■歴史認識 このところ再三にわたってid:keya1984さんからTBをいただいているのだが、これはきちんとレスしたほうがいいのかどうか迷う事項だ。 http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20061222/p2 において私が言いたかったのは、非常に単純な脊髄反射的なことだ。「千数百年も二千年近くもほとんど鎖国状態で独自に生きてきた」というような、私のような素人がきいても「はぁ?」と言いたくなるようなことを知名度も影響力もある人が堂々と言うのに呆れるってこと、そんなことを言ってまで日本を特別扱いするのは(私から見れば)気持ち悪いということ、先人たちの業績を讃えるのはいいとしてもなぜそれがいきなり「日本国」という国家「のなし得たこと」に飛んでしまうのかわけがわからんということである。深い考えなど何もない幼稚なレベルで申し訳ない。もちろんここには私自身が櫻井よしこという
こないだ、いつの間にか週刊朝日に連載を始めていた中森明夫が「宮台真司の時代」があったと書いていた。中森は途中まで宮台の協力者だったが、自分が離れてから天皇がどうとか言い出しておかしくなった、と前から言っている。 私も宮台を批判していたが、宮台は答えなかった。私は売春必要悪論に転向したが、宮台の「援助交際は家父長制を解体する」などというのはもちろんでたらめ。その種の議論では私の勝ちである。あるいは中森や大月隆寛の勝ちである。 しかし、二十歳年下の東大名誉教授の娘と結婚して子供まで作ったという、人生上の幸福(少なくとも他からはそう見える)において、私は宮台に負けた。宮台の結婚は45の時だったが、私が45までに、二十歳年下のお嬢さんはおろか、結婚して子供をこしらえるなどということができる可能性は極めて低い。 そういう意味で、負けたのである。何も結婚して子供作るばかりが幸福じゃないだろうとか、そう
罵倒コメントを貰いたくないのならブログなど書くな - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園 そして、私は罵倒コメントを否定はしない。したければすればいいという考えだ。どの様なコメントを貰ったとしても、私は耐えるよ。どちらがどうであるかという判定はそれを見ている者が決めればいい事だ。私は読んだ物に対しての素直な感想をただ綴るだけだからな。だから、私の書いたもので「酷い」と思ったのなら、それを素直に書いて貰っても良い。極端な話、そういう態度が全てのブロガーには必要なのではないかとまでも思っている。 2chスレでもコメント欄でも、ごく数人のアンチが工夫をする事によって何十人もの反対派が居るかのように工作する事は難しい事ではない。それに人間は判断を視覚に頼りすぎている面が有る。ブラウザを使っている時に0クリックもしくは1クリックで見えてしまう場所に罵倒文が見えると、古い時代の感覚によって感情が揺さぶられるというア
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