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藝人の検索結果41 - 80 件 / 135件

  • 異質の男・タモリを可愛がった喜劇人

    タモリが司会を務めた今年の『27時間テレビ』では、今ではなかなか見ることの出来ない、彼の貴重な映像が幾つか放送されていた。その映像を見て、しみじみと思った。「タモリって、変な芸人だよなあ……」。 今や『笑っていいとも!』のメインパーソナリティとして、テレビバラエティ史に堂々とその名を刻み込むことが確定されているタモリだが、その立ち位置はなんとも不思議だ。大手芸能事務所に属さず、漫才やコントといった演芸を見せず、やることといえば珍妙な形態模写……改めて考えてみると、こんなヘンテコな存在はそうそう見られるものじゃない。なのに、そのヘンテコな存在が、お昼の生放送の番組を取り仕切っている。これは、もはや不気味の領域だ。考えてもみれば、オールバックにサングラスというビジュアルも不気味だ。あんなのが自分の部屋に入ってきたら、怖くて怖くて……って、それ『世にも奇妙な物語』だよ! そんなタモリの出自も、こ

    • 太田光と伊集院光のお笑い観、その違い - てれびのスキマ

      先日発売された「クイック・ジャパン(84号)」では「いま、ラジオは。」と題された特集の中で、太田光と伊集院光の対談が掲載されている。一般的に、二人はある意味で同士という感じで、非常に近い思想を持っているイメージがあると思う。が、この対談では、二人のラジオ観が「ラジオからテレビに」進出した伊集院と、「テレビからラジオにも」来た太田との微妙な違いが浮き彫りになっていた。 また、普段感じるイメージとは逆に、ひたすらナイーヴな伊集院と、それを通過した大人な太田という印象が面白かった。 そして、そのラジオ観同様、お笑い観もまた微妙に違いがあり興味深い。 太田は若い頃、タブーな方向に向かった理由を問われこう答えている。 やっぱり若い頃ってそういうとこ行きたがるとこあって。こっちにすりゃ殴りこみたいみたいな気分でテレビ出たりラジオ出たりするもんだから、笑えるか笑えないかっていうよりも、なんか事件起こした

        太田光と伊集院光のお笑い観、その違い - てれびのスキマ
      • チャンバラトリオ解散 52年の歴史に幕/デイリースポーツ online

        チャンバラトリオ解散 52年の歴史に幕 5枚 “大阪名物ハリセンチョップ”や、時代劇風コントで人気を博したお笑いグループ・チャンバラトリオのリーダー、山根伸介(78)が12日、京都・祇園花月の舞台で会見し、52年間続いた同グループを解散することを発表した。今後は後進の指導にあたる。 ステージに登場した山根が「ここで52年間続いたチャンバラトリオに幕を下ろさせていただくことになりました」と発表した。 近年は自身が中心となって結成したユニット「チャントリ軍団」らと舞台出演していたが「最近は入退院が続いておりまして」と、約4年前に肝臓がんを患って治療を行っていたことを公表。また最近も携帯電話を使っている最中に階段で転んで負傷したことを明かし「体力の限界を感じました。もう舞台で姿をお見せすることはないと思います」と話した。 この日は、弟子の宮川花子(59)や、元メンバーの結城哲也(73)らが駆けつ

          チャンバラトリオ解散 52年の歴史に幕/デイリースポーツ online
        • http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20070327-175927.html

          • おぎやはぎ「吉田豪が語る樹木希林の凄さ」

            2011年04月21日放送の「おぎやはぎのメガネびいき」にて、吉田豪がゲスト出演していた。そこで、「芸能界で最強なのは誰か?」という質問に対して、「沢田研二」と吉田は答えていた(おぎやはぎ「吉田豪が語る沢田研二最強説」)。そこから、樹木希林のスゴさについて語られていた。 吉田「79年に『芋ジュリー事件』っていうのがあって。新幹線の中で、ジュリーに対して『芋ジュリー』って暴言を吐いた人がいて。ジュリーがキレて、キン○マを掴むんですよ。それで相手もジュリーのキン○マを掴んで」 矢作「えぇ?」 吉田「つかみ合いになって、そのまま乱闘になって、ジュリーは一時期謹慎するんです」 小木「ニュースになったんですね、マスコミにばれて」 吉田「実は、それをきっかけに『もう、いいや』って思って、派手な衣装に身を包むようになって、後のジュリーになっていくんです」 矢作「はぁ~」 吉田「お化粧路線になっていくんで

