ヘイトスピーチ禁止、男女差別はダメ、LGBT否定発言糾弾、ポリティカルコレクトネス、グローバルスタンダード、SDGs、歴史認識、放射能の恐怖、軍事忌避、そしてコロナなど、これらは全て日本の弱体化のために仕掛けられた罠であると思う。… https://t.co/ChcTRbY9UB
はじめに(評者・田楽心 Den Gakushin) 原題 著者について 序論 第一章 ポストモダニズムーー知識と権力における革命 第二章 ポストモダニズムの応用的転回ーー抑圧を見えるようにすること (評者補足)応用ポストモダニズムの各理論について 第三章 ポストコロニアル理論ーー他者を救うために西洋を解体する 第四章 クィア理論ーー「普通」からの解放 第五章 批判的人種理論とインターセクショナリティ ーーいたるところにある人種差別を終わらせるために 第六章 フェミニズムとジェンダー研究ーー洗練された単純化 第七章 障害学と肥満研究ーー支援グループのアイデンティティ理論 第八章 「社会正義」の研究方法と思想、第九章 実践の中の「社会正義」ーー理論はいつも、紙の上では良く見える 第十章 「社会正義」イデオロギーの代わりとなるものーーアイデンティティ・ポリティクス抜きのリベラリズム 評価(評者・
「ポリティカル・コレクトネス」の定義は…ない!? 「ポリティカル・コレクトネス(political correctness)」とはそもそもどういう意味なのでしょうか。これがわからないと話になりません。 しかし、これが最大にして最悪の難問です。 現在「ポリティカル・コレクトネス」とは何かと一般の人に聞けば、たいていは「差別用語を使わないこと」「全員にリスペクトを示すこと」「多様性を認め合って推進すること」といった答えが返ってくると思います。辞書にもだいたいそんなようなことが載っています。 しかし、その表面的な理解のしかただと足をすくわれます。 英語史を専門とする“ジェフリー・ヒューズ”は自著『Political Correctness: A History of Semantics and Culture』の中で、「ポリティカル・コレクトネス」を題材に取り組むことは「ヒュドラの頭」(困難な障
はじめに先日『意識高い系は「弱者の視点」を持ち得るか?: キラキラ界隈の「冷や飯食い」として「意識高い系」エコーチェンバーを考える』と題したエッセイを投稿し、これを機にABEMAプライムに出演してから「地域格差」について考えています。 このエッセイでも述べたように、たとえば大学進学のハードルは「都会と地方」と「男性と女性」で敢えて比較すると、圧倒的に前者でこそ格差が大きい(よって【地方×女性】のように、弱者性が交差して「掛け算になる」属性こそ最も大変になる)はず。そして、この格差は大学進学に限らず、就職活動ほかキャリア形成全般で指摘できます。つまり、「地域格差」は「階級の格差」であり、地域格差は「階級の再生産」に繋がっているのです。しかし、本稿で述べるように、旧態依然とした価値観が蔓延る田舎を含む地方はポリティカル・コレクトネスに反する(政治的に正しくない)存在であり、よってポリティカル・
ジョセフ・ヒース「なぜカナダの大学教授は学生を恐れないのか:アメリカの大学がポリティカル・コレクトネスに席巻された理由」(2015年6月8日) カナダのジャーナリストが陥りがちな怠惰な習慣の一つが、カナダとアメリカが同じ国であるかのように語ってしまうことだ。アメリカで何が悪いことが起こっていると、カナダでも同じことが起こっていると彼らは思い込んでしまうことからも明らかで、この思い込み故に彼らは実際の取材に赴かない。 大学が最近「ポリティカル・コレクトネス」に席巻されているのを懸念する件でもこれを観察することができる。アメリカで、大学教授達がトラウマを負っている話が多く報じられ、なぜ学生を怖がるようになってしまったのかが解説されている。また、アドミニストレーター〔アメリカの大学の学生課の職員〕は、デリケートさを募らせている学生を不快にするのを恐れるあまり、学生に隷属してしまっていたり、傍観を
なぜアメリカの大学ではポリティカル・コレクトネスを重視する風潮が強まったのか。その要因を「世代」にスポットを当てながら社会学的・心理学的に分析した書籍『アメリカン・マインドの甘やかし』(未邦訳)の議論を紹介する本連載。 第一回:「アメリカの大学でなぜ「ポリコレ」が重視されるようになったか、その「世代」的な理由」 第二回:「「ポリコレ」を重視する風潮は「感情的な被害者意識」が生んだものなのか?」 第三回:「アメリカでの「ポリコレ」の加熱のウラにいる「i世代」の正体」 背後にある「三つの不真実」 これまで三回にわたって、憲法学者のグレッグ・ルキアノフと社会心理学者のジョナサン・ハイトの共著『アメリカン・マインドの甘やかし:善い意図と悪い理念は、いかにしてひとつの世代を台無しにしているか(The Coddling of the American Mind: How Good Intentions
