学者らの尽力で廃棄を免れた民事裁判の判決原本には、兵庫県に関係する記録も多い=東京都千代田区、国立公文書館(撮影・中西幸大) 昨年10月、神戸連続児童殺傷事件の全記録廃棄が明らかになると、30年前の最高裁通達がにわかに注目された。特別保存(永久保存)を義務づける記録を、「世相を反映した事件」や「全国的に社会の耳目を集めた事件」などと明白に列挙していたためだ。だが、その通達が出されたのと同じ1992年、最高裁は内規の一部も改正。明治期以来の民事裁判の判決原本が一斉に廃棄されそうになったが、学者らの尽力によって間一髪で救われた事実はあまり知られていない。 この時、判決原本の救出運動で実務の中心を担ったのが、東京大教授(当時)の青山善充さん(83)だった。青山さんによると、92年1月、最高裁はひっそりと「附則第3項を削る」として内規を改めた。この変更は、確定後50年を経過した判決原本の原則廃棄を