嘘でつくられた歴史で国おこしな天皇陵の治定の場合、出土物の年代的に明らかに誤りである場合でも宮内庁は考古学的事実に基づいて治定を改めることをせず、学術調査による検証を拒むので、この件の方がましに見える / “嘘でつくられた歴史で町… https://t.co/ZWRE4HDDJt
アイルランド西部のメイヨー県のバリーキャッスルとベルマレットの間には、ドラマチックな断崖と大西洋に挟まれた、広さ13平方キロメートルに及ぶ湿原が広がっている。木々がほとんどなく、丘も高くはないため、何もない土地のように見える。が、この孤立した海岸には「アイルランド最大の考古学的発見のひとつ」と称される遺跡がある。 アイルランドには、はるか昔の社会を垣間見せてくれる泥炭地がいくつかある。そこから、聖杯や大量の金製品、中世の詩篇書といった宝物、2000年前の「ボグバター(乳脂肪から作ったバターの塊を保存のために泥炭地に埋めたもの。ボグとは泥炭地のこと)」や、「ボグボディー」(泥炭地で良好な状態で保存された人間の遺体。最古のものは紀元前2000年のもので、カシェルマンと呼ばれている)などが発見されてきた。(参考記事:「世界各地のミイラ、ちょっと意外な作成法も」) しかし、アイルランド最大の新石器
ヨーロッパ各地の洞窟で発見されている2万年前、旧石器時代の動物の壁画には、「線・点・Y字」といった抽象的な記号のようなマークが描かれている。 新しい研究によれば、こうしたマークは彼らが狩っていた動物の季節ごとの行動を記したもので、「人類史上最初の文字」である可能性があるという。 『Cambridge Archaeology Journal』(2023年1月5日付)に掲載された研究によると、一見したところ抽象的に見える点や線は、じつは高度な文字であり、当時の人類がその地域に生息する動物の交尾や出産の季節を理解していたことを物語っているという。 広告 旧石器時代の洞窟壁画に描かれた謎の図形 狩猟採集生活を営んでいた旧石器時代、ヨーロッパの初期人類は、馬・鹿・バイソンなどを狩って食べていた。 そうした動物が移動・交配・出産する時期は、後期旧石器時代を生きた彼らにとって大きな関心事だったはずだ。
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富雄丸山古墳から出土した鼉龍文盾形銅鏡。浮き出た部分が鼉龍で、三角形が連続した鋸歯文や渦状の文様も見える=奈良県橿原市で2023年1月20日、川平愛撮影 「な、何やこれ?」。2022年12月、住宅街の一角で地肌をあらわにした山に、学生らの声が響いた。足元には1600年の眠りから覚めたばかりの盾形の板が鈍い光を放っている。おそるおそる取り上げ、直下の粘土層に顔を近づけると、幾何学文様が転写されているのが見えた。「ただの板やない」。水平な場所に運び、4人がかりでそっと裏返す。一瞬、時が止まったようだった。「おおー」「鼉龍(だりゅう)文だ!」。未知との遭遇に、学生たちのため息と驚きが交錯した。 精緻な文様 国産オリジナル 富雄丸山古墳(奈良市、4世紀後半)から出土した鼉龍文盾形銅鏡は、盾と鏡の要素を「いいとこ取り」…
仏南部マルセイユの博物館、コスケール・メディテラネで公式公開前に披露されたコスケール洞窟のレプリカ(2022年6月1日撮影)。(c)Nicolas TUCAT / AFP 【6月11日 AFP】フランス南部マルセイユ(Marseille)にある博物館、コスケール・メディテラネ(Cosquer Mediterranee)で、海底の洞窟壁画が残るコスケール洞窟(Cosquer Cave)のほぼ実物大のレプリカが公開されている。先史時代の海洋生物を描いた洞窟壁画があるのは、世界中でコスケール洞窟だけだ。 マルセイユ東部にはカランク(Calanque)と呼ばれる入り江を囲む石灰岩の絶壁があり、コスケール洞窟はその海面下37メートルに広がっている。壁に約600点の絵や記号などが残されていることから、「海底のラスコー洞窟(Lascaux Cave)」とも呼ばれている。 全長130メートル以上の天然の岩
