本人や擁護者は認めたくないでしょうが、「統計を使って社会問題を分析しその解消法を提案する」という社会科学に手を突っ込んでいる人間が一般的にも広く知られている社会政策上の(巨大な)失敗例を知らなかったという事実は、論者の適格性を評価… https://t.co/xuiMB3Misf
ウクライナ、ポーランド、ベラルーシ、バルト三国。西欧諸国とロシアに挟まれたこの地で起きた人類史上最悪のジェノサイド。旧ソ連体制下で歪曲・隠蔽されてきた事実を掘り起こし、殺戮の全貌を初めて明らかにした歴史ノンフィクションがついに学芸文庫に入った。今日の世界で『ブラッドランド』をどう読むべきか? 文庫化を機に、岩波新書『独ソ戦』の著者である現代史家・大木毅氏に特別寄稿をいただいた。 早いもので、もう四十年近く前になる。筆者は、大学院の演習で、今日に至るまで大きな影響を受けることになった論文に出会った。シカゴ大学教授(現同大名誉教授)だったミヒャエル・ガイヤーによる「社会政策としての戦争」(Michael Geyer, Krieg als Gesellschaftspolitik. Anmerkungen zu neueren Arbeiten über das Dritte Reich im
本日公表された『平成24年版厚生労働白書』は、第1部が「社会保障を考える」と題して、社会政策の根本論から説き起こして、福祉レジーム論や国際比較などを取り混ぜながら、社会保障改革の方向を検討する内容となっており、これはもう、そこらの凡百のろくでもない社会保障論もどきをちらりとでも読んでる暇があったら、これを教科書として熟読玩味した方が百万倍役に立つというものになっています。 http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/index.html 第1部 社会保障を考える はじめに(1~4ページ) [644KB] 第1章 なぜ社会保障は重要か(5~18ページ) [1,397KB] 第1節 社会保障の誕生 第2節 社会保障の発展 第3節 社会保障の「見直し」と再認識 第4節 日本の社会保障はどうだったのか 第2章 社会保障と関連する理念や哲学(1
内閣府ウェブサイトの常時暗号化による「https:」への切り替え Always on TLS of Cabinet Office Website 2019(令和元)年11月更新 Update,November,2019 内閣府ウェブサイトは、2018年11月29日より、常時暗号化通信(TLS1.2)となり、URLが以下のとおり、「https:」に変更となりました。※ ブックマーク機能等に「http:」で始まるURLを登録している場合や、リンクを貼っている場合等は、「https:」から始まるURLに切り替えていただきますよう、お願いいたします。 ※参考:2018年11月から2019年10月までは、httpによる接続を可能とする自動遷移の経過措置をとっておりました。 内閣府ホームページ(https://www.cao.go.jp/) 内閣府共通検索システム Cabinet Office has
(英エコノミスト誌 2013年4月27日号) 政府は人種による優遇措置を取るべきではない。 米連邦最高裁判所の正面に刻まれた「Equal justice under law」の4語(CC-BY-SA-3.0/Matt H. Wade at Wikipedia) 米連邦最高裁判所の正面入り口には、「Equal justice under law(法の下の平等な正義)」という4語が刻まれている。 今、この裁判所では、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)が、掲げられた理念に反するか否かが審議されている。 最高裁は先にミシガン州の住民投票でアファーマティブ・アクションが禁じられた件を巡る訴えを受理した。また、テキサス大学の人種を考慮した入学者選抜方法が合法か否かの判断も間もなく示されることになっている。 どちらの訴訟でも争点はごく単純で、政府は人種の違いを無視すべきなのか、ということ
大阪府の橋下徹知事は30日、改革プロジェクトチーム(PT)がまとめた財政再建プログラム試案(PT案)をめぐり、府教育委員会、私立学校などを所管する生活文化部と議論した。小学1、2年の35人学級制をめぐっては「36人の児童を18人クラスに分けるのは疑問」などと明言を避けた。私立高校の授業料助成論議では「義務教育でない以上、所得に応じた学校を選ぶのは当然」と主張。さらに「先生が殴るけるなどの指導ができないのは、府教委が厳しくし過ぎているからだ」と訴えるなど、独自の教育論を展開した。 35人学級制に関して橋下知事は「視察をして、小人数指導の効果は認識している」と一定の理解を示しながらも、「集団生活のルールを学ぶ最低限の人数は20人くらいではないか。(35人制によって)18~19人のクラスになるのは避けてほしい」と注文をつけた。 綛山(かせやま)哲男教育長は議論の後、報道陣に対し「基本的には理