              おぎやはぎ「吉田豪が語る樹木希林の凄さ」
            • 昨日の風はどんなのだっけ? - クイック・ジャパン 明石家さんまロングインタビュー

              クイック・ジャパン 明石家さんまロングインタビュー クイック・ジャパン(Vol.63) 出版社/メーカー: 太田出版発売日: 2005/12/10メディア: 単行本購入: 7人 クリック: 46回この商品を含むブログ (29件) を見る『クイックジャパン』なんて一生手に取ることのない人生を送りたかったんですが、さすがにこれは買ってしまうと思う、というか今日本屋に行ってあったら買う。 ここでさんまさんの言ってるラジオ論は全て正しいと思うんですが、現実に即していない正論になってしまっているのも確かで、若い芸人がラジオをしないのではなく、ラジオ局が若い芸人を起用しないことが要因で、大阪ではいまだにさんまさんがヤンタンを始める前にヤンタンをやっていた世代が関西のラジオ界では起用され続けていて、若い人向けの番組は本当に少なくなったし、その僅かな若い人向けの番組も全てスポンサー絡みのアイドルや声優ばか

                昨日の風はどんなのだっけ? - クイック・ジャパン 明石家さんまロングインタビュー
              • パパ活アプリおすすめ一覧比較ランキング!2024でP活女子に人気のベスト5

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                • 志村けんが語った酒とコントと人生「ひとりじゃなく全員でウケるのが大事」 | 日刊SPA!

                  新型コロナウイルスによる肺炎を患っていた志村けんさんが、3月29日、入院中の病院で亡くなった。「週刊SPA!」2011年3月1・8号の「エッジな人々」では、ちょうど61歳の誕生日を迎えたばかりの志村さんにロングインタビューを敢行。当時も今と変わらず、幅広い世代の心をつかんでいた志村さんに、コント作りの秘密をひもといてもらったその内容を再公開する。※年齢、日付等は掲載当時のまま。 61歳の誕生日を迎えたばかりの志村けん。60代で今なおテレビでコントの冠番組を持ち続けるコメディアンは、志村氏をおいてほかになし。今年で6回目を迎えた一座公演「志村魂」では全国のファンへ爆笑を届ける旅に出る。日本一の変なおじさんが説きあかす「コント平等論」とはいったい……。 ――お誕生日おめでとうございます。昨年は還暦を迎えられたわけですが、その日のことを覚えていますか? 志村:いやぁ、酔っ払って覚えてない(笑)。

                    志村けんが語った酒とコントと人生「ひとりじゃなく全員でウケるのが大事」 | 日刊SPA!
                  • 追悼・上岡龍太郎(てれびのスキマ) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                    2000年に芸能界を引退した上岡龍太郎さんが、5月19日に大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため亡くなった。 息子で映画監督の小林聖太郎は、こうコメントを寄せている。 とにかく矛盾の塊のような人でした。父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心を窺い知ることは死ぬまでついに叶わなかったような気もします。 弱みを見せず格好つけて口先三寸……。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。縁を授けてくださった皆様方に深く感謝いたします。 (「ORICON NEWS」2023年6月2日) 「弱みを見せず格好つけて口先三寸」まさに、上岡龍太郎はそんな男だった。 「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流」をキャッチフレーズに、立て板に水のような話術で人気を博し、『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)の初代局長として唯一無二の番組のカラーを作り上げ、『EXテレビ』の読売テレビ制作の火曜・木曜、

                      追悼・上岡龍太郎(てれびのスキマ) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                    • 大杉漣さん 演じることは生きること - 日本経済新聞

                      「長い人は30年以上の付き合いですから、なんだか部活みたい。でもこのドラマは、それでいいと思うんです」。遠藤憲一、田口トモロヲ、松重豊、光石研とともに脇役俳優の日常をユーモラスに描く「バイプレイヤーズ 無人島朝ドラ編」(水曜午後9時54分、テレビ東京系)に出演中だ。昨年、深夜に放送した「シェアハウス編」は大きな話題を呼んだ。「撮影中は毎夜、飲み会。必ず割り勘」という俳優陣の仲の良さ。一方でプロ

