20
    これも資料
  • 沖縄タイムス | 2010名護市長選

    通称「ジュゴンの見える丘」から望む大浦湾は、琉球ガラスを思わせる鮮やかな群青色を見せる。普天間飛行場の移設で揺れ続ける名護市東海岸の嘉陽区。ここで堂を営む宮城廣さんが昨年12月、闘病の末に67歳で亡くなった。基地反対運動の表舞台から姿を消して約10年。自殺未遂による首の傷跡も薄れ、表向きは国策をめぐる喧噪(けんそう)から遠い世界に身を置いていた。「これで移設もなくなるぞ」。胸の奥に封印していた音があふれたのは、新政権誕生の昨年夏だった。 名護市長選 立候補予定者クロス討論 (2010年01月08日09:44) 名護市長選、現職支持 知事「信義上、当然」 (2009年12月26日09:43) 両陣営 支持拡大に躍起 名護市長選1カ月前情勢 島袋氏 後援会フル回転/稲嶺氏 知名度向上図る (2009年12月24日11:00) 「普天間」が争点に 名護市長選 島袋・稲嶺氏一騎打ちか 投票まで

    nagonagu
    nagonagu 2010/01/20
    これも資料
  • QAB 2010名護市長選挙

    1月24日の名護市長選についてQABと朝日新聞が情勢調査を行った結果、新人・現職が互角の激しい戦いを展開していることが分かりました。 QABと朝日新聞は18日と19日の2日間、コンピューターで無作為に番号を抽出して電話をかける方法で名護...続きを見る

    nagonagu
    nagonagu 2010/01/20
    これはいい
  • 名護市長選 きょう告示 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

  • 沖縄タイムス | [名護市長選告示]争点明確に論戦深めよ

    nagonagu
    nagonagu 2010/01/17
    これはおかしい主張。現職はV字案で合意しているのだから、態度が不明確ということはない。不明確なのは政府
  • なごなぐ雑記: スケアクロウ

    先月の「名護会議」以来だが、所用を済ませるため名護に行ってきた。市会議員時代の戦友である先輩たちにもあって旧交を温めた。酒が入って、友人や気心の知れた後輩に噛み付いて嫌な思いもさせた。私のなかに餓鬼がいる。風邪が酷くなった。    久しぶりの名護は、市長選を前にして辻々に候補者の名が書かれた「のぼり」が立っていた。無人の交差点で雨に打たれているそれらは、まるで寂しいスケアクロウのようにみえた。寂しさは私のものだろう。 現職市長の島袋陣営は従来の振興策や実績等を訴える保守現職の「鉄板」選挙。政権交代や辺野古移設の見直しなど厳しい状況のなか、「基地には触れないというのが大方針」(毎日2009年12月24日)を貫徹し手堅く票固めをしているんだろう。 1月8日には地元二紙(新報・タイムス)に両候補のクロス討論も掲載されたが、いまいちだった。稲嶺候補の現市政「副市長制批判」は誰もが知っている氏の経歴

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    nagonagu 2010/01/11
    id:santiargonさん、首長選挙を最後の聖戦のようにしてはならないと思い至ってます。
  • 沖縄タイムス | 名護市長選 立候補予定者クロス討論

  • 名護市長選 紙上クロス討論 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    nagonagu
    nagonagu 2010/01/08
    とりあえず資料。悪いが稲嶺氏の側にオウンゴールが一個と危険行為ひとつ。
  • 民意のありか:1・24名護市長選/上 「移設」に揺れた13年 - 毎日jp(毎日新聞)

    nagonagu
    nagonagu 2010/01/06
    「基地には触れないというのが大方針。」
  • 民意のありか1・24名護市長選 下:生活潤う実感なく/基地からの自立模索 - 毎日jp(毎日新聞)

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    nagonagu 2010/01/06
    「名護市では00~08年度に36の同業他社が倒産」
  • / WSJ日本版 - jp.WSJ.com - Wsj.com

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    nagonagu 2010/01/06
    Mr. Shimabukuro declined requests for to an interview.
  • なごなぐ雑記: 誘致派の誕生(3―3)

    1997年の市民投票以来、新基地建設への反対と条件付賛成派に二分され、選挙のたびに名護市民は戦ってきた。「過去3度の市長選で民意は出た」と島袋ヨシカズ市長はいうが、基地を押し付ける政府ですらが見直しに入っている辺野古移設に固執するヨシカズ市長らの姿勢は基地の「誘致派」としかいえない。 これまでみてきた名護市の歴史を振り返りながら、現在・未来の名護市を展望して稿を終える。 1970年に一町四村が合併してできた名護市は、復帰そして海洋博という世替りと開発の荒波に対して「地域主義」を掲げ、自然保護と生活・生産基盤の確立、住民自治を原則にまちづくりをはじめた。70年代から80年代半ばまでは名護市の「基盤整備期」といえるだろう。その時期に名護市総合計画がもっていた「足元を掘る」精神は、ハードとしては市庁舎に表現され、ソフトとしては字史づくりなどの形で地域から学び地域に深く埋め込まれていった。 19

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    nagonagu 2010/01/05
    とりあえず終わり。市長選の状況をリサーチして、また必要なことを書く。id:uhyorinさん、ありがとう。アクセス解析によると、市役所職員は読んでくれてるみたい。/PDF作成しアップした
  • なごなぐ雑記: 誘致派の誕生(3―2)

    「逆格差論」から180度転換する比嘉鉄也市政は、1997年に比嘉氏が市民投票の結果とは真逆の表明を行いセルフリコールするまで三期11年間続いた。 この間に、計画された開発事業は第三セクター方式で始まった三共リゾート開発をはじめ、名護湾を活用したウォーターフロント構想など計画策定に大金の税金が注ぎ込まれたが、そのすべてが事業化されず消えた。 唯一、比嘉市政において成立した事業は「名桜大学」の創設であり、継続している事業はずさんな経営体質の問題を抱えたネオパークぐらいであった。 名護市の企画部長であった岸建男氏は名桜大学創設の立役者であり、その功労をもって比嘉鉄也市長が彼を助役にしたのが1994年である。 名桜大学の創設資金は名護市の財政力では到底調達不可能だったが、岸建男氏は1992年に制定されたばかりの「地方拠点都市整備法」を活用し、名護市の財政力以上の有利な借金をすることで資金調達を

    nagonagu
    nagonagu 2010/01/04
    振興策は見事なまでに比嘉市政(バブル期)のツケに回り、求められる振興には寄与していない実態。