前回は、差別表現を処罰する立法を提案した内野正幸『差別的表現』(明石書店、一九九〇年)と、これに対する批判を瞥見して、一九九〇年代における議論状況を確認した。 一九八〇年代から九〇年代にかけて、差別表現の処罰立法は憲法の表現の自由に反する等の議論が盛んになされ、今日の憲法学における通説が形成されていったと見られる。しかし、当時の議論状況を見ると、判例においてこの問題が問われていたわけではないことや、憲法学において処罰立法を提案したのは旧内野説だけといって良い状況であったことから、議論は具体的な内実を持ったものとはなりえなかったように思われる。 そのため、第一に、議論は現実に向き合うことなく、観念だけを取り上げる水準になっていたように思われる。差別表現には被害がないかの如く断定する暴論が堂々と第一人者によって語られたことに特徴的である。第二に、議論はアメリカ憲法判例の理解と、日本への導入に収