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 濱口先生の『若者と労働』を読んでいて、あらためて「就社」社会ということに思いを馳せたわけですが、私から見ると、菅山さんの本はすごく重要な問題提起をしているんだけど、あと一歩というところもあります。それがじつはゴードンさんの本ともつながり、延いては濱口先生の歴史認識にも関わって来ます。 まず、重要なテーゼは「ホワイトカラーとブルーカラーの融合」ですが、これが1950年代に実現されて行ったという見解についてはいいでしょう。そして、ほぼ同時期に、「就社」社会の仕組みである新規一括採用が実現されて行ったということも問題ないと思います。さて、ここからがつっこみどころなんですが、日本的雇用システムというのは、年功賃金、終身雇用、企業別組合といわれ、これ
国民啓蒙は本当に効果があるのであれば、「国が個人の権利に口出すな!」と批判があろうと、推進しても構わないと思うが、私は効果が余りないと思っている。個人的な主義で子どもを作らない人がどれだけいるのか? 諸事情で子どもを作れない、或いは生まれないといったケースの方が圧倒的に多いのではないか?こういった少数派を思想改造する行為はえてしてそれで問題解決できるような錯覚に陥り、本質的問題解決を遠ざける。教育問題でいじめる生徒の登校停止や、不適格教師のクビで問題解決できると思っている風潮が教育改革を遠ざけている姿に似ている。 少数派にちょっかい出している暇があったら、できれば子どもを欲しいと思っている多数派に対して施策を講じた方がよほど効果がある。産みたいけど産めない諸事情をできるだけ取り除くのが社会政策である。別にフランスの真似をすればいい訳ではないが、日本とフランスの文化的差異を論じてああだとうだ
日本で「貧困」という言葉が死語に等しかったのは、ほんの数年前までのことだ。そして現在「貧困」という言葉は、必ずしもかつて――つまり、誰もが「貧困」を社会問題と認識していた高度成長期以前――と同じ事態を指すわけではない。 現在「貧困」という言葉は、「社会的排除」とほとんど同義に使われており、その内実は大きく異なっている。もっとも、そのような言葉の変遷とは関係なく貧困がつねに存在していたのはたしかだ。しかしその貧困はなかなか目に見えず、社会問題としても周縁的とみなされ、今日ほど注目されてはいなかった。 海外、とくに欧米では、すでに1980年代から、「新しい貧困」や「社会的排除」という言葉はそれまでの貧困とは異なるものとして注目されてきた。欧州では「排除された者たち」、北米では「アンダークラス」といった言葉が、それぞれニュアンスの違いはありながらも、新しい貧困を指し示す言葉として注目され、また熱
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 Kousyouさんとお約束したのでなぜ女工哀史的史観が一面なのかということをお話ししたいと思います。たしかに、残酷物語がなかったわけじゃありませんよ。実際、非常にキツイ話があったのも歴史的事実だと思います。でも、それはやはり、歴史の一面なんです。 まず、学術論文ではないので、イメージの話をしたいと思います。なぜ、こういう残酷物語、とりわけ左翼史観が優勢になったかと言えば、昔はこういう話が好まれたということと、何より左翼の人は筆が立った。細井もそうですけど、プロレタリア文学というのは、近代日本文学史を語る上でも外せません。中野重治や林房雄なんかもみんなそうですね。全体的に右の人が書くのは勇ましいというか難しい。もちろん、左翼もそういう層の方が
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 今回のエントリは多分、その筋の人たちにとっては衝撃的な内容だと思います。しかし、あえて書きます。一連の濱口先生の「働くことを報酬にしてはならない」論で攻撃されていたのは、「やりがい搾取」の雇う側の人たちでしたが、私はまったく逆に、ある種のボランティアの人たちに批判を加えようと思います。そういう人たちがいるからこそ「やりがい搾取」が起こるんだと言いいたいのです。なお、私は原理原則を分かりやすくするために、かなり極端な例を使って説明しています。 19世紀末に社会事業が巨大化してくると、必然的にある程度の官僚化が起こります。ここでの「官僚化」とは社会事業の専門ノウハウをもった人が恒常的に必要になる事態を意味します。そうなると、手弁当ではやってられ
