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山本五十六の検索結果1 - 28 件 / 28件

  • 「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやっても部下は転職」山本五十六の格言を実行してもことごとく部下が転職していく無情

    めそ先生 @kingnuuu やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやっても部下は転職 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやっても、部下は転職 やっている、姿を感謝で見守って、信頼しても、部下は転職 2022-07-20 22:19:52

      「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやっても部下は転職」山本五十六の格言を実行してもことごとく部下が転職していく無情
    • 極秘文書から見えた 新しい“山本五十六” | NHK | WEB特集

      NHKが年末に放送する特集ドラマ「倫敦ノ山本五十六」(ロンドンのやまもと いそろく)。 主演の香取慎吾さんが演じるのは、旧日本海軍の軍人・山本五十六です。 ベースとなったのは、80年あまり封印されていた海軍の最高機密文書でした。(「倫敦ノ山本五十六」取材制作班) 「山本五十六を知っていますか?」 この質問に「はい」と答えられる人がどれだけいるでしょうか? 職場で周りの人に聞いても、「海軍の軍人」とか「真珠湾攻撃を実行した人」ということ以上に知っている人はあまりいませんでした。 ちょうど80年前の12月8日、太平洋戦争が始まるきっかけとなった真珠湾攻撃を考えだしたのが、当時海軍大将だった山本五十六(いそろく)です。 真珠湾攻撃は日本側が勝利したため、国内で「英雄」ともてはやされた山本。 一方で、戦前にアメリカに滞在し、見聞を広めた経験から、「アメリカとは戦争すべきではない」と最後まで反対した

        極秘文書から見えた 新しい“山本五十六” | NHK | WEB特集
      • おばあちゃんの家を整理してたら、山本五十六から祖父宛の感謝状が出てきた→Twitterの力で文字を解読

        よしよし @Raboyosiyosi @lonelyKerryZEN それが内容が読めないので、どうしたらいいものかと… 祖父の何かしらの行動で頂いた文章なので、知りたいと思っているのですが。 誰に聞けばいいのでしょう?? ちなみに母は捨てようとしていたので、私が今日厳重に持ち帰りました! 2020-10-07 22:18:42 補充兵太郎 @batahojyu @Raboyosiyosi @DaitenshiMeme 乗組みされていたと思われる駆逐艦「敷波」ほか所属艦船部隊に対しての感状の写し(現物は賞状スタイル)と思われます。 おそらくお名前の方が文面にある蘭印作戦の該当する戦功に寄与されていたことをこの書面(ガリ版)で通知あるいは証明用(成績や手当に繋がる)に交付されたものと思います。 2020-10-08 02:16:46

          おばあちゃんの家を整理してたら、山本五十六から祖父宛の感謝状が出てきた→Twitterの力で文字を解読
        • 「息子を死なせたくなかったら陸軍大学校へ」 無謀な戦争で、山本五十六は何を目指したか | 文春オンライン

          山本五十六といえば、日独伊三国同盟、対米強硬路線に反対しながらも、真珠湾攻撃の指揮を行った海軍の連合艦隊司令長官として国民的英雄となったが、時代によって変遷をたどり、軍人的評価も「名将」「凡将」「愚将」とさまざまだ。 作家の保阪正康さんは、後方で安穏と暮らしながら机上の地図で作戦を練り、人の命をほしいままにしていた戦争指導者も少なくなかった状況で、山本五十六は「人の心を持った軍人だった」と語る。『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人』(角川新書)の一部を紹介する。 ◆ ◆ ◆ 戦争指導者と兵士の関係 太平洋戦争を見つめる新しい視点、あるいはなぜこの点がもっと深く論じられてこなかったのだろうという謎に、戦争指導者と兵士の関係がある。大本営、ないしは後方にあっての司令部では、将軍や参謀たちが地図とにらめっこをしながら、こっちの部隊はあっちへ、あっちの部隊をこっちへと兵士を動

            「息子を死なせたくなかったら陸軍大学校へ」 無謀な戦争で、山本五十六は何を目指したか | 文春オンライン
          • アメリカ国務省高官、殺害したイランのソレイマニ司令官を山本五十六元帥に例える(高橋浩祐) - エキスパート - Yahoo!ニュース

