・保守界隈にとって、石原慎太郎は夕刻の太陽であった(文中敬称略) 石原慎太郎は保守界隈にとって、文字通り太陽であった。が、2002年から勃興し始めたネット保守にとって、石原は太陽ではあったものの、それは夕刻の太陽であった。つまり旬の人ではなかった。石原の死後、90年代以降の日本の右傾化や、特にゼロ年代から顕著となるネット空間における右傾化に対して、石原が一定程度の影響を与えたかのように言う向きもあるが、私からしたら全くピント外れである。 とりわけ90年代末期からゼロ年代初頭の保守界隈に影響を与えたのは石原ではない。それを言うなら圧倒的に小林よしのりや「つくる会」であり、この時期タカ派議員として最も人気が高くスターだったのは、石原ではなく旧民社党系(のち民主、維新などを経由)の西村慎吾であった。 それでも古参の保守派にとって、石原は「戸塚ヨットスクールを支援する会」 (…注*戸塚ヨットスクー