イスラエル・ハリシュ近郊で発掘された、5000年前にさかのぼる古代都市エンエスールの遺跡(2019年10月6日撮影)。(c)JACK GUEZ / AFP 【10月7日 AFP】イスラエルの考古学者らは、5000年前にさかのぼる都市の遺跡が発掘されたとして、6日に公開した。要塞(ようさい)、儀式に使用された寺院、墓地などがあり、同域で青銅器時代に発達した都市としては最大規模だとしている。 イスラエル考古学庁(IAA)のイツハク・パズ(Yitzhak Paz)氏によると、「ここでは、居住区と公共のスペースを区切る道路が計画的に整備され、大規模な都市建設が行われていた」と説明。 また発掘に携わった別の考古学者の話によると、「エンエスール(En Esur)」と呼ばれるこの遺跡の面積は0.65平方キロメートルで、既知の遺跡に比べて2倍の広さだという。 この古代都市では、儀式を行うための寺院と共に、
鹿児島県指宿市の尾長谷迫(おばせざこ)遺跡で、7世紀中ごろ、飛鳥時代の「暗文土師器(あんもんはじき)」と呼ばれる土器が鹿児島県内で初めて見つかった。古代国家・大和政権の都があった畿内地域の影響を受けた土器とされ、これまでの南限は宮崎県だった。鹿児島県内では政権と衝突した隼人が暮らしており、専門家は「県内には存在しないと考えられていた。政権と何らかの関係を持つ勢力が指宿にいたことを示す」と注目している。 暗文土師器は元々は都の「畿内産土師器」を模倣したもので、器の内面には大陸から流入した金属器の光沢を表現した放射状の線が施されている。政治施設である「官衙(かんが)」に関連する遺跡から見つかるケースが多く、国立歴史民俗博物館研究部の林部均教授(考古学)は「古代国家、都の存在を示す象徴となる土器。国家と関わりがあった地域でのみ出土する」と解説。これまでは西都市にある日向国府跡の寺崎遺跡と水運関連
東京都千代田区の旧英国大使館の敷地から弥生時代の集落が発見された。しかし、遺跡は近く埋め戻され、報道発表や現地説明会も行われない予定だ。背景には、地価が著しく高い千代田区ならではの事情がある。 出土した弥生時代の集落跡の写真はこちらです。 【関連記事】 英大使館跡地から弥生時代の集落 説明会開かずマンション建設へ 遺跡の保存は地権者次第 百貨店が建った長屋王邸跡は「痛恨の極み」 皇居に面した好立地 遺跡の上に建つのは富裕層向け「超・億ション」 10月24日、遺跡が見つかった旧英国大使館の敷地で千代田区教育委員に対する説明会が開かれた。現地を視察した教育委員からは「このまま埋めてしまうのは惜しい。せめて子供たちに見てもらうべきだ」などの意見が出たという。 遺跡の取り扱いは地権者や開発業者の判断に委ねられているのが現状だ。 日本では財産権が重視されており、遺跡が発見された場合、遺跡をそのまま残
紀元前3世紀ごろに作られたヘブライ語の聖書の写本「死海文書(しかいもんじょ)」のうち、アメリカにある聖書博物館で展示されていた16の断片すべてが偽物であったことがわかりました。 Dead Sea Scroll Fragments | Museum of the Bible https://museumofthebible.org/dead-sea-scroll-fragments Entire Collection of Dead Sea Scroll Fragments at US Museum Turns Out to Be Fake https://www.sciencealert.com/entire-collection-of-dead-sea-scrolls-fragments-at-us-museum-turns-out-to-be-fake 「死海文書」は大部分がイスラエル
14世紀半ばから19世紀半ばまでの中世の地球上では、「小氷期」と呼ばれる寒冷な時代が続きました。小氷期が引き起こされた要因として破局的な火山の噴火が考えられています。ジュネーブ大学のセバスチャン・ギレ氏らの研究チームは中世の写本に記された皆既月食の記録から、火山の噴火が地球の大気に及ぼす影響を調査しました。 Lunar eclipses illuminate timing and climate impact of medieval volcanism | Nature https://doi.org/10.1038/s41586-023-05751-z ‘Like blood, then turned into darkness’: how medieval manuscripts link lunar eclipses, volcanoes and climate change htt