                        大杉漣さん 演じることは生きること - 日本経済新聞
                      • 伊東四朗が語る「喜劇役者」志村けんの魅力 「あんたがいてよかった」アイーンで見せた〝百分の一の照れ〟(withnews) - Yahoo!ニュース

                        舞台・映画・ドラマ、クイズ番組や歌番組の司会、ラジオパーソナリティーなど多方面で活躍している伊東四朗さん=スギゾー撮影 志村けんさんが亡くなって約4カ月。伊東四朗さん(83)は、志村さんと同じように「喜劇人」であることに誇りを持ち、芸能界で半世紀以上にわたって活躍してきた。『ドリフ大爆笑』での共演などで感じた「音の中で生きてきた」という志村さんの才能。そして、ギャグの後に見せる「百分の一」の照れ。「最後の喜劇役者」伊東さんが見た、志村さんについて聞いた。(ライター・鈴木旭) 【画像】志村けんさん、愛車のベンツでの出勤姿 楽屋での真剣な表情、30年前の密着取材で見せた素顔 初共演は『ドリフ大爆笑』――志村さんと最初に出会ったのはいつ頃か覚えていらっしゃいますか? ドリフターズのボーヤ(付き人)時代に会ってるのかもしれないけど、まったく覚えてないんですよね。一番最初にドリフターズと会ったのは、

                          伊東四朗が語る「喜劇役者」志村けんの魅力 「あんたがいてよかった」アイーンで見せた〝百分の一の照れ〟(withnews) - Yahoo!ニュース
                        • 【おそ松さん】20話「イヤミの学校」芸人・芸能関係者の感想ツイートまとめ

                          イヤミ先生が芸人論を展開させた「イヤミの学校」についての感想を、リアル芸人さん・関係者メインでまとめました。 (一般の方のツイートも使わせていただいております。問題がありましたら対応しますのでご連絡ください。)

                            【おそ松さん】20話「イヤミの学校」芸人・芸能関係者の感想ツイートまとめ
                          • 神田鯉栄『松之丞のこと〜序〜』

                            私は“松之丞”が嫌いだ。 正確に言うと“マツノジョウ”という音が嫌いなのです。 “マツノジョウ”という響きに身体が勝手に反応してしまうのです。まるで、自分の身…

                              神田鯉栄『松之丞のこと〜序〜』
                            • 話が面白くないやつは余計な個性をぶつけてくる - 笑いの飛距離

                              ダイノジについて触れることが最近無いなと、ふと気がついたので、今回はダイノジ大谷さんのお話を紹介したいです。今までいろんなお話を紹介してきましたが、今回のは一番私の中ではハッとさせられました。 個性を捨てろ! 型にはまれ! (だいわ文庫) 作者: 三田紀房出版社/メーカー: 大和書房発売日: 2009/08/10メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 28回この商品を含むブログ (7件) を見る 今のテレビは理由を聞いてくれない 2008年5月8日の「ヨシモト∞」。ダイノジの60分「大谷のいい話ベスト10」。 トーク中にいきなり大谷さん、面白いトークをするやつの法則を見つけた、まだきちんと固まってはいないけど話してみたいと切り出します。 大谷「合っているかどうか分かりませんよ、間違っている可能性もありますけど」 おおち「まあ、大谷さんなりの考えね」 大谷「勝手な持論です、これはテレビです

                                話が面白くないやつは余計な個性をぶつけてくる - 笑いの飛距離
                              • 「ソウルマンの死~追悼・志村けん」 輪島裕介|本がひらく

                                志村が死んだ。という言い方は、常識的には不謹慎で敬意を欠くものだろう。しかし、毎週「志村、うしろ、うしろ」と真顔で叫んでいた1974年生まれ(そう、彼がドリフに加入した年だ)の私にとって、「コメディアン・志村けんさんが亡くなりました」といった「正しい」言い方はどうしても馴染めない。舞台や画面上の演者と、客席やお茶の間の観衆を明確に区別したうえで、観衆を興奮の渦に巻き込んでゆく芸能者に対して、あたかも個人的な知り合いのように馴れ馴れしく敬称をつけて呼ぶことはむしろ失礼であるように思える。 舞台と客席の、そして舞台上と舞台裏の区別は、ちょうど楽屋落ちや私生活ネタ満載の「オレたちひょうきん族」が「8時だョ! 全員集合」にかわって土曜8時の覇権を奪うあたりから本格的に崩れてゆくことになる。安直に「素顔」や「舞台裏」を見せないプロの喜劇人として、ほとんど最後の世代に属する彼に対する、お茶の間から画面