ライブドアニュース @livedoornews 【祝】『SHOGUN 将軍』が作品賞受賞!歴代最多18冠の快挙 news.livedoor.com/article/detail… 本作は真田が主演男優賞、アンナ・サワイが主演女優賞を受賞。「クリエイティブ・アーツ・エミー賞」における14部門と合わせて、テレビ番組の単一シーズンとしての史上最多受賞記録となる18冠の快挙となった。 pic.x.com/qddhafiauy 2024-09-16 12:15:47 VAGABOND @TheVagabond1996 Q.『SHOGUN』ってどんな作品? A.海外の誤った日本描写が無くならない中、真田広之さんが主演と制作を全力で兼任することで本来の日本の魅力をそのままにハリウッドの超絶怒涛の映像美で最強無敵の進化を遂げた戦国時代劇です。 pic.x.com/dwifnp3cfg 2024-09-16
「ポリティカル・コレクトネスがアメリカの表現文化の多様性を狭めている論」=「コミックゲーターやオルタナ右翼の一派である」と言いたげな一部の自称アメコミ通の方(※)のご意見を見たので、非常にもやもやしていたわけです。「そんなんいるか?」というご意見も見ましたが、このまとめを見る限り、「ポリコレ批判者はコミックスゲートの寝言を真に受けている」と煽っている人、少なくとも昨年の時点で複数います。 コミックゲートって、過激な人たちが社会的マイノリティや左派の対論者や小売店に破壊行為を行ったり脅迫したりをやったムーブメントだったわけですけど、なんか言ったら「あいつはコミックゲートに影響されている」ってレッテル貼るの、「あいつはナチス信者だ」に近いじゃん。酷い侮辱だよ。自分が言われたわけではないが。 赤松先生の物言いはちょっと過激だと思いますが、紙媒体の漫画で日本が圧倒的に本場なのはいちおう事実だし、「
シネマンドレイク @cinemandrake みんなも目にする機会が増えたあの言葉。「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」とは何なのか。その意味と歴史を私なりに整理しました。作品をポリコレという言葉で語る意義はあるのかという話も。安易にその言葉を使う前にぜひ考えてほしいです。 cinemandrake.com/what-political… シネマンドレイク @cinemandrake 一部の政治家や論者がポリコレを徹底的に憎み叩くのは、おそらく自分が「正しさ」を決める側ではいられなくなるのが嫌なんだろうな。結局はそういう人たちは「私流ポリコレ」を推進したいだけで、「みんなで考えて合意を形成する」という共同の場を嫌っている。ただの昔からいる自己中ですね シネマンドレイク @cinemandrake 映画のポリコレ描写を「息苦しい」と考える一部のマジョリティの人は、そのあなたが抱いた「息
政治が混乱し、人々はいがみ合い、分断が進む……社会が混沌とするなか、さまざまな政治的な考え方や立場について、整理して考える必要がこれまで以上に高まっています。 『モヤモヤする正義 感情と理性の公共哲学』を上梓した批評家・哲学者のベンジャミン・クリッツァーさんが、「ポリティカル・コレクトネス」と「リベラリズム」の関係をひもとき、両者のあるべき姿について論じます。 リベラルに対する反発「ポリティカル・コレクトネス」(PC)への反発が、そして「リベラル」に対する批判が目立つようになってから久しい。 2016年にも2024年にも、ドナルド・トランプがアメリカ大統領選に勝利した際には「リベラルたちがポリコレに傾き過ぎたことが民主党の敗因だ」という主張がもっともらしく語られていた。最近では「ポリコレ疲れ」という言葉もよく耳にする。 また、PCに関連するものとして「キャンセルカルチャー」などの風潮が問題
これは書くと100%怒られる話なのだが、そのような「みんな知ってるけど口に出来ない話」を公言するのが狂人の社会的役割であろうと考えるので、あえて書く。 タイトルの通り「ポリティカル・コレクトネスと障害者」のお話だ。 ポリコレによって社会はどう変わったのか。社会が変わるというのは、当然、得をした者と、損をした者が現れるだけだが、ポリティカル・コレクトネスの躍進によって、どのような人が割を食っているのか。 この問いは、英語圏においてはかなり議論が蓄積されてきたテーマだった。そして近年その一例として、「フェミニズムと自閉症」というキーワードが、一定の注目を得始めている。 英語版のGoogleで「feminism autism」あたりのキーワードで検索すればゴロゴロと記事や論文が出てくるわけだが、本稿ではその中でも最も読まれているテキストのひとつを紹介しよう。著者はペネロペ・トランク。アメリカ合衆