権利と義務の話題があらぬ方向に逸れていく一方で、ねおりべな方は皮肉な(少なくとも本人はそれが皮肉に響くであろうという期待をもっての)台詞で、次のように語りますが、 http://www.tachibana-akira.com/2012/12/5360(素晴らしき強制労働社会 週刊プレイボーイ連載(78)) もちろん福祉社会のオランダでは、失業しても生活の心配はありません。失業保険をもらいながら、再就職のための教育訓練まで受けられます。 これも素晴らしい話ですが、そのかわり04年に施行された「雇用・生活保護法」で、18歳以上65歳未満の失業保険受給者は原則として全員が就労義務を課せられ、「切迫した事情」を立証できないかぎりこの義務は免除されないことになりました。 先進的な福祉国家では、社会に参画(貢献)する意思と能力を持った“市民”だけが手厚い保障を受けられます。 理想の福祉社会は、強制労働
中田:‖ @paddy_joy 一橋大 藤田教授の講演が面白かった。 「なぜ世界の中でも欧州が突出して女性の社会進出が進んでいるのか?それは欧州だけが世界で2回も世界大戦を経験していることと密接に関係がある。世界大戦は総力戦だった。つまり男が外で戦っている間に、女性は男がそれまで担っていた職を担う必要があった。→ 中田:‖ @paddy_joy →第一次世界大戦が終わると男たちは帰ってきたので女性は大量に失職してしまった。その後に第二次世界大戦が起こり、ふたたび女性が仕事に動員されることになる。欧州は反省して、再び女性が失職しないように、そして常に総力戦の体制でいられるように、女性にも働きやすい制度を作った。→ 中田:‖ @paddy_joy →もう一つのポイントは、欧州の中でも特に北欧で女性の社会進出率が高いことだ。なぜか?実は第一次世界大戦からこの傾向があるのだが、これは北欧が他の欧州
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 小池和男先生が文化功労者に選ばれました。おめでとうございます。今回の賞は、先生の学問的な業績ということもありますが、先生は政府委員も長く務められて来ましたし、そういう総合的な評価でしょう。 濱口先生が知的熟練の功罪というエントリで取り上げていますが、小池先生については本当に多くの誤解があります。小池先生の学問的なスタートは『日本の賃金交渉』で、世間で考えられていることとはまったく逆の主張をなさっています。このときの一般的な議論は日本の労働組合は企業別組合で、労働市場は企業封鎖市場であるというものです。これに対して、小池先生は鉄鋼、全繊、私鉄労連などを取り上げて、事実上、産別が各企業をコントロールしながら、産業ごとの相場を作っているというもの
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 濱口さんの『日本の雇用と労働法』日経文庫を何度かざっと読みながら、何ともいいようのない違和感があったので、改めて『新しい労働社会』岩波新書と『労働法政策』ミネルヴァ書房を比較しつつ、水町先生の『労働法入門』や野川先生の『労働法』などを横目にみながら、改めて日本の雇用と労使関係ということを考えることにしましょう。結局、何が違和感を覚えるかといえば、私は徹頭徹尾チャート式が嫌い、テストもテスト勉強も嫌いということに行きつくことが分かりました。 私自身が労使関係を教えるときは、将来学生が働いて問題に直面したときに簡単に諦めずに、誰か(労政事務所だったり、それこそPOSSEさんだったり)に相談するという手段があるということ、これを理解してもらうとこ
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 さあさあ御立合い、御用とお急ぎでない方は聞いておいで、見ておいで、濱口金子劇場、始まるよ。 というわけで、今回はまた強烈なのが来ましたね。最初にhamachanが私の書評スタンスを批判されているのですが、微妙な違いなんか、こんな字数で表現できるわけない、というのが一つ。それに細かく書いたってどうせみんな分からんでしょうし、分かっている人は、私の文章を読めば、全部分かった上で、書き分けているのが伝わるはずだからいいのです。実際、濱口さん自身は分かった上で書いているわけですし。 ゴードンさんの研究はたしかに、実証的にも優れていて、その点を微細に評価するという方向もあったと思います。ただ分かる人には、というか、実際に資料を読んでどういう風に労使関
今さらながら、必要があって新旧の教育基本法の冒頭を読み比べていて、気が付いたが、旧法は「勤労」という言葉に表されるように、学校に通えないで仕事に就いた若者が触れる企業内教育にも十分に配慮されていた。義務教育どころか、高校全入(もちろん、文字通り全員が行けるわけではないが)が実現された後の世界では、工場法を施行するときに企業内に学校を作ったり、学校に行きたかったけれども行けなかった勤労青年をどう支えるのか、という問題意識は、時代の推移の必然として消えている。戦前の企業内教育というのは、当然のことながら学校教育の動向を意識せざるを得なかった。これは戦後のある時期までそうだったと思う。ところが、高卒以降の若者を採用するということは、それがなお有効な意味を持っていたにせよ、企業から初等教育および中等教育の学校の教育への関心を薄めさせてしまう。少なくとも、主体的に自分たち学校に代わる意味での教育を担