                                  「ソウルマンの死~追悼・志村けん」 輪島裕介|本がひらく
                                • 2009-06-04 - 死んだ目でダブルピース

                                  昔の芸人は、舞台の上と私生活とを明確に分けていた。 しかしテレビが普及し始めた1960年代以降、芸人は本ネタを演じているとき以外の、素の表情をカメラの前に晒さざるを得なくなった。 この現象を逆手にとって、私生活を本ネタに取り込んだのが、やすし・きよしである。 やすし・きよしは、横山やすしがタクシー運転手を殴ったり、西川きよしが外国人女性と結婚したりしてワイドショーを賑わすようになってから、爆発的に売れた。二人は、ワイドショーで世間に定着したイメージを漫才の中に取り入れていったのである。 上岡龍太郎と桂米朝は、二人の漫才について、以下のように語っている。 上岡:やすし・きよしの漫才についていうと、漫才ブーム(昭和55年)をリーダーとなって引っ張ったということで、すごく過大評価されていると思います。漫才の歴史ということでは、日本一の漫才といわれているのが少しね、 (中略) ただ、彼らはね、テレ

                                    2009-06-04 - 死んだ目でダブルピース
                                  • 真田広之:“俳優の完成形”とJACの歴史を、ビデオ考古学者・コンバットRECが振り返る | 国境を越えて活躍する日本人 第1回

                                    国境を越えて活躍する日本人 第1回 [バックナンバー] 真田広之:“俳優の完成形”とJACの歴史を、ビデオ考古学者・コンバットRECが振り返る 2021年7月27日 12:10 2428 5 × 2428 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 1172 1091 165 シェア 新連載「国境を越えて活躍する日本人」がスタート! 本連載では、独自の武器を持って海外の現場で闘う俳優たちを取り上げていく。 第1回では、「ラスト サムライ」「47RONIN」などで知られる真田広之をフィーチャー。6月公開の「モータルコンバット」での“実質主役”ぶりが話題となり、「ジョン・ウィック」新作への出演も決まった彼の活躍は、海外メディア「The A.V. Club」に“ルネッサンス”をもじった「The Hiroyuki Sanadaissance」と

                                      真田広之:“俳優の完成形”とJACの歴史を、ビデオ考古学者・コンバットRECが振り返る | 国境を越えて活躍する日本人 第1回
                                    • 2010年12月27日のツイート - 深町秋生の序二段日記

                                      • 『A-Studio』という笑福亭鶴瓶の革命- てれびのスキマ

                                        今年の年初めNHKで放送された『新春テレビ放談』。千原ジュニアを司会に、テリー伊藤、鈴木おさむ、眞鍋かおり、森達也らが、2009年のテレビ番組を振り返るといったもので、色々と興味深い話題が多く面白かった。 特に、バラエティ番組を振り返るコーナーで、トーク番組が注目されたという中、ジュニアがテリーに「あっ、このトーク番組は面白いな、とか、いいなぁーっていうのもありますか?」と問われ、即座に『A-Studio』を挙げ、その制作陣にいる鈴木おさむが、この番組が出来たわけを語るシーンは、印象的だった。 鈴木: あれ理由があるんですよ。あれ(『A-Studio』)が出来た。テレビって結構色んなトーク番組でアンケート多いじゃないですか。眞鍋さんなんかも多いと思うんですけど、何かでる時にアンケートの質問が20個位書いてあって……。 眞鍋: 書かされますよぉ! ジュニア: テレビご覧の方には分からないと思

                                          『A-Studio』という笑福亭鶴瓶の革命- てれびのスキマ
                                        • 志村けん「求められたら、ギャグは一生やり続けなければならない」