            トランプ米大統領の命令によって、アメリカ軍が1月3日未明、イラクの首都バグダッドの国際空港で、イラン革命防衛隊のガセム・ソレイマニ司令官をドローン攻撃で殺害した。 ソレイマニ司令官は、イラン革命防衛隊で対外工作を担う特殊部隊「コッズ部隊」を20年以上、率いてきた比類なき軍事指導者だ。イラン国内では最高指導者ハメネイ師に続き、事実上ナンバー2の実力者とみられてきた。そして、イランの国民的英雄とみなされてきた。それは、ハメネイ師がソレイマニ氏の死亡を受け、イラン全土が3日間喪に服すことを発表したことからもうかがえる。 一方、アメリカは2007年10月、ソレイマニ司令官をテロリストとみなし、経済金融制裁を科してきた。トランプ大統領も1月3日、支持基盤のキリスト教福音派向けの集会で「昨夜、私の指示でアメリカ軍は空爆を成功させ、テロリストを殺害した」と述べた。 そんなテロリスト扱いで殺害したソレイマ

              アメリカ国務省高官、殺害したイランのソレイマニ司令官を山本五十六元帥に例える(高橋浩祐) - エキスパート - Yahoo!ニュース
            • 「日本人は山本五十六の指摘を忘れてはならない」元・豪首相上級顧問が語る中国 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

              かつて衝撃的な著書『アメリカが中国を選ぶ日』を発表したオーストラリアの元国防副次官。もはや中国抜きでは成り立たなくなった世界について、厳しい未来を語る。安全保障分野のトップジャーナリスト、牧野愛博氏によるオーストラリアレポート第4弾。 私は昨年11月、オーストラリアに出張する前、日本の知識人たちに「豪州で一番のリアリストは誰だろうか」と尋ねて回った。私の頭のなかに「リアリストこそ、現実をよく知る人物」というひとつの仮定があったからだ。 専門家なら誰もが知る言葉のひとつに、「外交や安全保障は、やればやるほどリアリストになる」という文句がある。安全保障と外交の世界に平等という言葉はない。国連安全保障理事国や核拡散防止条約(NPT)体制など、全く不平等な取り決めだが、「戦後秩序」「パワーゲーム」などの言葉の下で、受け入れなければならない。 外交や安全保障は、こうした彼我の力の差や国際関係を冷静に

                「日本人は山本五十六の指摘を忘れてはならない」元・豪首相上級顧問が語る中国 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
              • 《真珠湾攻撃》なぜ日本は“二次攻撃”をやらなかったのか「山本五十六も米国の底力を下算していた」「政治的、戦略的には大きな失敗だった」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

                《真珠湾攻撃80年》元参謀が語った作戦当日の朝「ニコニコしながら話し合っていた」「タバコか酒でも買いに行くような格好で静かな顔つきをしていた」 から続く 【写真】この記事の写真を見る(2枚) いまから80年前の1941年12月8日、ハワイ・オアフ島に停泊する米国太平洋艦隊に日本海軍の攻撃機が奇襲を仕掛けた。太平洋戦争開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃である。 真珠湾作戦の中心的役割を担った元参謀・源田實氏による歴史的回顧録『 真珠湾作戦回顧録 』(文藝春秋)より一部抜粋して、真珠湾攻撃の政治的、戦略的評価について紹介する。(全2回の2回目/ 前編を読む ) ◆◆◆ 一般的に真珠湾攻撃は、戦術的には大成功であったが、政治的、戦略的にはむしろ大きな失敗であったという評価がなされている。結果から直線的な、単次元的な批判を行なうとすれば、そういうこともいえるであろう。まず政治的な評価であるが、最後通

                  《真珠湾攻撃》なぜ日本は“二次攻撃”をやらなかったのか「山本五十六も米国の底力を下算していた」「政治的、戦略的には大きな失敗だった」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
                • 《真珠湾攻撃》なぜ日本は“二次攻撃”をやらなかったのか「山本五十六も米国の底力を下算していた」「政治的、戦略的には大きな失敗だった」 | 文春オンライン

                  いまから80年前の1941年12月8日、ハワイ・オアフ島に停泊する米国太平洋艦隊に日本海軍の攻撃機が奇襲を仕掛けた。太平洋戦争開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃である。 真珠湾作戦の中心的役割を担った元参謀・源田實氏による歴史的回顧録『真珠湾作戦回顧録』(文藝春秋)より一部抜粋して、真珠湾攻撃の政治的、戦略的評価について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む) ◆◆◆​​ 日本側の機械暗号が既に解読されていた 一般的に真珠湾攻撃は、戦術的には大成功であったが、政治的、戦略的にはむしろ大きな失敗であったという評価がなされている。結果から直線的な、単次元的な批判を行なうとすれば、そういうこともいえるであろう。まず政治的な評価であるが、最後通牒が攻撃後に手渡されたことは、何としても大きな失敗であった。しかもこれが、わが方の暗号翻訳に手間取ったためとあっては、何をか言わんやというところである。ともか

