6日夕刻、ロンドンの帝国戦争博物館(Imperial War Museums)で、世界各地での戦争報道で知られるベテラン写真家ドン・マッカリン(Don McCullin)と、現役の戦争報道写真家たちが、アフガン戦争について語るイベントがあった。「50年間、戦場写真を撮ってきたが、何も変わらなかった」とクールに語るマッカリンと、「戦争の記録を残したい」という若手写真家たちとの違いが色濃く出た夕べとなった。(写真右はマッカリンによる、ベトナム戦争で「シェルショックを受けた米兵」1968年。) イベントは、博物館で開催中のマッカリンの写真展(4月15日まで)に付随して行われた。 http://www.iwm.org.uk/exhibitions/shaped-by-war-photographs-by-don-mccullin 私がノートに取ったメモ書きを元に、その雰囲気を再現してみたい。(名前
丸善が出している『學鐙』という雑誌に教育論を寄稿した。 一般の方にはあまり手に取るチャンスのない媒体なので、ここに採録しておく。 不便さと教育 というタイトルを頂いて原稿を書くことになった。たぶん「教育と効率」の背馳について論じて欲しいというのが編集部の趣旨であろうと思うので、それについて書くことにする(違ったらごめんなさい)。 教育と効率は本質的になじまない。というのは、効率というのは、「単位時間内の仕事量」を以て考量するものであるが、教育がそのアウトカムを計測するときの時間の幅は原理的に「その人が死ぬまで」というもので、「単位時間」を切り出すことができないからである。 もちろん、無理をすれば単位時間を切り出して(「1時間以内の」とか「一学期以内の」とか「卒業時までの」とか)教育のアウトカムを考量することもできないことではない。 けれども、そこではじき出された数値は、教育を受ける本人にと
何を言うんだろうなあ。 いろいろ難しいなあ。社会も広告も、ここ10年くらいでずいぶん変わったからなあ。これ、ほんとに変わったなあと思うんですよ。たとえばね、この文章を読んでくれてますよね。どうも、ありがとうございます。文章は読まれてなんぼなので、すごくうれしいです。でもね、これはよくよく考えてみると、この文章を読んでもらってるというのは、そのぶんほかのものを見たり聞いたり読んだりできなくなっちゃってるってことなんですよね。時間は誰でも平等に1日に24時間しか与えられてないですから。 これ、10年くらい前では考えられなかったことなんですよね。もちろん、その頃も同人誌とかはあったよ。でもね、同人誌って手に入れるのに、ちょっと努力がいるじゃないですか。でも、このブログを読むのに努力はあまりいらないですよね。RSSに登録してもらってたら、更新の度にリアルタイムでお知らせが来ますし、ときには、twi
戦後SF事件史---日本的想像力の70年 (河出ブックス) 作者: 長山靖生出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2012/02/11メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 2人 クリック: 122回この商品を含むブログ (34件) を見る なんだ、戦後 SF 事件史で、愛国戦隊大日本とかにも触れてて、ぼくが一回も出てこないの? つまんなーい。ちなみにこの本、しょせんは戦後「日本」SF「業界」事件史なんだよね。 が、それ以上にぼくががっかりしたところは、本書の最後。東北震災と前後して小松左京が死んだことに触れて「日本は今、もっとも必要な人材を失ったのである」(p.271) と述べて、SF 的な想像力こそが震災からの復興に大きく役立つはずだ、とまとめている。 小松左京的な構想力のかつての意義とその現代的な課題については、イナバ、田中、山形の SF 鼎談でかなり語った。そしてそこでも指摘
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