                                          2013年07月19日放送の「志村けんの夜の虫」にて、志村けんがギャグについて考察について語っていた。 ギャグ=一発芸ではない 志村けん「関西だと『ギャグ』っていうけど、ドリフターズの中ではそれはギャグじゃないの。"流行りもん"っていって。『アイーン』も流行りもんなの」 ダチョウ倶楽部・上島竜兵「うん」 志村けん「ギャグっていうのは起承転結があって、コントになるっていうのがOKなギャグなんだけど。俺達は一発芸みたいなのはギャグって言わないんだよ」 上島竜兵「そういうところ、違ってますよね。一発芸=ギャグみたいな」 枡田絵理奈「一発ギャグって言いますもんね」 志村けん「分かってない人が、『(一発ギャグあって)いいなぁ』って言う人がいるんだけどね。カメラマンの取材で、『一発、ギャグお願いします』って言われて。『カメラで映るのがギャグか、このやろう?』ってカーってなるもん」 枡田絵理奈「ふふ(笑

                                            志村けん「求められたら、ギャグは一生やり続けなければならない」
                                          • トップページ - マトグロッソ|イースト・プレス

                                            朝際イコ 『カフヱーピウパリア』 大正十四年、浅草でひっそりと営むカフヱーピウパリア。昆虫学者がオーナーの、文化人達が集う個性的なカフヱー。ここで働く女給さん達もまた、ちょっぴり“ワケあり”で…。

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                                            • 勝新太郎が弦の神となった一夜 ~スイス、ロシニエール山荘の奇跡

                                              なぜ役者の道を選んだのかと聞かれて、「三味線弾きで終わりたくなかったから」と、勝新太郎は答えている。 彼には「杵屋勝丸」というもうひとつの名前があった。 長唄三味線の杵屋勝東治の息子に生まれ、十九歳の若さにして、二代目杵屋勝丸を襲名したという天才奏者として顔である。 社会的な地位からいっても、世間の通りもよかったろうが、最後までひけらかすことはなかった。 そして、苦心のすえ俳優としての名声をえたが、あきたらず、独立プロを立ちあげる。映画の恐さを知らなかったのである。 「作る側にまわると役者はしくじる」映画界の言い伝えを絵に描くようにたどり、採算を度外視した映画作りに走って、一説に十億ともいわれる膨大な借財を抱えたまま、66歳の生涯を閉じた。 千葉県柏市の国立がんセンターで療養中だった彼のベッドのかたわらにも、すぐ手にとれるようにひと竿の三味線が置かれていた。 三味線と縁がきれたわけではない

                                                勝新太郎が弦の神となった一夜 ~スイス、ロシニエール山荘の奇跡
                                              • 『快傑ズバット』が2月2日で放送開始45周年! 宮内洋の当たり役、伝説のヒーローの魅力を探る

                                                本日「2月2日」は「70年代東映特撮ヒーロー」ファンにとって、ひときわ印象深い日として知られている。それは今や伝説的に語り継がれる痛快アクションヒーロー作品『快傑ズバット』の放送開始日だからである。 「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」といった人気シリーズとは一味違う“単体作品”の『快傑ズバット』には、他のヒーロー作品にはない独特の個性があり、一度でも本編を観てしまうとあまりの面白さにハマる人が続出するという、不思議な魅力が備わっている。放送開始から45年を迎えたことを記念し、東映特撮ヒーローの可能性を大きく拡げた意欲作『快傑ズバット』とはどのような作品だったのか、解説していきたい。 東映製作、石ノ森章太郎原作の連続テレビドラマ『快傑ズバット』は、1977年2月2日より9月28日まで、東京12チャンネル(現テレビ東京)系で毎週水曜日夜7:30~8:00に、全32話が放送された。 小林旭主演の

                                                  『快傑ズバット』が2月2日で放送開始45周年! 宮内洋の当たり役、伝説のヒーローの魅力を探る
                                                • 吉田豪が直撃! クリトリック・リス、社会人時代からアルバム・デビューまでの〈どうしてもスカムになってしまう〉半生を語る(前編) | Mikiki by TOWER RECORDS

                                                  〈下ネタのナポレオン〉を名乗り、パンイチ姿のパフォーマンスでライヴ・シーンを中心にカルトな支持を集めてきたスギムのソロ・ユニット、クリトリック・リスが活動10周年目のファースト・アルバム『あなたのあな』をリリースした。昨年には〈AOMORI ROCK FESTIVAL ’15〜夏の魔物〜〉や〈りんご音楽祭〉など人気野外フェスにも出演し、12月に行われた東京・渋谷WWWでのワンマン・ライヴはソールドアウト。ウルフルズやナンバーガール、相対性理論など数多の才能を発掘してきた名物プロデューサーの加茂啓太郎による大プッシュもあり、シュールでマッドな46歳はここにきてブレイクの兆しを見せている。 そこで今回は、プロインタヴュアーの吉田豪氏がクリトリック・リスに直撃! 前後編に分けて、クリトリック・リスの原体験を振り返りながら、社会人時代からアルバム・デビューに至るまでの半生に迫る。この前編では、不安