                    《真珠湾攻撃》なぜ日本は“二次攻撃”をやらなかったのか「山本五十六も米国の底力を下算していた」「政治的、戦略的には大きな失敗だった」 | 文春オンライン
                  • 【人材育成】山本五十六の名言の二行目、三行目 - クマ坊の日記

                    人材育成の世界で昔からよく引き合いに出される山本五十六の名言があります。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ」 山本五十六は第二次世界大戦の連合艦隊司令長官です。彼はアメリカのハーバード大学にも留学し、多様な文化に触れる中で、人間の在り方について深く考えていたと言われます。山本五十六の前述したフレーズは30年前の企業の人材育成担当者の間ではよく取り上げられたものです。しかし、このフレーズに続く二行目、三行目を知っている人は驚くほど少なかったりします。 「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている姿を感謝で見守って、信頼せぬば、人は実らず。」 人の育成は長期で捉える考え方が伺えますし、誠実に相手に向き合う重要性を説いています。近年、心理的安全性が叫ばれていますが先人達は当た

                      【人材育成】山本五十六の名言の二行目、三行目 - クマ坊の日記
                    • 戦艦大和に対して、山本五十六が下した「意外な評価」…「名将」が見せた二面性(大木 毅) @moneygendai

                      1945年4月7日、沖縄戦へと向かう途中だった戦艦大和は、アメリカ軍の攻撃を受けて沈没した。「大艦巨砲主義」の象徴として批判されることもある大和について、「名将」と言われた山本五十六はどのように考えていたのだろうか? 『「太平洋の巨鷲」山本五十六』から彼の評価を紹介するが、その前に海軍の官僚主義が露わになった「空軍」創設に関する議論を取り上げたい。 各国で空軍独立が進む 航空本部長時代の山本の功績として知られるのは、航空機産業の調整に努力し、大量生産体制を整えるのに奮闘したことであろう。そうした働きをみれば、山本がすっかり航空主兵論に転向し、また、総力戦に向けた航空戦力整備の必要も理解していたと思われるかもしれない。それ自体は間違いではなかろう。 だが、では、山本が組織防衛上の配慮や大艦巨砲主義を唱える海軍主流派への忖度から完全に自由であったか。おそらく、そう断じてしまえば、真実からは遠ざ

                        戦艦大和に対して、山本五十六が下した「意外な評価」…「名将」が見せた二面性(大木 毅) @moneygendai
                      • 「半年か1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら…」山本五十六が忌み嫌った“日独伊三国同盟”締結の裏側 | 文春オンライン

                        真珠湾攻撃をはじめとした、太平洋戦争緒戦での作戦立案指揮で活躍した山本五十六。昭和海軍を代表する人物で、彼に関する書籍・映画・評伝は数多く発表されている。一方で山本五十六の軍人としての評価はなおざりにされている状況だという。 そう語るのは軍事史研究者の大木毅氏。ここでは同氏の著書『「太平洋の巨鷲」山本五十六 用兵思想から見た真価』(角川新書)の一部を抜粋。三国同盟締結当時の軍人・山本五十六の考えを、各種資料をもとに紐解いていく。 ◆◆◆ 対米戦争は引き返し不能に 9月7日、ナチス・ドイツの特使ハインリヒ・シュターマーは、東京に到着し、千駄ヶ谷にあった松岡(編集部注:当時の外務大臣)の私邸で、オット駐日大使とともに連日会談を行った。重要なのは、11日に提示されたドイツ案で、その第三項は「右三国〔日独伊〕のうち一国が現在のヨーロッパ戦争または日支紛争に参入していない一国によって攻撃された場合に

                          「半年か1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら…」山本五十六が忌み嫌った“日独伊三国同盟”締結の裏側 | 文春オンライン
                        • 山本五十六(豊川悦司)の3つの誤算で日本が敗北?映画『ミッドウェイ(2019年)』 - WワーカーAKIRAの映画・ドラマブログ

