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考古学の検索結果561 - 583 件 / 583件

  • ネアンデルタール人、なぜ絶滅? どんなヒトだったのか ナショナルジオグラフィック - 日本経済新聞

    1856年、ドイツのネアンデル渓谷で、石灰岩を採掘していた作業員たちが骨の化石を発見した。当初、クマの遺骨だと思われたそれは、実は歴史を変える大発見だった。少なくとも40万年前〜4万年前に生き、その後絶滅してしまった古人類の祖先だったのだ。同じような化石は以前から発見されており、研究者たちは、19世紀初頭に発見されて以来、誤認されてきたほかの初期の化石も、人類の親類であることにすぐ気付いた。こ

      ネアンデルタール人、なぜ絶滅? どんなヒトだったのか ナショナルジオグラフィック - 日本経済新聞
    • キプロス島沖で古代ローマ時代の沈没船が発見

      キプロス島東岸の町プロタラス沖の海底から古代ローマ時代の沈没船が発見された。 発見されたのはキプロスがローマの支配下に入った紀元前58年以降の木造船で、輸送用のアンフォラ(注)が多く残されていた。シリアと現代のトルコ南岸にあたるキリキアとを結ぶ交易船であったと推定されている。 キプロス共和国の考古省 (Department of Antiquities)の発表によれば、発見したのはキプロス大学考古学研究ユニット「水中考古学研究所(Maritime Archaeological Reserarch Laboratory , “MARELab”)」水中考古学研究チームのボランティアダイバーの考古学者二人で、報告直後、考古省は予備調査費用をできるだけ早く確保して、MARELabの研究チームに提供した。水中考古学プロジェクトが政府機関によって全額出資された初めての事例で、画期的な出来事であるという

        キプロス島沖で古代ローマ時代の沈没船が発見
      • 八王子から「蝦夷の土器」が出土 朝廷に敗れ…移住示す根拠か

        帝京大八王子キャンパス(八王子市)の敷地内から出土した9世紀前半に作られたとみられる土器が、東北地方にかつて住んでいた「蝦夷(えみし)」の特徴を備えていることが、同大などの分析で分かった。当時は東北支配を強める朝廷と反発する蝦夷が戦い、敗れた蝦夷の一部は全国各地に移住させられたといわれるが、関連を示す遺物が確認されるのは異例。謎が多い蝦夷の実態を知る貴重な資料となりそうだ。 (橋本昌宗) 土器は「赤彩球胴甕(せきさいきゅうどうがめ)」と呼ばれるもので、瓶(かめ)の胴部分が大きく広がり、「ベンガラ」と呼ばれる赤い顔料が塗られているのが特徴。瓶口の下部には縦方向に線を引くような模様もある。 帝京大総合博物館によると、土器は平成8~9年、大学敷地内の整備工事に伴う発掘調査で見つかった。最近になって公益財団法人「山梨文化財研究所」(山梨県笛吹市)の平野修研究員を中心に出土品の精査をした結果、土器は

          八王子から「蝦夷の土器」が出土 朝廷に敗れ…移住示す根拠か
        • 石川県で首里城正殿の下絵見つかる(沖縄ニュースQAB) - Yahoo!ニュース

          首里城の玉座に彫られた龍の下絵。これは1992年の復元作業の際、作業に携わった石川県出身の彫刻家・今英男さんが所有していました。 今さんは7年前に亡くなりましたが、ご家族が下絵を沖縄県へ寄贈する前に、再建への思いを北陸朝日放送が取材しました。 2019年10月31日未明でした。沖縄県の首里城で火災が発生し、中心的な建物である、正殿など6棟を焼失しました。 今良子さん「やっぱり本当にショックです。ショックの一言。主人が死んでから、首里城が形見のような気持ちも少しありましたから。」 こう話すのは、金沢市の今良子さんです。ご主人・英男さんは彫刻家で、沖縄戦で焼失した首里城の復元事業で龍を彫ったのが英男さんでした。 良子さんが工房を兼ねた自宅を整理していたところ、正殿の玉座を飾った龍の彫刻の下絵が見つかりました。 これが焼失する前の首里城・正殿です。なかでも国王が座る玉座は最も格式が高く、権力と幸