                                                    吉田豪が直撃! クリトリック・リス、社会人時代からアルバム・デビューまでの〈どうしてもスカムになってしまう〉半生を語る(前編) | Mikiki by TOWER RECORDS
                                                  • the pillows山中×バカリズム 顔が似る二人は、内面も似てるのか? | CINRA

                                                    the pillowsのフロントマン・山中さわおとバカリズム――ある人にとっては「意外な組み合わせ」、またある人にとっては「遂に!」といったツーショットが実現した。片や結成から27年目に突入したベテランロックバンドのボーカルでありながら、「テレビはバラエティーしか見ない」と公言し、プライベートではお笑いのDVDを見まくっているという、お笑い好きミュージシャンの山中。そしてオフビートなコントでコアなお笑いファンのハートをわしづかみながら、最近では『素敵な選TAXI』などドラマ作品の脚本も担当、『バズリズム』をはじめとする音楽番組の出演を通してミュージシャンとの交流も深めているという、バカリズム。 「この二人、何か似てない?」――そんなファンの素朴なひと言から、お互いを意識し合うようになったという二人は、初対面にして一体どんな話を繰り広げるのだろうか。外見だけでなく、人間性や世の中の見方にも近

                                                      the pillows山中×バカリズム 顔が似る二人は、内面も似てるのか? | CINRA
                                                    • TKOを救ったナインティナインの一言 - てれびのスキマ

                                                      6月4日に放送された「オールナイトニッポン」は岡村隆史が不在だったため「矢部浩之のオールナイトニッポン」として矢部がゲストに同じツッコミであるTKO木本とオードリー若林を迎えて放送していた。 この番組、全編が聴きどころの素晴らしいものだったが、特に若林がテレビ初出演時のエピソードを語った話は抜群に興味深く、実際に「はてなでテレビの土踏まず」さんが「オードリー若林の世界を変えたナイナイ矢部の一言」と題してこれまた素晴らしい記事にしてくれている。 さらに他にも「世界は数字で出来ている」さんがナイナイ矢部 「ボケとツッコミは全く別の職業」、ナイナイ矢部、オードリー若林、TKO木本の共通点などにも引用されているように面白い話が頻出していた。 そんな中で、TKO木本が語ったどん底時代のエピソードも記録に残しておくべき面白いものだったので、微妙に「土踏まず」さんのタイトルをパクりつつ書き起こしておきた

                                                        TKOを救ったナインティナインの一言 - てれびのスキマ
                                                      • 壮烈なる落語家・川柳川柳 「軍歌とジャズの落語」とその死(堀井憲一郎) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                                                        川柳川柳は名人・三遊亭圓生の弟子であった 川柳川柳が亡くなった。90歳である。 川柳川柳と書いて「かわやなぎ・せんりゅう」と読む。 落語家である。 もとは三遊亭圓生の弟子で、三遊亭さん生と名乗っていた。 昭和53年、圓生が落語協会を脱して別の協会を作るときに、弟子であったにもかかわらず「さん生」はそれについてついていかなかった。 落語協会に残ったため、圓生に言われて名前を返上した。 会長の五代目柳家小さんらと相談のうえ、あらたに「川柳川柳」と名乗った。洒落た名前である。 「重い空気」をひっくり返す芸人 寄席でよく見かけた。 明るく突き抜けた芸風で、重い空気の客の前に出て来ても「よーし、笑わせるぞ」と気配が横溢で、ときには実際にそう言葉に出して、とにかく盛り上げる芸人であった。 寄席では、次々とお笑い芸人が出てくるのだが、ときどき、何かのめぐりあわせで、すべての芸人が「すべり」続けることが起

                                                          壮烈なる落語家・川柳川柳 「軍歌とジャズの落語」とその死(堀井憲一郎) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                                                        • 番外編 追悼 志村けん - 君たちはどう笑うか ~騒動日和~

