日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会は、核兵器廃絶を願う被爆者の声を唯一の戦争被爆国・日本から68年にわたって世界に発信してきました。 広島と長崎に原爆が投下されてから9年後の1954年、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が、太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被ばくしました。 これをきっかけに、日本では原水爆禁止運動が高まり、2年後の1956年、被爆者の全国組織として日本被団協が結成されました。 結成の宣言で、「人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません」と核兵器廃絶を訴えました。 日本被団協は、原爆被害の実相を伝えるため積極的に海外に代表を派遣し、1982年には代表委員の山口仙二さんが、国連の軍縮特別総会で被爆者として初めて演壇に立ちました。 14歳の時に長崎で被爆した山口さんは、やけどを負ったみずからの写真を示しながら、「ノーモア ヒロシマ ノーモ