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 稲葉さんから新刊の『政治の理論』中公叢書が送られてきて、早速、二日かけて読んでみた。いろいろな感想が駆け巡っていったけれども、我々の学問的なアイデンティティでいうと、社会政策は政策である以上、最後は稲葉さんが示したような広義の「政治」学に戻っていかなければならない、ということだ。それはある時期には国家学と呼ばれてもいた。この問題意識はどれくらい共有されているかどうか分からないけれども、非常にプラクティカルなレベルでは岩田正美先生の『社会福祉のトポス』を例外として、私が直接、知っている人では稲葉さんとしか共有していない、と思う。イギリス流のソーシャル・ポリシーは、もともと日本と違って社会学と社会福祉(ないし社会事業)学が分離せずにソシオロジー
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 連合総研の市川さんから「ストライキ権があるかどうかは組合運動に関しては重要ではありません」というのはいくらなんでも言い過ぎか、あるいは言葉が足りないでしょう、というご指摘をいただきました。そうですね、労使関係を勉強したことがない学生さんへのお返事としてはたしかに少し行き過ぎていたのかもしれません。 2012年の国際労働会議で雇用主側からスト権への攻撃があったことは有名で、労働組合側がそれに対して、団結権・団体交渉権を担保しているのはスト権に他ならない、と主張しているのはまことにその通りです。連合でさえもそこは共通了解になっている、というお話でした。法、権利をめぐる対応としては、まことに労働官僚組織たる連合はまったくお手本通りの正しい主張をし
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 今回、私が『労働情報』、というよりは龍井さんに頼まれて、対談を引き受けて、それをネタに大槻奈巳さんと禿あや美さんが対談を行い、それに遠藤公嗣先生と濱口さんがコメントを付す、という運びになりました。濱口先生の記事については一部、先生自身がブログで引用されています。 数年来、濱口先生との論争を何回かここで繰り広げてきたわけですが、はっきりと批判しなかったことがあります。それは小池和男先生の議論の濱口さんの利用の仕方と職能資格給制度の批判、それからジョブ型雇用の推奨が単なるプロパガンダに過ぎない、という事情についてです(小池先生の研究については先生が文化功労者になられたタイミングでこのエントリで紹介しました)。まあ、現実に影響がなければ、私は誰が
「所得の多い家庭の子どものほうが、より良い教育を受けられる傾向があると言われるが、これは問題か?」――。皆さんはどう思うのだろうか。 教育格差を問題視しない意識ひろがる 小中学生を持つ保護者に対する調査で、10年前までは、「問題である」と考える人が半分以上いたが、その比率は低下して今では4割を切っている。これは全国公立の小2、小5、中2の保護者に対する意識調査の結果(ベネッセ・朝日新聞共同調査)。この調査は2004年から定期的に続けており、今回(17年12月~18年1月調査)で4回目。今回、所得による教育格差を許容する保護者が初めて6割を超えた。 現実には年収400万円以下の家庭では4年制大学進学率は3割を切る一方、825万円を超える家庭では6割を超える(12年文部科学省科学研究費による東京大学調査)。年収250万円未満の世帯では4年制大学進学率は推計2割との調査(15年日本学生支援機構調
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 稲葉さんの新刊を勧められたので読んでみた。この本のコンセプトは「社会学の側から世界を見る」のではなく、「世界の側から社会学を見る」という点にある。しかし、もう少し詳しく見るならば、ほぼ「(社会)科学」における社会学の位置づけを方法から試みているといえばよいだろうか。それも方法の参照基準はいわゆる最近の正統派経済学である。 この本は理論を何種類にも使い分けているので、最初は何を言いたいのかよく分からなかったが、約まるところ、グランド・セオリーは無理ということだろうか。調査や歴史研究をやるときの(橋頭堡としての)理論仮説と世の中をまるごと説明してやろうというグランド・セオリーは最初から性格を異にしている。 稲葉さんは社会学における歴史研究が「他