                                                          『イカサマ野郎』Slick Slickers 1928年より 昭和後期から平成を代表する人気コメディアンの志村けんさんが、2020年(令和二年)3月29日に亡くなった。新型コロナウィルスによる芸能人の被害者では初めて…こんな悲しい幕引きはご本人も気づかないままだろう。 僕はいきなりの訃報をネット・ニュースで知って愕然としたので、改めてここに我が喜劇映画研究会での想い出を綴りたく思う。それで本文は『志村けん』と敬称を抜かす事を予めご理解下さい。理由は、これまでもチャップリン、キートン、ロイド、ローレル&ハーディ等、多くのレジェンド達を敬称ナシの記載としていたので、敢えて志村けんさんも日本代表のレジェンドとして敬意を表し『志村けん』とさせて頂かないと…なので、天国から「おい、オマエそれはないだろ?」と言わないで下さいネ。 喜劇映画研究会の先代会長ケラリーノ・サンドロヴィッチは、恵比寿で上映会を

                                                            番外編 追悼 志村けん - 君たちはどう笑うか ~騒動日和~
                                                          • 談志「落語なんて馬鹿でもできる。歌と踊りをやれ」立川生志と立川談慶が語る立川流1 - エキサイトニュース

                                                            落語立川流は故・立川談志が1983年に創設した団体だ。落語界初の上納金制度(現在は廃止)、前座から二つ目への昇進に落語50席(真打ちは100席)に歌舞音曲の習熟という明確な基準を設けて明文化するなど、他の団体にはない要素を打ち出したが、談志の厳しい方針は多くの脱落者をも生み出した。 ここに2人の立川流真打がいる。 立川生志。前座名、笑志。1988年入門、1997年二つ目昇進、2008年真打昇進。 立川談慶。前座名、ワコール。 1991年入門、2000年二つ目昇進、2005年真打昇進。 2013年にはそれぞれが、生志『ひとりブタ 談志と生きた二十五年』、談慶『大事なことはすべて立川談志【ししょう】に教わった』という初の著書を刊行した。生志20年、談慶14年。両人ともに会社勤めを経験してからの入門である。長い修業期間に2人が師匠・談志とどう接してきたのか。一門にしかわからない立川流の素顔を対談

                                                              談志「落語なんて馬鹿でもできる。歌と踊りをやれ」立川生志と立川談慶が語る立川流1 - エキサイトニュース
                                                            • 「君は桂枝雀を知っているか」の感想 - そして明日はこない

                                                              2013-12-02 「君は桂枝雀を知っているか」の感想 落語 BS朝日 - 君は『桂枝雀』を知っているか!? ~伝説の天才落語家の真実~ BS の番組なので、わざわざ実家で録画してもらい、それをDVD に焼いたのを送ってもらい、きょう観た。 今年の十月頭に亡くなった朝日放送プロデューサー、市川寿憲さん*1の遺作とのこと。いやあ、本当によかった。 知らないこと、というのはあまりなかったが、それでも枝雀の映像をいくつも観ることができた。特にハプニングシーンはたのしかった。『宿屋仇』で、見台を壊してしまうところ(ニコ動に動画あり)や、『上燗屋』口演中に舞台下手に向かって残り時間を尋ねたり、『道具屋』で話の筋を忘れて、これまた下手に「次、なんだっけ?」と大声で尋ねたり、でも、枝雀に関していえば、お客さんはそういう枝雀が大好きだったと思う。むしろ、枝雀のハプニングを見ることができた、幸せと思え

                                                              • 宍戸錠×矢作俊彦 対談──かつてこの国には「殺し屋」がいた

                                                                黒のディナー・ジャケット、黒の細いパンツ、黒のシャツ、パールホワイトのタイ──。「エースのジョー」は、不敵な笑みとともに銃口をカメラに向けていた。目にも止まらぬ早業だった。日活アクション映画へのオマージュ作品『アゲイン』を監督し、その脚本も書いた作家・矢作俊彦が錠を迎えた。マカロニ・ウエスタンより早くウドンウエスタンがあった時代が幻影のように浮かび上がった。

                                                                  宍戸錠×矢作俊彦 対談──かつてこの国には「殺し屋」がいた
                                                                • お笑いに身を捧げ、面白さで黙らせる ミルクボーイ内海崇、角刈り後の再生 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