                          映画『ミッドウェイ(2019年)』では、天才軍人と思われていた山本五十六の3つの誤算で、大日本帝国が敗北する事になります。はたして、山本五十六は何を読み間違えたのか?詳しく紹介しましょう。 映画『ミッドウェイ』のキャスト 監督&脚本&原作 俳優情報 大日本帝国 アメリカ合衆国 映画『ミッドウェイ』のストーリー 『山本五十六(豊川悦司)の3つの誤算』 映画『ミッドウェイ』と他の作品を比較 映画『ミッドウェイ』のパンフレット ローランド・エメリッヒ監督のコメント 戦闘機の紹介 映画『ミッドウェイ』のまとめ 映画『ミッドウェイ』のキャスト 日本とアメリカ合衆国の合作映画『ミッドウェイ』は、日本では2020年9月11日に上映されました。 監督&脚本&原作 監督:ローランド・エメリッヒ 脚本:ウェズ・トゥック 俳優情報 映画『ミッドウェイ』に出演していた俳優たちの情報を紹介します。 大日本帝国 山本

                            山本五十六(豊川悦司)の3つの誤算で日本が敗北?映画『ミッドウェイ(2019年)』 - WワーカーAKIRAの映画・ドラマブログ
                          • 山本五十六(マコ岩松)が太平洋艦隊を壊滅できた要因!映画『パールハーバー』 - WワーカーAKIRAの映画・ドラマブログ

                            映画『パールハーバー』では、山本五十六(マコ岩松)が真珠湾奇襲攻撃を敢行して、太平洋艦隊を壊滅させますが、なぜ、そのような事が可能だったのか?詳しく解説しましょう。 映画『パールハーバー』のキャスト 監督&脚本&原作 女優&男優 主題歌 映画『パールハーバー』のストーリー 『山本五十六(マコ岩松)が太平洋艦隊を壊滅できた要因』 映画『パールハーバー』と他の作品を比較 映画『パールハーバー』のネットの評価 映画『パールハーバー』のまとめ 映画『パールハーバー』のキャスト 映画『パールハーバー』は、2001年7月14日に上映されました。 監督&脚本&原作 監督:マイケル・ベイ 脚本:ランダル・ウォレス 女優&男優 山本五十六(演:マコ岩松)真珠湾奇襲攻撃を立案した天才軍人 レイフ(演:ベン・アフレック)無鉄砲な米兵 ダニー(演:ジョシュ・ハートネット)レイフの親友 イヴリン(演:ケイト・ベッキ

                              山本五十六(マコ岩松)が太平洋艦隊を壊滅できた要因!映画『パールハーバー』 - WワーカーAKIRAの映画・ドラマブログ
                            • 「山本五十六は避戦派」米で評価見直し機運 米中緊張も背景か|みがく経営|日経BizGate

                              記事保存 日経BizGate会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。 国内で名将と称賛されても、海外では悪党扱いされているケースはままある。その1人が、79年前の真珠湾攻撃を成功させた海軍の山本五十六・連合艦隊司令長官(元帥、1884~1943年)だ。日本では理想的なリーダーの1人に挙げられてきたが、米国では日本側の最後通告が遅れたこともあって、だまし討ちの張本人として批判の対象だという。ただ6月に米国で発刊されたノンフィクション「アメリカが見た山本五十六」(原題:DEAD RECKONING 邦訳は原書房から7月に出版)は従来と違い、対米戦を避け軍備を抑止力として使おうとする山本像が描かれている。日本海軍史研究の畑野勇氏(武蔵学園記念室)に聞いた。 根強い「真珠湾だまし討ちの仕掛け人」 山本五十六に対する米国の評価が変わりつつある。これまでは「

                                「山本五十六は避戦派」米で評価見直し機運 米中緊張も背景か|みがく経営|日経BizGate
                              • 山本五十六の名言「やってみせ、言って聞かせて・・・」 - 🌀ぐるぐるねこ男ブログ🌀