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 連合総研のDIO最新号、私もいただきまして、拝読しました。いつもありがとうございます。さて、2016年1月号(311号)をめぐっては、濱口先生が「労働組合は成長を拒否できるのか?」という刺激的なエントリを書いて、私もfacebookとtwitterで拡散しました。もちろん、この企画は早川さんだろうなと思って、ともだちの早川さんのいるfacebookにも紹介しているんだから、人が悪いといわれれば、あえて否定はしません。そこに早川さんがコメントを書かれ、それを濱口先生のところにもコメントとしてかかれ、コメント欄がもり上がったという経緯です。私はこの件についてはリプライしていません。 濱口先生についてはもちろん、みなさん、ご存じでご紹介の必要もあ
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 稲葉さんから新著『不平等との闘い』をいただきました。ありがとうございます。 稲葉さんや私の出身母体でもある社会政策・労働問題研究という領域には、長らくちゃんとした教科書がありませんでした。というか、今もありません。それは、社会政策がとにかくありとあらゆることを扱うから、なかなか一つのディシプリンで描くのが難しかったというのが実態です。ただ、1990年代まではマルクス経済学を基本的な教養としていました。マルクスを媒介とすると、思想を通じて、社会・政治にも手を伸ばせるので、非常に便利だったということがあります。 経済学の中ではマルクス経済学が完全に凋落して、かつては近代経済学と呼ばれていた新古典派経済学が主流になりました。主流になったのはよいの
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 濱口先生から前のエントリを紹介していただいたのですが、後半の論旨がやや誤解が入っているというか、意図的にそうされているのかな、という感じがして、真意がどうも掴めない。 私はあえて言えば、偏差値が低い大学でも優秀な子はそれなりに就職を見つけていると思うので、その点はあまり心配していません。そりゃ名の通った一流大企業には行けないかもしれませんが(行く子もいますよ)、別にいいじゃないですか、それでも立派に働いて生活が成り立てば。偏差値が低くても、ちゃんと就職活動をやっている子の内定率がいい大学ってありますよ。宣伝していいかどうか聞いてないので、あえて名前も数値も出しませんが。そういう意味ではちゃんと本人を見てくれなんて言いません。ちゃんと会社によ
内閣府ウェブサイトの常時暗号化による「https:」への切り替え Always on TLS of Cabinet Office Website 2019(令和元)年11月更新 Update,November,2019 内閣府ウェブサイトは、2018年11月29日より、常時暗号化通信(TLS1.2)となり、URLが以下のとおり、「https:」に変更となりました。※ ブックマーク機能等に「http:」で始まるURLを登録している場合や、リンクを貼っている場合等は、「https:」から始まるURLに切り替えていただきますよう、お願いいたします。 ※参考:2018年11月から2019年10月までは、httpによる接続を可能とする自動遷移の経過措置をとっておりました。 内閣府ホームページ(https://www.cao.go.jp/) 内閣府共通検索システム Cabinet Office has
政府は、内閣の重要課題の1つである「女性が輝く社会」の実現に向けて、女性の登用に関する行動計画の策定を国や企業に義務づけるなど、来年春ごろまでの実施を目指す施策を盛り込んだ「すべての女性が輝く政策パッケージ」の骨子案をまとめました。 それによりますと、「すべての女性が輝く社会とは、女性が家庭・地域・職場といったそれぞれの場で個性と能力を十分に発揮し、輝くことができる社会であり、わが国最大の潜在力である『女性の力』を最大限、発揮できるようにする」としています。 そのうえで、女性の登用に関する行動計画の策定を国や企業に義務づける法案を今の国会に提出するほか、家事・子育てなどの経験を生かした再就職や、正社員への転換促進といった処遇改善への支援を強化するとしています。 さらに、情報通信技術を活用して在宅で仕事ができるいわゆるテレワークの導入や、待機児童の解消の加速、母子家庭を対象とした支援策の充実
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 今日、情報労連さんで講演して来て、最後の質疑応答の中で重要な質問をいただきました。組合では人が大事だと思って、投資を強調するようにしたいけれども、労働者自身が自分たちが費用であるという認識が浸透している、これを打開するにはどうすればいいか、という質問でした。私は答えられませんでした。ただ、それは組合だけではない、教育の現場でも同じです。だから、私も処方箋が欲しい。結局、一人ずつ、こうやって質問をしていただいて、それをこういう風に対話すれば、それを聞いて何かを感じたここにいらっしゃる方々がそれを広めてくれるかもしれない。そうやって少しずつ、広げていくしかないのではないか、とお答えしました。そうお答えしたけれども、私自身、満足できていなくて、帰
