緑ウクライナ(みどりウクライナ、ウクライナ語: Зелений клин, Zelenyy klyn、ロシア語: Зелёный Клин, Zeljonyj Klin、英語: Green Ukraine)は、アムール川から太平洋岸までのロシア極東におけるウクライナ人の植民地の名称である。緑の楔とも呼ばれる。 1917年のロシア革命以降、極東ウクライナ共和国がウクライナ人によってロシア極東に建国されることが計画された。ボリシェヴィキの極東共和国が1920年4月6日に設置されると、ウクライナ人が多数であった極東は、この国家を脱して「緑ウクライナ」と呼ばれる国家の建設を試みた。しかし、この運動はすぐに失敗した。 沿革[編集] 1917年6月24日 - 第1回全ウクライナ人極東会議がニコラエスクウスリースキーで極東会議(Kray Rada)を構成する。 1918年2月 - 第2回全ウクライナ極東