            石川県で首里城正殿の下絵見つかる(沖縄ニュースQAB) - Yahoo!ニュース
          • ナポレオンの野望が火付け役? 古代エジプト史の解明 - 日本経済新聞

            1798年7月上旬、ナポレオンが率いるフランス軍はアレクサンドリアに上陸し、またたく間にこれを占領した。フランス軍はカイロへと進んでピラミッドの戦い(エムバベの戦いとも呼ばれる)に勝利し、7月21日に街を奪取した。1798年8月、カイロでエジプト研究所が正式に発足。モンジュが所長に選任され、ナポレオンが副所長となった。この研究所は、数学、文学と芸術、博物学と物理学、政治経済学という4つの部門か

              ナポレオンの野望が火付け役? 古代エジプト史の解明 - 日本経済新聞
            • 「サビの塊」を9ヶ月磨いたら2000年前の古代ローマ戦士の「銀」の短剣だった - ナゾロジー

              ドイツの考古学研究チーム・Westphalie Departmentにより、約2000年前の古代ローマ戦士が使った「短剣」が発見されました。 短剣が見つかったのは、紀元9年にゲルマン諸部族との戦いで命を落としたと思われるローマ人兵士の墓地内です。 研究主任のべティナ・トレンメル氏は「古代ローマ戦士の遺体は、通常、生前に使用していた武具を一緒に埋葬しないことで知られていました。そのため、今回の発見は異例です」と話しています。 発見当初、短剣はひどく錆びついた状態にあり、単なる「錆の塊」と思われていました。しかし、9ヶ月におよぶ錆の除去・研磨作業の末、豪華に装飾された見事な銀の短剣へと復元されたのです。 「錆の塊」は2000年前の短剣発見者のニコ・カルマンさん(左)/Credit: LWL/Josef Muhlenbrock短剣自体は、2019年4月、当時インターンとして発掘に参加していた学生

                「サビの塊」を9ヶ月磨いたら2000年前の古代ローマ戦士の「銀」の短剣だった - ナゾロジー
              • 恐竜の形や色はなぜわかるの? 骨や羽毛の化石から推定 - 日本経済新聞

                日経の記事利用サービスについて 企業での記事共有や会議資料への転載・複製、注文印刷などをご希望の方は、リンク先をご覧ください。 詳しくはこちら この前、恐竜が登場する映画を友だちと一緒に見たよ。すごくリアルで、人間を襲う場面は本当に怖かった。誰も実物の恐竜を見たことがないのに、なぜ形や色などがわかるのだろう。どこまで本当なのかな。 恐竜は2億年以上前に地球上にあらわれ、約6600万年前に絶滅したと考えられている。人類が誕生する前の大昔のことだよ。本物を見た人はいないのに、当時の姿はこうだったと想像できるのか、不思議だね。実は今も完璧に理解...

                  恐竜の形や色はなぜわかるの? 骨や羽毛の化石から推定 - 日本経済新聞
                • 古代の人類が噴火した直後の火山を見に行っていた可能性があると「35万年前の足跡の化石」から判明

                  by edmondo gnerre イタリア・カンパニア州の北部にあるロッカモンフィーナ火山の付近には、「Ciampate del Diavolo(悪魔の足跡)」と呼ばれる火砕流の堆積層に残った足跡の化石が存在しています。この足跡を詳細に分析した結果、「一部の足跡は噴火した火山から逃げているのではなく、むしろ噴火した直後の山頂に向かっている」ことがわかりました。 On the devil's tracks: unexpected news from the Foresta ichnosite (Roccamonfina volcano, central Italy) - Panarello - - Journal of Quaternary Science - Wiley Online Library https://onlinelibrary.wiley.com/doi/pdf/10.1

                    古代の人類が噴火した直後の火山を見に行っていた可能性があると「35万年前の足跡の化石」から判明
                  • キトラ古墳 | 国営飛鳥歴史公園

                    キトラ古墳は、高松塚古墳に続き日本で2番目に発見された大陸風の壁画古墳です。檜前の集落を越えて阿部山に向かう山の中腹にあります。二段築成の円墳で、上段が直径9.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さは上段・下段あわせて4mを少し超えると推測されています。 名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎) から「亀虎」と呼ばれていたという説など、いろいろな説があります。 1983年11月7日に石室内の彩色壁画のひとつである玄武が発見されて、世間や学会から注目を集めました。2000(平成12)年には国指定史跡に指定され、続いて特別史跡に指定されました。 石室の天井には本格的天文図が