                                言葉で説明するのが少し難しいのですが、我が家にはベランダ状になった3階部分(すなわち”屋上”)があります。だいぶ気候がよくなってきたので、休日はそこで過ごすことが多くなってきました。近くのディスカウントショップでシャンパン(500円)と牡蠣の缶詰(200円)を買ってきて、自家製野菜の炒め物や自分で焼いたパン、そしてお中元でいただいたソーセージなどをボイルして屋上に持ち上がります。そしてぐるぐる猫と一緒に、屋上で大好きなJazzを聴きながらシャンパンを飲んで楽しんでいます。 たった700円でこれだけ楽しめたら、リゾートホテルに行くよりも圧倒的にコスパが高いよなあ〜ってぐるぐるねこに話しかけますが、彼は時々目の前を飛んでいくスズメを追いかけるのに必死です。3階の高さの屋上なので、もし足を滑らせて落ちてしまうと、おそらく命の保障はありません。それでなくてもうちのぐるぐるねこはキッチンのカウンター

                                  山本五十六の名言「やってみせ、言って聞かせて・・・」 - 🌀ぐるぐるねこ男ブログ🌀
                                • 皮肉にも戦艦「大和」を「無用の長物」に変えてしまった、山本五十六の「革新的すぎる新戦略」(播田 安弘)

                                  史上最大の戦艦・大和が完成しました。その巨体もさることながら、主砲に採用された46cm砲も、艦砲としては世界最大のスケールを誇りました。しかし、残した戦果や実戦歴から、無用の長物と言われたり、航空機による戦闘が主流になりつつある時代に逆行していたことから"時代錯誤の大艦巨砲主義の産物"ともいわれています。 しかし、前回の〈史上最大の戦艦「大和」に搭載された「46センチ主砲」の「ヤバすぎる威力」〉で見たように、大和に導入された技術は、非常にレベルの高いものでした。その高い技術力が存分に発揮されなかった原因として、航空機戦力への転換と言われています。では、戦力としての航空機活用はどのように始まったのでしょうか? 今回は、大和をめぐる海戦の変化を見てみたいと思います。解説は、『日本史サイエンス』『日本史サイエンス〈弐〉』の著者で、船舶設計技師の播田 安弘さんです。 構造上の問題点とは 戦艦大和の

                                    皮肉にも戦艦「大和」を「無用の長物」に変えてしまった、山本五十六の「革新的すぎる新戦略」(播田 安弘)
                                  • 山本五十六の死姿に迫る!リメンバー パールハーバー~多磨霊園に眠る著名人⑦ - 北穂高岳で味わう至福のひと時

                                    山本長官が搭乗していた「一式陸攻」の左翼の一部(「山本五十六記念館」公式サイトから引用) 山本五十六――。 「五十六」と書いて、「いそろく」と読みます。 ハワイのオアフ島のパール・ハーバーに、昔、アメリカの海軍基地があったのですが、日本軍が飛行機で奇襲攻撃して、戦艦4隻を撃沈させるという戦果を挙げた「真珠湾攻撃」の時の指揮官です。 1941年12月8日のことです。 連合艦隊司令長官だった山本五十六は、日本では「国民的英雄」になりました。 でも、アメリカは軍人と民間人合わせて2400人が亡くなったこともあって「だまし討ちだ」と激怒。「リメンバー パール ハーバー」を合言葉に反撃に出て、破滅的な太平洋戦争が始まりました。 山本五十六がその後、どういう最期を遂げたか、古本をめくってみました。 目次 日米開戦には反対した男??? 山本五十六長官機の撃墜 生き残りの2人が「墜落時」を証言 ゼロ戦のパ

                                      山本五十六の死姿に迫る!リメンバー パールハーバー~多磨霊園に眠る著名人⑦ - 北穂高岳で味わう至福のひと時
                                    • 山本五十六の死は「自殺」? 部下を「人間」として扱った指揮官、最後の行動 | 文春オンライン

                                      「真珠湾奇襲」の成功によって、日本軍上層部と国民の多くは早くも「戦勝ムード」に浸っていたという。 ノンフィクション作家・保阪正康さんは著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人』(角川新書)で、真珠湾攻撃の指揮を行った海軍の連合艦隊司令長官・山本五十六の葛藤に迫る。 ◆ ◆ ◆ 得意の東條、煽るマスコミ、騒ぐ国民 日本の軍事指導者たちには、アメリカとの講和などまったく念頭になかった。とにかく戦果があがることをひたすら喜んでいた。この頃の史料を見ても、アメリカに軍事的打撃を与えたというだけで、東條英機は、「日本には天佑神助がある。皇国三千年の歴史では戦争に負けたことのない民族だ」とその周辺で得意になっているだけだった。 戦果をすぐ陛下にご報告しろと、そればかりを口にしていた。この時期日本のジャーナリズムは国家宣伝省にすぎなかったが、連日国民の士気を煽り立てるニュースを垂れ

