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建設と歴史に関するnoritadaのブックマーク (4)

  • 冷戦時代に建設の独テーゲル空港が閉鎖、人々が最終便見送り

    ドイツの首都ベルリンのテーゲル空港から8日、閉鎖前最後の便となるパリ行きのエールフランス機が、消防車の放水と歓声を上げる人々に見送られて飛び立った。8日ベルリンで撮影(2020年 ロイター/Annegret Hilse) [ベルリン 8日 ロイター] - ドイツの首都ベルリンのテーゲル空港から8日、閉鎖前最後の便となるパリ行きのエールフランス機が、消防車の放水と歓声を上げる人々に見送られて飛び立った。 同空港は冷戦下の1948年、旧ソ連に封鎖された西ベルリンに物資を供給するため、フランス占領軍が数週間の突貫工事で建設。西ドイツの飛び地だった西ベルリンと世界を結ぶ玄関口の役割を果たし、1960年に初めて商用機の乗り入れが開始された。

    冷戦時代に建設の独テーゲル空港が閉鎖、人々が最終便見送り
  • さようなら、テーゲル国際空港。 | ドイツ大使館 − Young Germany Japan

    2020年10月31日、ベルリンに新空港BERこと「ベルリン・ブランデンブルク国際空港」が開港します。それに合わせて、テーゲル空港がその歴史に幕を閉じることになりました。 今年夏場に、お別れ撮影会に行ってきたので、1970年代デザイン満載のテーゲル空港の魅力をレポートしたいのですが、その前に! ベルリン子に「この目で見なければ、オープンは信じられない」とまで言わせるBER新空港。オープンまでに一体何があったのか、ざっと振り返ってみたいと思います。 新空港の工事が始まったのは2006年のこと。 2010年6月、2011年11月に予定されていた開港が延期になった時は、まだ問題はそれほど大きくありませんでした。 2012年5月。 華々しいオープニングの1ヶ月前に、突然延期が発表になりました。 その衝撃を今もしっかり思い出せます。ちょうど新空港に支店を開く予定のお店の取材に行っていて「1週間前くら

  • 高輪ゲートウェイ駅周辺で「高輪築堤」出土、今後どうなる? - 鉄道ニュース週報(253)

    東京新聞の11月22日付の記事「【独自】『海の上を走る列車』の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土」によると、JR東日や周辺自治体が再開発を進める地区で、日の鉄道開業時に建設された「高輪築堤」の遺構が見つかったという。場所はかつて山手線と京浜東北線が走っていた線路跡。日初の鉄道路線として、明治5年9月12日(新暦では1872年10月14日)に新橋~横浜間で開通した区間の遺構だ。 「高輪築堤」の位置 (国土地理院 航空写真 CKT20191を加工) 開業当時は海の浅瀬に作られ、「海上を陸蒸気が走る」として名物だったようだが、後に沿岸地域の埋め立て、拡張工事の影響で埋められてしまった。この敷地は当時からずっと鉄道用地として使われており、戦後も国鉄が継承し、JR東日もそのまま使った。 築堤は壊さずに埋められてしまったわけで、掘り返せば出てくるに決まっている。そんなに驚くべきことだろう

    高輪ゲートウェイ駅周辺で「高輪築堤」出土、今後どうなる? - 鉄道ニュース週報(253)
  • ストーンヘンジに地下トンネル計画、英政府が承認、賛否両論

    英国政府は、世界遺産ストーンヘンジの近くを通る交通渋滞がひどい道路を、トンネルを掘って地下に移設すると発表した。 (PHOTOGRAPH BY STEVE PARSONS, PA IMAGES/GETTY) 英国政府がストーンヘンジの世界遺産登録エリアの地下に、4車線のトンネルを建設する計画を承認したことで、論争が巻き起こっている。 現在ストーンヘンジのそばを走るハイウエーA303は、道幅が狭くて交通渋滞がひどいことで悪名高い。そこで総工費22億ドル(約2300億円)の改善計画が進んでいるが、問題となっているのはこの計画の一部である長さ3.2キロのトンネルだ。 このトンネルは、考古学者や環境保護活動家、そしてストーンヘンジを崇める人々から強い反対があったにもかかわらず、承認された。賛成派は、トンネルにより来の景観を取り戻し、年間160万人を超える観光客がより良い体験ができるようになると主

    ストーンヘンジに地下トンネル計画、英政府が承認、賛否両論
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