                    • ジュラシック・タウン 恐竜に託す地域再生 恐竜リバイバル(5) - 日本経済新聞

                      2018年9月6日の未明、北海道南西部の太平洋沿いを激震が襲った。最大震度7を記録した北海道胆振東部地震だ。震源に近いむかわ町も震度6強の激しい揺れに見舞われ、各所で家屋倒壊など被害があった。1年後の19年9月に新種とわかった国内最大の恐竜「むかわ竜」はこの町で見つかった。【前回記事】恐竜博士になれる大学 原点はモロッコの原野恐竜イベント2日前に激震地震が起きた日の2日後、町では大型イベント「むかわ恐竜エコロジア」が開かれる予定だった。企画した民間まちづくり組織「むかわ町恐竜ワールドセンター」の面々は前日まで大詰めの準備に追われていた。「2階が1階になっちゃった」。センター代表の工藤弘(66)は新聞販売店とたい焼き店を営む自宅兼店舗が全壊した。地震は朝刊を配りに出た直後。「10分差で助かった」。たい焼きは地震の3年前に始めた副業。

                        ジュラシック・タウン 恐竜に託す地域再生 恐竜リバイバル(5) - 日本経済新聞
                      • OM SYSTEM、OM-Dをデジタルアーカイブ向けに販売。深度合成スケールとユーザーガイド付き 赤外線撮影用の「IRシステム」を開発中

                          OM SYSTEM、OM-Dをデジタルアーカイブ向けに販売。深度合成スケールとユーザーガイド付き 赤外線撮影用の「IRシステム」を開発中
                        • 山梨・本栖湖に「謎の水中遺跡」…古墳時代の土器を沈めた平安時代の富士大噴火

                          【読売新聞】編集委員 丸山淳一  新型コロナの「5類」移行後、初めて迎える夏休み。各地の花火大会には大勢の人が訪れている。山梨県の富士五湖では8月1日の山中湖を皮切りに、五つの湖を巡る形で5夜連続で花火大会が開かれるのが恒例だった。

                            山梨・本栖湖に「謎の水中遺跡」…古墳時代の土器を沈めた平安時代の富士大噴火
                          • 動物や人間の骨に囲まれたマヤ文明のカヌーが水中洞窟の奥で発見され儀式用に使われていたとの仮説が立てられる

                            古代マヤ文明の遺跡周辺から2021年に発掘されたカヌーについて、考古学者らが「儀式的に使われたものである」との仮説を打ち立てました。カヌー周辺では人間や犬、七面鳥など38体分にもなる多数の骨が見つかっています。 Antigua canoa descubierta en el salvamento arqueológico del Tren Maya habría tenido uso ritual https://www.inah.gob.mx/boletines/antigua-canoa-descubierta-en-el-salvamento-arqueologico-del-tren-maya-habria-tenido-uso-ritual Maya canoe surrounded by animal and human bones found in 'portal to th

                              動物や人間の骨に囲まれたマヤ文明のカヌーが水中洞窟の奥で発見され儀式用に使われていたとの仮説が立てられる
                            • アメリカ大陸に一番乗りしたのは北欧のバイキングだった可能性。1000年前に上陸した証拠が発見される : カラパイア

                              さて前回、イタリアの船乗りたちはコロンブスがアメリカ大陸(新大陸)を発見する150年も前に、すでにその存在を知っていたという話をお伝えしたが、それよりももっと早く、アメリカ大陸の存在を知っていた人々がいた。 北欧のバイキング(ヴァイキング)たちだ。彼らはイタリアの船乗りたちに新大陸の存在を教えただけでなく、1000年も前にその地に足を踏み入れていたという。。 新たに発見された考古学的証拠によると、彼らが新大陸に上陸したのは1021年。コロンブスが新大陸を発見したのは1492年だから、それよりも約500年ちかく先だ。

                                アメリカ大陸に一番乗りしたのは北欧のバイキングだった可能性。1000年前に上陸した証拠が発見される : カラパイア
                              • 旧石器発掘捏造20年 「遺跡」跡にメガソーラー 「原人パン」は今も | 毎日新聞