                                        山本五十六の死は「自殺」? 部下を「人間」として扱った指揮官、最後の行動 | 文春オンライン
                                      • 異色の軍人・山本五十六 避戦、早期講和を阻んだ組織の壁

                                        1940年の夏は、日本がドイツとイタリアとの三国軍事同盟の締結に踏み切り、イギリス・アメリカとの対立が決定的となった重大時期であったが、その当時、東京にある駐日イギリス大使館では、駐日大使ロバート・クレーギー(1883-1959)と、館員ジョージ・サンソム(1883-1965)との間で対日政策をめぐる根本的な意見の対立があった。 クレーギーは少年期を日本でしばしば過ごし、1920年代から30年代にかけて開催された数々の軍縮会議において日本側全権団と親しく交流した経験を持つ、いわゆる「知日派」外交官と目されていた。そして駐日大使として37年に着任して以降、英米との友好関係維持を望み国際協調的な対外路線を追求する、日本国内の「穏健派」に着目した。クレーギーは、彼ら「穏健派」を支援し、かつ、イギリスが日本に対してある程度譲歩することによる、日英間での和解の可能性が開かれることを期待した。 太平洋

                                          異色の軍人・山本五十六 避戦、早期講和を阻んだ組織の壁
                                        • 「もう生きては帰れない」…山本五十六戦死のその時、護衛についていた6名の搭乗員に訪れた悲劇(神立 尚紀) @moneygendai

                                          徹底的に秘匿された山本長官の死 6機の護衛戦闘機の搭乗員に任務が伝達されたのは、17日夜のことであった。指揮官兼第一小隊長・森崎武予備中尉、二番機・辻野上豊光一飛曹、三番機・杉田庄一飛長(飛行兵長)。第二小隊長・日高義巳上飛曹、二番機・岡崎靖二飛曹、三番機・柳谷謙治飛長。司令室に呼ばれた六人の搭乗員は、翌日の任務は聯合艦隊司令長官の護衛であり、その責任の重いことを伝えられた。 森崎予備中尉は24歳。神戸高等工業学校在学中に召集されて昭和15(1940)年4月、飛行科予備学生7期生として海軍に入った。ミッドウェー海戦で重傷を負い、顔の右頬や手にまだケロイドが残っていた。ラバウルに進出以来半年あまり、実戦の経験はすでに十分に積んでいたが、負傷の後遺症で視力がよくなく、薄いサングラスを常用していた。 日高上飛曹も24歳、昭和15年1月に操縦練習生を卒業していて、開戦以来、フィリピンから東南アジア

                                            「もう生きては帰れない」…山本五十六戦死のその時、護衛についていた6名の搭乗員に訪れた悲劇(神立 尚紀) @moneygendai
                                          • 6月5日 東郷平八郎・山本五十六の国葬が行われる - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                            6月5日は、2人の軍人、しかも両人とも元帥、の国葬が行われた日です。 その2人は、東郷平八郎と山本五十六です。 (東郷平八郎) (「近代名士写真 其1」:国立国会図書館ウエッブサイトより) 東郷平八郎は、日本海軍での世界史上例のない完全勝利、しかも大国ロシアに対しての大勝利が有名です。 東郷平八郎は、父が鹿児島藩士。戊辰戦争に従軍し、維新後、1871年(明治4年)にイギリス海軍に留学。帰国後、海軍中尉となる。日清戦争では浪速艦長として活躍。日露戦争では連合艦隊司令長官として、自ら作戦を指揮し、バルチック艦隊を日本海海戦で 全滅させます。 1934年(昭和9年)5月30日午前7時に亡くなり6月5日に日比谷公園で国葬が行われました。 【東郷元帥について書いたブログ】 (山本五十六) (山本五十六肖像写真:国立国会図書館ウエッブサイトより) 1904年(明治37年)海軍兵学校卒業。海軍大学校卒業

                                              6月5日 東郷平八郎・山本五十六の国葬が行われる - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                            • とどめを刺すのを怠ったのは「真珠湾攻撃」の致命的な失策? 山本五十六が立案した“作戦”の“評価”を検証すると… | 文春オンライン