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 今日は純粋な解説です。一連の私たちのエントリは労働問題研究者っぽい前提を置いて語られていているので、若干、分かりにくいのではないだろうかという疑いがあります。まして、濱口先生は陰に陽に現実を動かすために、ときにこちらが驚くほどストレートに意見を開陳され、ときには煙幕を張るというようなことをなさいますので、なかなか真意を掴みにくいだろうと心配にもなります。そこで、余計なお世話とは知りながら、濱口先生の考えていらっしゃることを整理し、実はそれがとても真っ当な議論なのだということを確認したいと思います。 まず、前提として押さえていただきたいのは、濱口先生は労働の実践家・研究者でありますが、より広く社会政策・社会保障の領域まで視野に収めて、構想を組
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 年末から戦後の賃金史を考えていて、その絡みで労働運動の歴史も考えていたわけですが、やっぱり賃金を勉強する際に労働組合のあり方という、やや大上段に構えた問題を考えないといけないと思います。私はずっと言っているのは、労働組合は本来、熟練工から始まったのであり、腕があるということこそが交渉力の源なんだ、ということです。それを忘れてしまってはいけない。これは言い換えれば、ビジネス・ユニオニズムと言ってもいい。 それでも、労働組合運動は、その運動の本質として、おそらく二つの情熱があった。その一つは間違いなくビジネス・ユニオニズム。そして、もう一方はソーシャル・ユニオニズム。実は連合が出来た後、遅々たる歩みではあっても、ソーシャル・ユニオニズムが少しず
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 guriko_さんが1か月ほど前に『日本の賃金を歴史から考える』を取り上げて下さって、私も紹介したいなとは思っていたのですが、問題が非常に難しい、そういうところなので、なかなか手を付けることが出来ませんでした。でも、マシナリさんもそうですが、guriko_さんも、実際に働いている現場で持っている問題意識をこうして深めて下さるのを見ると、本当に著者冥利に尽きます。そのために、書いたんですから。もう本当に快心です。 「日本の賃金を歴史から考える」を読んでみた。 「日本の賃金を歴史から考える」を読んでみた。<その2> 実はこの一か月の間で、三回ほど、この問題に触発される会話がありました。一つは、先日の教員労働の組合の議論を聞いていたとき、教育運動
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 私が労働問題研究を始めた2000年代の前半、左派の凋落は痛々しいほどだった。原因ははっきりしていて、かつては社会科学の基礎教養とも言うべきだったマルクス経済学が、90年代のソ連崩壊とともに徐々に影響力を失ったからである。「マルクス」まわりの最大の魅力はまさに社会科学万般から哲学に至るまで接合するパースペクティブを持っていたことだった。だから、異分野の対話を行いやすかった側面がある。それにマルクス経済学の成果がことごとく無に帰したわけではない。通俗的に言えば、資本主義対社会主義、アメリカ対ソ連の対立があり、フリードマンらの新自由主義とマルクス経済学が構図上、対立しているように見えたのである。だから、ソ連が崩壊したことはマルクス経済学が敗れたか
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 大原社会政策研究会の仲間、小尾晴美さんから『日本の保育労働者』をいただきました。超お勧めです。おりしも、濱口先生と女性労働についてのやりとりをしているところに、すごくよいタイミングでした(FC2でamazonリンクがなくなったので、こうやって貼っておきます)。理論の話よりも、労働問題はやっぱり実態が命です。濱口先生も私もたぶん、そっちの方がいいんですよね。これはそういう意味でも断然、お勧めです。 この本は小尾さんたち五人のグループの研究成果で、私たちはこの本が出たことで、現在の保育労働の問題について適確な見取り図を手に入れることが出来るようになったとことをまず喜びたいと思います。そして、言うまでもなく、保育労働はほとんどが女性労働ですから、
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 NHK第一ラジオの夕方ホットトークに出演して来ました。三週間くらいはネットで音源が聴けますので、御関心のある方はぜひ、聞いてみて下さい。音源はこちらから24日(水)の放送をクリックして、そこから聴けるようです。 私に取ってはあっという間の時間でしたが、放送は15分ありますので、簡単に内容を紹介します。タイトルが「年功賃金を歴史から考える」になっているのですが、放送自体は「賃上げ、中小企業の賃金をどうやってあげるのか?」という内容になっています。これは解説委員の竹田忠さんとそれこそ本番数分前まで打ち合わせをして、今、まさに一番重要なことは何かを議論するなかで、これで行きましょう、ということになったからです。 放送の最初のポイントは政労使会議を