                                かつての「上高森遺跡」には大規模太陽光発電所のソーラーパネルが広がる=宮城県栗原市で2020年10月25日午後3時0分、滝沢一誠撮影 日本の古代史の根幹を揺るがした「旧石器遺跡発掘捏造(ねつぞう)事件」は、発覚から20年を迎えた。かつて国内最古の前期旧石器遺跡とされた場所はメガソーラー(大規模太陽光発電所)に変貌。「神の手」が残した跡ははかなく消えた一方、考古学界には大きな教訓として残っている。【滝沢一誠】 宮城県栗原市(旧築館町)の林を抜けると、丘の斜面に並ぶソーラーパネルが見えた。ここは20年前まで「上高森遺跡」と呼ばれ、70万年前に人類が暮らした痕跡の石器が見つかったとして、世間をにぎわせた現場だ。今となっては「遺跡」の痕跡は全く見当たらない。 2000年11月、東北旧石器文化研究所(解散)の元副理事長が自らの手で石器を埋めている場面を本紙取材班が撮影し報道。元副理事長は「魔が差した

                                  旧石器発掘捏造20年 「遺跡」跡にメガソーラー 「原人パン」は今も | 毎日新聞
                                • バーミヤン石仏爆破から20年 写真で見る、破壊の前後 - 日本経済新聞

                                  1996年7月、フランスの写真家パスカル・メートル氏は、アフガニスタンのバーミヤン渓谷の岩山に彫られた巨大な仏像を3度目指したが、すべて失敗に終わった。氏は「レクスプレス(L'Express)」誌の取材でアフガニスタンの首都カブールに滞在していた。カブールからバーミヤンまでの距離は100マイル(約160キロ)にも満たない。それでも出発の朝になると、運転手は毎回キャンセルした。報酬を弾むと言っても

                                    バーミヤン石仏爆破から20年 写真で見る、破壊の前後 - 日本経済新聞
                                  • 発見まで1000年 丸ごと砂に埋もれた古代ローマ都市 - 日本経済新聞

                                    都市全体が消えることなど滅多にない。だが、北アフリカのヌミディア地方に丸ごと姿を消した都市があった。西暦100年頃、古代ローマ皇帝トラヤヌス帝によって建設されたティムガッドだ。ティムガッドは当初、ローマ帝国の第3軍団アウグスタの駐屯地として建設され、のちに退役軍人の植民都市として繁栄し、数百年にわたり栄華を極めた。おかげで、侵略者にとっては魅力的な標的だった。430年のバンダル人による侵攻の後

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                                    • 古代の種子島、わざと頭を変形 国内初確認、「謎の集団」 | 共同通信

                                      Published 2023/10/12 16:41 (JST) Updated 2023/10/12 19:40 (JST) 3Dスキャンした頭蓋骨。上が山口県西部で見つかった弥生人の頭蓋骨、下が広田遺跡で見つかった頭蓋骨。広田遺跡のものは後頭部が平たい(九州大の瀬口准教授提供) 鹿児島県の種子島にある弥生時代末期―古墳時代前半ごろの集団墓地「広田遺跡」で発掘された人骨を分析した結果、頭蓋骨の後頭部が平たくなるように意図的に変形させていた痕跡が見つかったと、九州大のチームが12日までに発表した。これらの人々は、ルーツが不明で農耕をしていた痕跡がなく、生活や文化が当時の日本列島の他の地域と異なる「謎の集団」とされる。 以前から頭蓋骨を変形させていた可能性は指摘されていたが、確証は得られていなかった。頭蓋骨を意図的に変形させる風習は、中南米や欧州に存在していたことが知られている。日本の古代社

                                        古代の種子島、わざと頭を変形 国内初確認、「謎の集団」 | 共同通信
                                      • 京都・南丹の墳丘墓卑弥呼以前を示す前方後円墳の「前史」