                                              山本五十六が立案指揮した「真珠湾攻撃」は、一方的かつ圧倒的な勝利をあげた作戦だったが、政治、戦略、作戦、戦術……さまざまな次元で問題があり、複数の次元が関連する争点がいまもなお指摘され続けている。 日本が戦争を進めていくうえで、「真珠湾攻撃」はどのような意味を持っていたのだろうか。ここでは、軍事史研究者の大木毅氏の著書『「太平洋の巨鷲」山本五十六 用兵思想から見た真価』(角川新書)の一部を抜粋し、軍人としての山本五十六が立案指揮した作戦をめぐる評価について、つぶさに検証する。 ◆◆◆ 真珠湾攻撃に向けられる批判と評価 1941(昭和16)年12月8日、日本時間午前3時19分(ハワイ時間の12月7日午前7時49分)、南雲機動部隊が発進させた第一次攻撃隊は、「全軍攻撃せよ」を意味する「ト連送」を発信するとともに攻撃を開始した。ついで、午前3時22分には、攻撃隊長淵田美津雄中佐が「トラトラトラ」

                                                とどめを刺すのを怠ったのは「真珠湾攻撃」の致命的な失策? 山本五十六が立案した“作戦”の“評価”を検証すると… | 文春オンライン
                                              • 4月18日 山本五十六 ブーゲンビル島上空で散る! - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                                山本五十六長官は、1943年〈昭和18年〉4月18日に前線視察に向かう途中、 ブーゲンビル島上空で暗号を解読したアメリカ軍戦闘機の待ち伏せにあい戦死します。 出典:「 東亜建設聖戦史大東亜戦争写真史大観」(国立国会図書館ウェブサイトより) 山本五十六は、お父さんが56歳の時に生まれた子供ということで名前が五十六(いそろく)となりました。 太平洋戦争時には米軍は「ヤマモト フィフティー シックス」と呼んでいたそうです。 山本は1904年(明治37年)、海軍兵学校卒。 海軍大学校卒業後は、駐米大使館付武官、空母赤城の艦長などを歴任し1929年(昭和4年)に開かれた第一次ロンドン軍縮会議には随員として参加します。 その後、第一航空戦隊司令官、海軍航空本部長として海軍航空部門の強化に尽力します。 山本は、アメリカのハーバード大学留学経験もあり、その後も駐米大使館付武官となってアメリカで生活をしてい

                                                  4月18日 山本五十六 ブーゲンビル島上空で散る! - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                                • 日米開戦80年の真相…山本五十六が「日本必敗論」のウラで「真珠湾攻撃」に踏み切った本当のワケ(藤岡 雅,大木 毅) @moneygendai

                                                  大手不動産会社の積水ハウスの地面師事件を覚えているだろうか。同社は2017年6月、地主に成りすました詐欺師に約56億円を騙し取られるという前代未聞の騒動を引き起こした。筆者はその過程で社内でなにが起きていたかを著書『保身 積水ハウス クーデターの深層』にまとめたが、そこからは経営トップたちが保身に走る姿と、そんなトップたちに忠実になりすぎるサラリーマンたちの姿が浮かび上がってきた。いったいなぜ、日本の組織はこうした特性をもってしまうのか。 そうした日本型組織の問題について、いま話題になっているのが『「太平洋の巨鷲」山本五十六』だ。本書を上梓した現代史家の大木毅氏は、いまから80年前、ハワイ真珠湾を攻撃した連合艦隊司令長官・山本五十六の実像を「戦略、作戦、戦術」の3次元で再評価。名将論、凡将論が交錯する山本の真価にたどり着いた作品として話題になっているわけだ。 しかし、そんな彼もまた海軍とい

                                                    日米開戦80年の真相…山本五十六が「日本必敗論」のウラで「真珠湾攻撃」に踏み切った本当のワケ(藤岡 雅,大木 毅) @moneygendai
                                                  • 山本五十六は化学に弱かったのか、「水からガソリン」事件を再解釈

                                                    水と二酸化炭素(CO2)から液体合成燃料(e-fuel)を一貫製造するプロセス技術。産業技術総合研究所(AIST)が研究開発を進めているという話を聞いて思い出したのが、旧日本海軍の「水からガソリン」詐欺事件のことだった。 水からガソリン詐欺事件とは、太平洋戦争開戦の約3年前に当たる1939年1月、「水をガソリンに変える方法を発明した」とする詐欺師を日本海軍が呼んで実験させた一件を指す。戦後になって「水からガソリンはできないという程度の化学知識さえ持たずに、当時の海軍首脳部が詐欺師の話に安易に飛びついた」と批判の対象になった。 その海軍首脳部とは、海軍次官の山本五十六中将、航空本部教育部長の大西瀧治郎大佐(実験責任者)など、現代でも名前をよく知られている人々である*。この事件が世の中に知られた最初は、阿川弘之著『山本五十六』(参考文献1)の記述といわれる。 最近になって、書籍『水を石油に変え