人文学研究でデジタル変革(DX)が広がってきた。古文書や史料をデジタルデータ化し人工知能(AI)に学習させたり、オープン化して異分野の研究者を巻き込んだりする試みだ。市民や出版社などの力を借りて取り組みを進めている。国立国会図書館では、AIが古文書の読解を支援するサービスの実装が進む。人文学DXは研究の幅を広げ、地域や教育とのつながりを生み出しつつある。(小寺貴之) AI翻刻、くずし字読解支援 「翻刻は地震史料から始まり、その対象は料理本や仏典、医療や健康法など多様な古文書に広がった」と国立歴史民俗博物館の橋本雄太准教授は目を細める。東京大学地震研究所や京都大学古地震研究会と「みんなで翻刻」プロジェクトを進めてきた。 みんなで翻刻は古文書のくずし字を現代文字に直すプロジェクトだ。これまでボランティアで8500人以上が参加し、今も約2940人が活動する。2930万字以上を翻刻してきた。誰かが
アグアダ・フェニックス遺跡の3Dイメージ。手前の長方形のような部分が確認された建造物(茨城大の青山和夫教授提供) 古代マヤ文明の遺跡の調査を進める日本や米国、メキシコなどの研究チームが、メキシコ南部のアグアダ・フェニックス遺跡で、同文明で最大とみられる建造物を確認した。南北約1400メートル、東西約400メートルにわたっており、祭祀(さいし)用とみられる。社会的な階層がはっきりしていない紀元前1千~800年に築かれたとみられ、研究チームは「社会的な不平等が小さくても大規模な共同作業ができることが示され、従来の文明観を覆す発見だ」としている。 4日、英科学誌ネイチャーに発表した。 米アリゾナ大の猪俣健教授や茨城大の青山和夫教授、岡山理科大の那須浩郎准教授らの研究チームは2017年から、グアテマラ国境近くのタバスコ州で航空レーザー測量や地上探査を実施。18年、森林や牧草地が広がる一帯の地下にア
20世紀初頭にチリのアタカマ砂漠で発見されたチンチョーロのミイラとその関連遺跡が今年、ユネスコの世界遺産に登録された。ミイラとそのほかの考古学的発見を保存するため、新しい博物館の建設が進められている。(PHOTOGRAPH BY MARTHA SAXTON, NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION) ドイツの考古学者マックス・ウーレは1917年、世界で最も乾燥した砂漠であるアタカマ砂漠で、太陽が照り付ける海岸を調査中に奇妙な遺体を大量に発見した。カーキ色の土を掘り進めると、木の枝やアシを使って形を変えられた遺体が出てきた。頭部は精巧なかつらと、何かを語りかけてくるような赤や黒の粘土の仮面で装飾されていた。 「多くの遺体に死後損傷が見られる。頭部が偽物に取り替えられていたり、砕けた頭部が修復されていたり、わらの腕や脚が本物の代わりに付いていたりする」とウーレ
富雄丸山古墳で木棺出土 富雄丸山古墳で出土した木棺。小口板が垂直に立った状態で見つかった=6日、奈良県奈良市(南雲都撮影) 国内最大の蛇行剣や盾形の銅鏡が見つかった奈良市の富雄丸山古墳(径109メートル、4世紀後半)の埋葬施設「粘土槨(かく)」から、被葬者を納めた割竹形(わりたけがた)木棺が築造時に近い状態で出土し市教育委員会が6日、発表した。石棺などにみられる「縄掛突起(なわがけとっき)」が見つかり、割竹形木棺で確認されたのは初めて。木棺の構造を知る上で重要な資料としている。 木棺の蓋(ふた)は全体の3分の1が確認され、身(本体)も大半が残っているとされ、これほど当時の姿をとどめているのは全国的にも珍しいという。副葬品については金属探知機で反応があり、今後内部の土を取り除いて調べる。 同古墳は国内最大の円墳。粘土槨は墳丘から張り出した「造り出し」にあり、木棺を粘土で覆う構造。昨年度の調査