                                        南丹の墳丘墓「黒田古墳」 世界文化遺産に登録された百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群はヤマト王権の大王らの墓とされ、鍵穴のような形をした巨大な墳墓を見たことがあるかもしれません。 これらは前方後円墳と呼ばれ、3世紀から6世紀(古墳時代)に築かれた日本独自の古代の王墓ですが、その誕生には「前史」があったことが近年分かってきました。「墳墓」や「墳丘墓」などとも呼ばれるやや小さな前方後円形の墓です。大型の前方後円墳が築かれ始める直前の弥生時代から古墳時代へ、時代が移り変わる頃、各地に築かれはじめました。どういったものか、南丹市に所在する「黒田古墳(墳丘墓)」を一例に紹介しましょう。 黒田古墳は1990年、南丹市園部町で計画された工業団地造成に伴って発掘調査されました。築かれたのは、弥生時代最終末期の3世紀前半頃と位置づけられています。邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説があり、最古の前方後円墳と

                                          京都・南丹の墳丘墓卑弥呼以前を示す前方後円墳の「前史」
                                        • 青銅器時代の王族の墳墓発掘、黄金の装飾品など出土 ギリシャ

                                          (CNN) ギリシャ南西部のピュロスで、青銅器時代の王族のものとみられる2つの墳墓が発掘され、内部から黄金製の装飾品などの遺物が見つかった。古代ギリシャの人々の生活に新たな光を当てる発見とみられている。 米シンシナティ大学の考古学者らが17日に首都アテネで公表した。1年半にわたる発掘の結果、2頭の牛と穀物の束の図柄を彫った金の指輪や、死者を守るエジプトの女神の姿をあしらった金のペンダントなどの装飾品が見つかったという。

                                            青銅器時代の王族の墳墓発掘、黄金の装飾品など出土 ギリシャ
                                          • マヤ暦の現存する「最古のカレンダー断片」を発見! - ナゾロジー

                                            マヤ文明といえば、「2012年に世界が終わる」というマヤ暦の終末論で一躍有名になりました。 当時は、無事に2013年を迎えてホッとしたり、「いや、マヤ暦は新たな周期に入ったのだ」と言われたりで、一喜一憂した人も多いでしょう。 しかし、マヤ文明が高度な技術を誇っていたことは確かであり、今でも考古学的な注目度は非常に高いままです。 そんな中、米テキサス大学オースティン校(University of Texas at Austin)の研究により、マヤ暦の現存する最古のカレンダー断片が見つかった、と発表されました。 今から約2300年ほど前のもので、断片には「日付を示す数字」と「シカの図像」が描かれていたとのことです。 研究の詳細は、2022年4月13日付で科学雑誌『Science Advances』に掲載されています。 This Could Be The Earliest Evidence of

                                              マヤ暦の現存する「最古のカレンダー断片」を発見! - ナゾロジー
                                            • メソポタミアへの見方を変えたウルの王墓、その財宝と残酷な儀式

                                              紀元前2600~2300年頃の、黄金とラピスラズリで作られた牡牛の頭。古代都市ウルにある女王プアビの墓で発見された、リラ(竪琴)に付けられている。(PHOTOGRAPH COURTESY OF PENN MUSEUM) 1920年代は、考古学にとって重大な発見が相次いだ黄金時代だった。1922年に考古学者ハワード・カーターがエジプトでツタンカーメン王の墓を発見。その数年後には、考古学者レオナード・ウーリーが、現代のイラクにあたる古代都市バビロンの南東225キロで、古代都市ウルの王家の墓を発見した。4000年以上前から無傷のまま残されていたメソポタミアの王墓は、世界最古の物語『ギルガメシュ叙事詩』を残した古代シュメール人が作ったものだった。(参考記事:「ギャラリー:ツタンカーメン黄金の財宝 写真20点」) 墓の発見は大きな話題となった。納められていた財宝の量と技術の高さに驚かされただけでなく

                                                メソポタミアへの見方を変えたウルの王墓、その財宝と残酷な儀式
                                              • コロナで再注目 石器時代からある手袋の意外な歴史 - 日本経済新聞

                                                新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、温暖な季節にもシックな手袋を少しだけ復活させるかもしれない。人類は何千年も前から、暖をとるため、ファッションのため、手を保護するために手袋をはめてきた。手袋は、英国王室の儀式から20世紀初頭の医療に至るまで、あらゆる場面で大きな役割を果たしてきた。ステータスシンボルとして古代の洞窟絵画を見ると、氷河期の石器時代にも、人類は何かを編んで作ったよう

                                                  コロナで再注目 石器時代からある手袋の意外な歴史 - 日本経済新聞

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