                                                      山本五十六は化学に弱かったのか、「水からガソリン」事件を再解釈
                                                    • 山本五十六は、なぜ真珠湾攻撃を実行したのか…?その裏にあった「真の思惑」(大木 毅) @moneygendai

                                                      1941年12月8日、日本軍はハワイのアメリカ太平洋軍基地を攻撃した。世に言う「真珠湾攻撃」である。この作戦を発案したのが、連合艦隊司令長官の山本五十六だと言われる。アメリカとの協調を望んでいた彼はなぜ、このような「奇襲攻撃」を選んだのだろうか。用兵思想の観点から日本海軍の「名将」を振り返った新刊『「太平洋の巨鷲」山本五十六』から、その答えを紹介する。 「漸減邀撃作戦案」への不安 山本は不本意な戦争をどのように遂行しようとしていたのか。 まず指摘できるのは、日本海軍が伝統的に追求してきた漸減邀撃作戦に対して、山本が懐疑を深めていたことであろう。よく知られているように、日露戦争後の海軍は、仮想敵国アメリカの太平洋艦隊の侵攻を日本近海で迎え撃ち、日本海海戦式の艦隊決戦でこれを撃滅するとの戦略を練ってきた。 とくに、ワシントン・ロンドンの両軍縮条約によって、対米艦船保有比率が不利に定められてから

                                                        山本五十六は、なぜ真珠湾攻撃を実行したのか…?その裏にあった「真の思惑」(大木 毅) @moneygendai
                                                      • 連合艦隊司令長官がまさかの「戦死」…今からちょうど80年前、山本五十六「最期の瞬間」(神立 尚紀) @moneygendai

                                                        太平洋戦争にはいくつかの転機があるが、昭和17(1942)年8月にはじまったガダルカナル島をめぐる攻防戦はまちがいなくそんな「転機」の一つだろう。 日本軍は昭和18年2月、ガダルカナル島から撤退するが、以後、ガダルカナル島を拠点に攻勢に出る米軍と、それを必死に防ぎ止めようとする日本軍のあいだで1年におよぶ激戦が繰り広げられた。そんなさなか、18年4月18日、連合艦隊司令長官・山本五十六大将が前線基地へ視察に赴く途中、乗機が米戦闘機に撃墜され戦死する。 ――あれから80年。山本の死はいったいなにを遺したのだろうか。 狙うは、大将機のみ 昭和18(1943)年4月14日早朝、日本側の無線を傍受、暗号を解読し、山本長官一行の詳細な視察計画を知った米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将は、麾下のウィリアム・ハルゼー中将に連絡し、フランク・ノックス海軍長官とフランクリン・ルーズベルト大統領に山

                                                          連合艦隊司令長官がまさかの「戦死」…今からちょうど80年前、山本五十六「最期の瞬間」(神立 尚紀) @moneygendai
                                                        • スティーブンス元米最高裁判事死去、山本五十六撃墜で死刑に疑念

                                                          ジョン・ポール・スティーブンス元米連邦最高裁判事(2013年11月19日撮影)。(c)CHIP SOMODEVILLA / GETTY IMAGES NORTH AMERICA / AFP 【7月18日 AFP】米連邦最高裁で30年以上にわたりリベラル派を主導し、社会進歩主義に根ざした影響力を行使したジョン・ポール・スティーブンス(John Paul Stevens)元最高裁判事が16日、米フロリダ州の病院で死去した。99歳。米最高裁が発表した。 【写真特集】2019年に亡くなった海外の著名人 1920年、4人きょうだいの末っ子としてシカゴに生まれ、当初は母親と同じ文学者を目指して学業に励んだ。 第2次世界大戦(World War II)が始まると、海軍の情報士官として従軍。ハワイ・真珠湾(Pearl Harbor)攻撃を立案した旧日本海軍の山本五十六(Isoroku Yamamoto)連

                                                            スティーブンス元米最高裁判事死去、山本五十六撃墜で死刑に疑念
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