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 酒井泰斗さんから『概念分析の社会学2』をお送りいただきました。ありがとうございます。 私はアカデミックな社会学のトレーニングを受けたわけではないので、全然的外れかもしれませんが、多少の感想を書いてみたいと思います。といっても、私自身が関心があるのは、個別の研究では必ずしもなく、「概念分析」という手法についてです。私の個人的な印象ではエスノメソドロジーが出てきた1960年代というのは、古い意味での「社会」が変容せざるを得なかった時代ではなかったかと思うのです。この場合の「社会」とはすごく具体的な、たとえば日本語でいう「結社」とほぼ同じ意味でのsocietyです。分かりやすく言ってしまえば、都市の社会調査でも、農村調査でも、あるいは産業調査でも
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 研究所に資料を収集しに行ったら、濱口先生から『日本の雇用と中高年』をお送りいただきました。ありがとうございます。早速、帰ってこの本を読んでみましたが、私が理解していたレベルの濱口先生の立論よりも、はるかに根が深いレベルの議論になっています。よい悪いということは別にして。というか、これを書いている途中でアマゾンからも届きました。 しかし、最近の濱口先生の本は、というか、前からそうでしたけど、読み切りにくいですねえ。現実の政策過程、とりわけ過去、現在、未来を通貫する方向性、学術的な成果などを取り込む濱口先生の立ち位置というのはすごいなあと素直に思います。 メンバーシップ型という理念型とジョブ型という理念型とで描いていて、これはある意味、切れ味が
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 市原先生にすごくグッドタイミングで論文が送られてきました。『社会を問う人びと』岩波書店、2012年、所収の「「労働」の社会と労働者像の変容」です。全体的にはメンバーシップ論で日本の労働者像を描いているんですが、私が昨日、やられてこなかったという労労関係のところの話も踏み込んで、書かれています。こんなにはっきりと、労働運動は右派が左派に勝ったんだ、それはインテリ中心の左派に、役付工クラス中心の右派の現実路線が勝っていったというような形で書いた人はなかなかいない。特に、この産別会議はインテリ中心、総同盟はたたき上げ中心という風な切り口で、描いていった人はいないのではないかと思います。そして、この市原史観の背後には、梅崎さんたちが積み重ねてきたオ
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 あまりにも危うい職業教育待望論、それから、それに便乗するという向きが多いので、自分の頭を冷やすためにも、ここらで少し論点を整理しておきたいと思います。基本的に私は職業教育及び職業訓練の重要性を疑ったことはありません。ですが、職業教育及び職業訓練の必要を主張する議論の多くに対してはかなり疑問に思っています。 命題1 職業教育によって生徒は自由な職業選択が可能になる あるいは、職業教育がなかったから、どういう職に就けばいいか分からない。 「現行の教育制度の下では十分な情報が与えられていない」という批判は、いついかなるときも一定の説得性を持っています。ためしに「教育制度」を自分が不満を持っている他の単語に置き換えて、同じ不満を持っている人に聞いて
社会政策・労働問題研究について歴史的なアプローチで研究しています。ここではそのアイディアやご迷惑にならない範囲で身近な方をご紹介したいと考えています。 深夜のツイートをhamachanに捕捉されまして、エントリにしていただいたので、少しこのことについて書き足しておきます。以前、濱口先生と議論したのは労働組合の三つの機能で、一般に言われるビジネス・ユニオニズムとソーシャル・ユニオニズム、そして、あまり一般に使われることのないポリティカル・ユニオニズムでしたけれども、私の発言の趣旨は前二者が十分に育つ前に、ポリティカルに直面せざるを得なかったということです。 ソーシャルがナショナルにひきつけられていくのは、政府などの一部の指導層が誘導したというよりは、日本主義組合ですよ。これは反共であり、反近代=反欧化という側面を持っていました。で、結果的に、共産主義のカウンターパートという役割を果たすことに
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