昨日12月14日、松来未祐の四十九日が無事に終わりましたことを、ご報告させていただきます。 ご遺族の「同じ病気の一人でも多くの人が、早期発見により助かって欲しいので、 病名を公表したい」とのご意向により、この度病名を公表することといたしました。 7月14日の投稿にあるように、体調不良が続き検査を重ねていましたが、 原因がわからないまま、6月30日に急性肺炎で緊急入院をすることとなりました。 精密検査の結果、「慢性活動性EBウイルス感染症」という 非常に症例が少なく、難病指定もされていない難しい病気であることが判明し、 そこから松来未祐の闘病生活が始まりました。 9月4日には奇跡的に一時退院が認められましたが、9月18日再入院。 10月27日午後10時18分永眠いたしました。 最終的な死因は「悪性リンパ腫」でした。 私どもスタッフから見ても、辛い治療にもいつも前向きに立ち向かっていて、 必ず
Trans-Pacific Partnership (TPP) The text of the Agreement was released by TPP Parties on 5 November 2015. The text will continue to undergo legal review and will be translated into French and Spanish language versions prior to signature. Text of the Agreement, 5 November 2015 Annexes to the Agreement, 5 November 2015 Current status of the Agreement TPP has not yet been signed or entered into force
このコラムに何度も書いていますが、私は中高生の頃、登校中や下校中、休日に出かけた先、至る所で、見知らぬ成人男性たちにあとを着けられたり、やけに楽しそうに声をかけられたり(ナンパではなく「このへん危ないから送りますよ」等、親切をしていますよ、という内容の声かけ)触られたり体をくっつけられたり勝手に写真を撮られたりした。 毎日毎日どこからともなく、そういった見知らぬ成人男性が湧いて出てくるのである。周りの友人たちもそんな感じだった。つまり女子中高生に嫌がらせをする成人男性がとんでもない数、存在するということである。 最近、とあるイラストがツイッターのTLに流れてきた。 それは、街で見かけた女子中学生を美少女ゲーム風のイラストに起こしたもの。制服の小さいマークや、服の袖などのデザインの細部に渡り、胸や尻の大きさ、髪の毛の匂い、素朴な表情や動作、スカートが風で揺れて見えたふともも、などが注釈付きで
立法情報 外国の立法 (2015.1) 国立国会図書館調査及び立法考査局 【中国】 反スパイ法の制定 主任調査員 海外立法情報調査室 岡村 志嘉子 *より強固な国家安全体制の構築を目指す習近平政権の下、スパイ行為の取締り強化を目的と して、国家安全法をその題名を含めて改正した反スパイ法が 2014 年 11 月 1 日に施行された。 1 経緯 2013 年 11 月 12 日、中国共産党第 18 期中央委員会第 3 回全体会議(三中全会)にお いて、国家安全体制と国家安全戦略を強化し国家の安全を確保するために国家安全委 員会を創設する方針が決定され、習近平総書記が中央国家安全委員会主席に就任した。 2014 年 4 月 15 日に招集された同委員会の第 1 回会議では、 近年の国内の社会情勢及び 国際情勢の変化を踏まえ、 「政治の安全、国土の安全、軍事の安全、経済の安全、文化 の安全、社会
よりにもよってシベリア抑留という被害体験に関わる資料を登録申請し認められたまさにその時に、南京大虐殺関連の資料の記憶遺産登録で政府が公式にクレームつける(与党のウヨ議員が噴きあがるならともかく)という厚かましさには、さすがに呆れ果てますね。外務省は登録された文書について具体的に反論する準備があるんでしょうか? さて、つい先日こんなツイートをしたのですが。 そしたら早速コレですよ! 『「南京事件」の探求 その実像をもとめて』をまともなリテラシーの持ち主が読めば、そこに書いてあるのが「否定論産業に参入してウヨ論壇デビューしてみようと思ったけど、さすがに研究者としての良心があるんでこれが限界っす」という呻吟でしかないことは明白なのに。まあ、著者はその後完全に研究者としての良心を捨て去りましたけどね。『正論』10月号の「日中戦争は中国が仕掛けた侵略戦争だ」という噴飯物の特集に「日本が「侵略」を認め
こちらでのhirasan000さんのコメントから派生した話題に関連して。南京事件について論じるのに北支那方面軍の通牒を引き合いに出すのも妙なはなしだが、「捕虜を除く」という但し書きを以て「捕虜は現地で殺してよいことになっていた」などと主張するのは荒唐無稽もいいところ。大方の否定論者が「捕虜じゃなかった(だから殺してよい)」と言い張ろうとしているときに「捕虜として殺害した」と主張しちゃってるわけだから。 さて『南京戦史資料集I』に収録の中支那方面軍軍律(中方軍令第一号)、中支那方面軍軍罰令(中方軍令第二号)、中支那方面軍軍律審判規則(中方軍令第三号)はそれぞれ次の通り。いずれも37年12月1日付けなので南京陥落時にはすでに有効であった。引用にあたりカタカナをひらがなに直した。 極秘 中方軍令第一号 中支那方面軍軍律左記の通定む 昭和十二年十二月一日 中支那方面軍司令官 松井石根 中支那方面軍
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