The words “Political Correctness 101” on a blackboard in chalk More on political correctness Posted by Joseph Heath on June 8, 2015 | education オタワ・シチズン紙に論説(『カナダの大学教授はなぜ学生を恐れないか』を寄稿し今日掲載された〔日本語訳はここで読める〕ことで、どうやら私は今現在、ポリティカル・コレクトネスに関して無敵の人になっているようだ。そもそものきかっけは、アメリカの単科大学――特にリベラル・アーツ系の小さな単科大学(カナダだとノバスコシア州を除けばほとんど存在しないタイプの大学)――で何か馬鹿騒ぎが起こるたびに、概して「総合大学」が悪評を浴びる事態に、私が苛ついたことにある。カナダの総合大学に問題があるのを否定はしないが、アメリカで起
日本ではポリティカル・コレクトネスが「ポリコレ棒」などと揶揄され、正しい理解が進んでいない。ポリティカル・コレクトネスは差別を減らすために必要な社会的ツールだが、そもそも「ポリコレ」と短縮形になった時点でカジュアル化され、本来の重要性がないがしろにされたきらいがある。また、その対象は人種民族に限らず、女性、LGBTQ、障害者、移民など、あらゆるマイノリティ・グループだ。 先日、偶然にも同じタイミングでアメリカでは黒人の子供、日本では女性の存在をあからさまに無視する事象があった。差別した側は個人ではなく大企業と政府。どちらにもポリティカル・コレクトネスの知識と意識が大きく欠けていることが原因と思えた。 以下、日米の出来事とポリティカル・コレクトネスの機能について書く。 セサミプレイス〜黒人の子供を無視 アメリカのペンシルヴァニア州にある『セサミストリート』のテーマパーク「セサミプレイス」にて
『キングダムハーツ』シリーズ全作品が31%オフになるセールを実施。全部入りでお得なバンドルもセール対象に 旧ノイズファクトリーの公式Twitterアカウントは、『豪血寺一族』シリーズの復刻企画の状況について明らかにし、頓挫したことを報告した。 「あるキャラクターがポリコレ(political correctness)になる(抵触する)リスクが高く訴訟に発展するリスクが高い為」としている。 ご無沙汰してました… 「豪血寺30周年」に向けてリリース されたゲームの復刻を昨年11月から 版権元に申請していましたが、あるキャラクターがポリコレ(political correctness)になるリスクが高く訴訟に発展するリスクが高い為、ゲーム復刻の許諾はおりませんでした… — noise factory (@noise_mail) March 30, 2022 『豪血寺一族』は、アトラスが発売した対
格ゲー界隈ではスマブラで活躍するNairoが2017年にフロリダの大会で行ったとされるセクハラについて糾弾され、所属チームのNRGとの契約が切られたばかりだ。 この1か月間何度となくみてきた黒背景に白文字のメッセージ。ジョージ・フロイドの死に端を発するアンチレイシズム、そしてポリティカル・コレクトネスに企業・団体が賛同を示すための標準的なメッセージ発信方法としてなった。 ゲーム産業はBLM運動への共感と、ポリティカル・コレクトネスと戦うという表明への本気度を試されている。企業が多様であるためには、その思想に沿わない従業員やパートナー企業・個人との関係性を見直さなければならない。 女性に対するセクハラ行動についても批判の目にさらされている。女性ストリーマーや選手たちによる告発は止まらない。Survivor Storiesによせられた告発の数は300を超えた。その対象はストリーマーや選手、ゲー
ポリティカルコレクトネスって、制作側の ・子供が見るアニメにはこういう描写はしない方が「政治的に正しい」だろうな ・こういう描写がある創作物はゾーニングやレーティングを設けたほうが「政治的に正しい」よね ・「法律的には問題ない」表現だったとしても、「政治的に正しくない」表現をおおっぴらにしてしまうと面倒だから注意書きを入れよう というような自主的な問題意識だと思うんだけど。 自分はポリコレの観点って大事だと思うけど、 例えばレ○プ物・ロリショタリョナ物のエロ表現でも、それが2次元であり18禁かつゾーニングされてれば存在を許されるべきだという考えだし、ゾーニングやレーティングが正しくなされてるものにそれ以上の規制を求める(つまり本当の意味で存在を許さない)「ポリコレ派」ってそうそう見かけないよ。