エジプトが2021年2月14日に、古代エジプトで最も重要な聖地だとされたアビドスで、5000年以上前のものとみられる「世界最古のビール醸造所」の遺跡が見つかったと発表しました。 Egypt unearths 'world's oldest' mass-production brewery エジプトの観光・考古省が2月14日に、Facebookで「ニューヨーク大学のマシュー・アダムズ氏とプリンストン大学のデボラ・ビシャック氏らが率いるエジプトとアメリカの合同考古学ミッションが、ソハーグ県北部のアビドスで世界最古のものとおぼしき大量生産型のビール醸造所の遺跡を発見しました」と発表しました。 الكشف عن ما يعتقد انه أقدم مصنع لصناعة الجعة بأبيدوس توصلت البعثة الأثرية المصرية الأمريكية المشتركة، ب
中国の三国志時代の英雄で、魏の礎を築いた曹操(155~220)。その墓から出土した鏡が、大分県日田市の古墳から戦前に出土したとされる重要文化財の鏡と「酷似」していることがわかった。 中国の河南省安陽市にある曹操の墓「曹操高陵」を発掘した河南省文物考古研究院の潘偉斌研究員が、東京国立博物館で開催中の「三国志」展(16日まで)に関連した学術交流団座談会で明らかにした。 2008年から行われた発掘で見つかったが鉄製でさびがひどく、文様などはよくわかっていなかった。同研究院でX線を使って調査したところ、表面に金で文様が象嵌(ぞうがん)され、貴石などもちりばめられていることがわかった。潘研究員は「日本の日田市で見つかったという鏡『金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)』とほぼ同型式である可能性が高い」と話す。 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、1933(昭和8)年に鉄道の線路工事の際に見
富雄丸山古墳から見つかった盾形銅鏡(左)。X線画像では精緻な文様が施されているのが分かる(奈良県立橿原考古学研究所提供) 奈良市にある国内最大の円墳、富雄丸山(とみおまるやま)古墳(4世紀後半)の墳丘から張り出した「造り出し」の部分で埋葬施設が見つかり、内部から精緻な文様が施された盾形の青銅鏡と剣身が曲がりくねった「蛇行(だこう)剣」が出土した。奈良市教育委員会と奈良県立橿原考古学研究所が25日発表した。銅鏡は通常円形で盾形のものは類例がない。蛇行剣は長さ237センチで、古墳から出土した鉄剣では国内最大。いずれも国産とみられ、古墳時代前期の金属器としては国宝級の傑作と評価され、当時の生産技術の高さを示す極めて重要な発見となった。 富雄丸山古墳では国史跡指定を目指し、同市教委が平成30年度から発掘調査を実施。昨年10月下旬、3段に築かれた造り出しの上段から「粘土槨(かく)」と呼ばれる粘土で覆
野生動物の剥製をインテリアとして飾る──かつては金持ちの象徴のようにも考えられていたが、最近は倫理的にあまりイメージが良くない。それならば、恐竜の化石は? これはどうやら「アリ」のようだ。一握りの特権階級を相手に、その市場は急成長している。 パリ8区、ボエシー通りにある彼の書斎は、まるで物置小屋だ。隕石、アフリカの仮面、化石……とにかく書斎のスペースを超えない大きさのあらゆるものが、ガラスケースに展示されているか、床に積み上げられている。 ただし、3m近くある後期ジュラ紀の竜脚形類の脚については、カタログ写真に甘んじるしかない。ステゴドンの臼歯も同様だ。この臼歯の持ち主、絶滅した長鼻目の旧象は重さが12トンもあった。残念ながら、どうがんばってもアレクサンドル・ジケロの自宅にこれらの巨大な骨格を置くスペースはない。 ブロンドの髪で魅惑的な笑みを浮かべるこの50代の男は、フランスでは「恐竜を売