ポリティカル・コレクトネス(以下、PC)とは何か。いまだ明確な定義は難しいとされるが、その言葉が使われている文脈を見ると、一定のコンセンサスはあるように思う。本稿ではそれを日本社会の文脈に沿って読み解き、整理したうえで定義してみたい。若干抽象的な「試論」になるが、表現の現場における具体的な問題を考えるうえでの一助になれば幸いだ。 ■日本では2010年代から、ネットの議論により一般化日本にポリティカル・コレクトネスという言葉がアメリカから輸入されたのは1990年代だが、広く一般的に使われるようになったのは2010年代になってからのことだと言っていいだろう。 とくにインターネット上で、女性をはじめ外国人や性的マイノリティなど特定の属性に対する偏見や固定観念を助長しかねない表現に対して批判が集まるようになった。場合によってはネットが炎上し、表現の削除や修正も起きたことから、それを「たたき」だとし
anond.hatelabo.jp 僕は30年来の『銀英伝』ファンなので、正直、「1987年完結の作品を、いまさら、2020年のポリティカルコレクトネスに合わせて変える必要はないのでは……」とは思うんですよ。料理が苦手なフレデリカさん、というのも、記憶力抜群、士官学校次席卒業の才能があり、お父さんは軍の最高幹部のひとり。まあ、お父さんに関しては、後に大きな問題になるのですが。あれに関しては、「物語的には『親がクーデターの首謀者』でも子どもに責任はない。君が必要だ」は正しいのだけれども、現実にああいうことが起こったら、果たして僕は、世論は、彼女が現任に留まることを許容できるか、とは思うのです。「外側」からみていたら、「親の罪に連座」はありえないとしても、軍の中枢にとどまってもらうのはちょっと……と考えるのが一般的ではなかろうか。 あの「料理が苦手」設定は「女性なのに云々」というより、「きわめ
こんどは女性蔑視発言で東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会のクリエイティヴ・ディレクターが辞任に追い込まれた。今年に入ってからは女性蔑視発言をきっかけとしたポリティカル・コレクトネス(PCまたはポリコレ)騒動が頻繁に起こっている。これはいったいどういうことか? PCは行き過ぎではないかという議論も巻き起こり始めている。そこで、各紙新聞書評でも高評の『人はなぜ「自由」から逃走するのか:エーリヒ・フロムとともに考える』の著者である哲学者・仲正昌樹氏に、この現状を分析してもらい、「一体、何のためのポリティカル・コレクトネスなのか?」について考察、解説してもらった。まずは「言葉」に脊髄反射する前に一読をおすすめしたい。 東京五輪・パラリンピックで開閉会式の演出を統括するクリエーティブディレクターが女性タレント渡辺直美さんの容姿を侮辱するような提案をしたとして辞任した。渡辺さんは「私自身は
ショーン・レノンはポリティカル・コレクトネスについてツイッターで長文を投稿して、「カルチャー」にネガティヴの影響を与えると思っていると説明している。 ショーン・レノンは日本人の母親を持って成長した体験について説明している。 「幼い頃、いつもみんなはアジア人について人種差別的なことをよく言っていて、そうなると『ゴメン! でも、君はアジア人じゃないからさ』って言われてね。そういう人たちは心から僕がそれで気が晴れると思っていたんだと思うんだ」 「この話を持ち出すことになった理由はちゃんとは分からないけれど、でも言いたかったのはポリティカル・コレクトネスがまったくない時代に僕らは育ったということなんだ」 彼はポリティカル・コレクトネスと「モラル警察」は「議論の余地はあれ」事態を悪くすると考えていると説明している。 「人種間関係というのはまさに『二歩後退』しているように感じられるんだ」とショーン・レ
誰もが手軽に表現するSNS普及後の世界で研究者の視点はどのように活かせるのか。ジェンダーとフェミニズム,セクシュアリティとクィア,障害と社会モデル,エスニシティと社会的な望ましさなど,私たちが生きる現代社会の不均衡を知り,別のありかたへ。 ※電子書籍配信中!*電子書籍版を見る* ◆書斎の窓の鼎談コーナーにて,本書が紹介されています。 →記事を読む ◆法学教室の「Book Information」コーナーにおいて,編集担当者が本書を紹介!! →記事を読む 序 章 ポリティカル・コレクトネスをめぐる論点 第1章 クイア・ポリティクスとポリティカル・コレクトネス 第2章 「次善の策」としてのポリティカル・コレクトネス 第3章 バックラッシュ/キャンセルカルチャーと法整備の必要性 第4章 「思いやり」から権利保障へ 第5章 マジョリティ性をどのように考えられるか 第6章 「社会的な望ましさ」をめ
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