鹿児島県出水市の六反ケ丸遺跡で、約2200~2300年前(弥生時代中期)の鹿児島県内最古となる木製の弓4張が見つかった。県内では酸性のシラス土壌により腐食するため木製品の遺物が残ることは珍しく、弓ではこれまで楠元遺跡(薩摩川内市)の弥生時代末の出土品が知られていた。専門家は「国内における弓の発達過程を考える上で貴重な資料になる」としている。 弓は地表から深さ約4メートルの水分を多く含む層の中で、腐食を免れた状態で見つかった。4張のうち最も大きなものは長さ87.9センチ、小さなものは長さ46.1センチで、幅は2.2~2.7センチだった。弓の端に弦をかける「はず」や、「樋(ひ)」と呼ばれる中央のくぼみが確認できた。このほか、弓の一部とみられる木製品1点もあった。県考古学会の堂込秀人会長は「当時の弓は銅鐸(どうたく)や絵画土器に描かれてはいるが、その形状を実物で具体的に確認できる。大きな成果だ」
「三国志の英雄」として知られる曹操(155~220年)の墓「曹操高陵」を発掘した中国・河南省文物考古研究院の潘偉斌(ハン・イヒン)氏が、大分県日田市のダンワラ古墳出土と伝わる国重要文化財「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)」を、邪馬台国の女王・卑弥呼がもらった「銅鏡百枚」の一枚である可能性が高いとする見解を明らかにした。佐賀新聞社の取材に応じた。 卑弥呼がもらった鏡は、邪馬台国の謎を解明する重要な鍵とされており、今回の指摘は邪馬台国論争に一石を投じそうだ。 ダンワラ古墳の鉄鏡は直径21・1センチ。鉄の鏡体の背面に金や銀を埋め込む象眼「金銀錯」が施され、朱色のうるしで彩色した珠がはめ込まれている。手足の長い龍のような怪獣が多数描かれ、銘文は「長冝■孫」(欠落部分の■は「子」と推測される)の四文字が刻んである。九州国立博物館が管理している。 潘氏は、九州国立博物館で
足跡からは当時の生活もかいま見える/Courtesy Mattew Bennett/Bournemouth University (CNN) 英ボーンマス大学や米地質調査所などの研究チームは23日、米ニューメキシコ州で見つかった足跡の化石を調査した結果、人類の北米大陸到達は少なくとも2万3000年前にさかのぼるという初の明確な証拠が得られたと明らかにした。当初の見方よりも大幅に早い年代となる。 北米と南米は人類が最後に定住した大陸だが、定住が始まった正確な時期については考古学者の間で意見が分かれている。 一般的な見方では、人類は氷河期末期の1万6000~1万3000年前ごろ、かつてアジアと北米をつないでいたベーリング地峡を通って北米に到達したとされる。ただし最近の発見では、人類がもっと早い時期に北米にいた可能性も示唆されている。 ボーンマス大教授で足跡の化石の専門家、マシュー・ベネット氏は
Archaeologists Discover 'Perfectly Preserved' Tomb From 2,500 Years Ago <イタリアでは昨年にも、2600年間手つかずだった古代エトルリアの墓が公開され、希少な工芸品が大量に見つかっていた> 「完璧に保存された」ローマ文明以前の古代の墓が、イタリアの遺跡で発見された。 【画像】「完璧に保存された」ローマ文明以前の古代の墓...発掘作業中に発見 南エトルリアとヴィテルボ県の考古学・美術・景観監督局がフェイスブックで発表したところによると、墓はサン・ジュリアーノにあるエトルリア文明のネクロポリスで発掘作業中に見つかった。サン・ジュリアーノはローマから約30キロ北西のバルバラーノ・ロマーノ市に位置する。 ネクロポリスは古代の巨大墓地で、紀元前7世紀ごろから同3世紀ごろ、岩をくり抜いて作られたエトルリア人の墓が数百基ある。 エト
エジプトの失われた古代都市、100年に1度級の大発見2021.04.15 21:0053,504 George Dvorsky - Gizmodo US [原文] ( 福田ミホ ) ツタンカーメン級の発見。 エジプトのルクソール近くの遺跡から、失われた古代エジプトの都市が発掘されました。これはツタンカーメン王の墓が見つかった1922年以降最大の考古学的発見と言われています。 想定外の発掘 かつてエジプトの考古大臣(っていう役職があるんですね)を務めた考古学の権威ザヒ・ハワス氏がFacebookで発表したところによると、その都市は3,400年前のもので「The Rise of Aten」(アテンの日の出)と呼ばれ、エジプト南部のルクソールや「王家の谷」(ツタンカーメンなど古代エジプト王の墓が集中する地域)に近い砂の中に埋もれていました。発掘チームはもともとはツタンカーメンの埋葬殿を探してたん
米国ホワイトサンズ国立公園で発見された人類の足跡。新たな研究によると、これらの足跡は2万3000年~2万1000年前のものだが、その時代にはカナダを覆う巨大な氷床に妨げられていたせいで、人類はユーラシア大陸から米大陸に渡れなかったと考えられていた。(PHOTOGRAPH BY DAN ODESS) その足跡は、ついさっきできたものみたいだ。どうやら扁平気味の足を持つひとりの若者がのんびりと歩いていたようで、つま先とかかとの痕跡が、細かい砂の隆起によってはっきりと見える。しかし、これは現代人の足跡ではない。米大陸における人類の最古の証拠のひとつだ。 9月24日付けで学術誌「Science」に発表された論文によると、ニューメキシコ州ホワイトサンズ国立公園にあるこれらの足跡は、2万3000年~2万1000年前に、かつて存在した湖の周辺の泥に刻まれた。その時代には、いまのカナダを覆っていた巨大な氷
トルコのシャンルウルファにある古代遺跡ギョベクリテペ(2022年5月18日撮影)。(c)Ozan KOSE / AFP 【7月10日 AFP】トルコ南東部の山腹にあるギョベクリテペ(Gobekli Tepe)遺跡。トルコ語で「太鼓腹の丘」を意味するこの遺跡は考古学的に最重要視され、世界最古の聖地とされている。 先史時代、装飾を施したT字形の巨大な石柱の周りには大勢の人が集まり、祈りをささげていたとみられる。英国の古代遺跡「ストーンヘンジ(Stonehenge)」やエジプト最古のピラミッドより7000年以上も前の時代だ。 米ウェストバージニア大学(West Virginia University)のショーン・ローレンス(Sean Lawrence)准教授(歴史学)は、「この遺跡の重要性は言葉では言い表せないほどです」と語る。 専門家によると、シリアとの国境に近いこの丘陵で人類定住の歴史が始ま
およそ紀元前3500年〜前1200年の青銅器時代、カナン人の重要な都市国家だったテル・メギド(メギドの丘)。DNA分析により、市民には遠くカフカス山脈からの移民が含まれていたことが明らかになった。(PHOTOGRAPH COURTESY MEGIDDO EXPEDITION) 古代の中東にいた「カナン人」は、古代イスラエル人に征服され、歴史から姿を消した謎の民だ。「乳と蜜の流れる地」に住んでいた人々として聖書に描かれている。そのカナン人のDNAを大規模に調べた最新の研究成果が、5月28日付の学術誌「Cell」に発表された。 研究の結果、カナン人の遺伝子は、現代に生きる多くのユダヤ人とアラブ人に受け継がれていることがわかった。また、独特なカナン文化が築き上げられたのは、遠くカフカス山脈からやってきた移民がこの地に元々いた人々と結びついた結果だという。カナン文化は、およそ紀元前3500年から前
縄文や弥生の時代に日本列島に渡ってきた人たちに加えて、その後の古墳時代になって大陸からやってきた集団とも交流が進むことで、現在の日本人の祖先が誕生した可能性のあることが、石川県などで出土した人骨のDNA分析から明らかになったと金沢大学などの研究グループが発表しました。 金沢大学などの研究グループは、富山市の「小竹貝塚」や金沢市の岩出横穴墓など、縄文時代から古墳時代にかけての6つの遺跡で出土した12体分の人骨の核DNAを分析しました。 その結果を北海道や九州などで見つかった縄文や弥生の時代の人骨、そして大陸で出土した人骨のDNAと比較したところ、日本列島の古人骨は、時代が新しくなるにつれて大陸の集団の持つ遺伝的な要素が強くなる傾向があることが分かったとしています。 これについて研究グループは、縄文人と呼ばれる人たちがまず日本列島に到達したあと、弥生時代に北東アジアから渡ってきた集団と、さらに
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