                                                                  「史上最高の大会」との呼び声も高い、2019年のM-1グランプリ。下馬評ではダークホース的な存在だったお笑いコンビ「ミルクボーイ」の優勝は今も記憶に新しい。 母親が好きな朝ごはんはコーンフレークか否かという、彼らのあまりにばかばかしい話し合いは、会場全体に巨大な笑いのうねりを起こし、審査員の松本人志は「これぞ漫才」、ナイツ塙は「100点に近い」と賞嘆した。 07年にコンビを組んでから14年。そのうち5年近くが事実上の解散状態にありながら、2人は今にも切れそうな細い糸をつたい、死に物狂いで頂点にたどり着いた。 ツッコミの内海崇は振り返る。本気を出したと納得するまで辞めようとは思えなかった、と。 ふしだらな生活に別れを告げ、本気でお笑いに向き合おうと決めた内海を、支え、刺激し、奮い立たせた人たちがいる。長年通う理容室の店主や、M-1で共に死力を尽くした戦友への思いを聞いた。 念願の恩返し 52

                                                                    お笑いに身を捧げ、面白さで黙らせる ミルクボーイ内海崇、角刈り後の再生 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
                                                                  • 井上陽水が絵文字を使う理由 - 冒険野郎マクガイヤー

                                                                    帰宅後、まずはゆっくり風呂に入らないと気がすまないので、毎晩23時くらいにモソモソとテレビを見つつ夕飯を食べているのだが、「LIFE 井上陽水 40年を語る」は良い番組だった。 http://www.nhk.or.jp/songs/life-inoue/ 私は適当にアルバムを買ってるくらいのゆるいファンなのだが、四夜連続で、基本陽水へのインタビューでありつつ合間合間に小室等やらスガシカオやら奥田民夫やら、果ては藤子不二雄Aまでもが陽水について語るという豪華にして良質なな番組であった。ていうか、こういう番組は総合の方でもうちょっと早いプライムタイムくらいに放送すると思っていたのだが、夜11時に教育テレビで放送されても普通気がつかないよな。TVブロスのラテ欄じゃ一行のみで、Gコードすらついてなかったよ。自分は第三夜でやっと気づいて録画したのだが、是非とも再放送して欲しい。 何年かに一度「いいと

                                                                      井上陽水が絵文字を使う理由 - 冒険野郎マクガイヤー
                                                                    • コメディアンの叫びとキャラクターの身体~志村けんの“音楽性”について

                                                                      新型コロナウイルスによる肺炎のため70歳で死去した志村けん。熱心な音楽ファンとして知られる彼は、お笑いを通して日本のお茶の間にファンキーなソウルミュージックを届けていた。この記事では志村のお笑いについて音楽的に分析し、彼がなぜソウルミュージックと共振したのかなどを紐解いていく。 文 / imdkm イラスト / Terry Johnson 志村と音楽の関係2020年3月29日、志村けんが亡くなった。ザ・ドリフターズのメンバーとして、1人のコメディアンとして、長らく人気を博してきた志村の訃報は世間に大きな動揺を引き起こした。メディアやSNSでは、志村の業績を(その功罪両面から)振り返る声が上がった。 中でも改めて注目を集めたのは、志村と音楽の関係である。これはすでに多くの場で語り草になってきたトピックでもあって、輪島裕介「踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽」(NHK出版新書、2015年)や

                                                                        コメディアンの叫びとキャラクターの身体~志村けんの“音楽性”について
                                                                      • 未来の芸人&番組についての話し合い

                                                                        発端は「ロンドンハーツ」芸人スポーツテスト。アラフォー芸人たちが大活躍し、肉体的有利な20歳代芸人が極少数になっていた番組現状からあらゆる話が加速度をまして更なる大河に流れゆき、ついに岸辺の「レギュラー芸人」がニヤリとしつつ大海へ向かい流れ行くお話です。(誰でも編集可にしました)

                                                                          未来の芸人&番組についての話し合い
                                                                        • 萩原健一×赤坂英一~青春のバイブル「アニキ~」と「アキラ!」の時代『傷だらけの天使』を語ろう(週刊現代) @gendai_biz

                                                                          あかさか・えいいち/1963年生まれ。スポーツジャーナリスト。日刊ゲンダイでプロ野球取材を続け、'06年独立。萩原の自伝『ショーケン』(講談社)の構成を担当した はぎわら・けんいち/1950年生まれ。俳優・歌手。'67年、ザ・テンプターズのボーカルとしてデビュー。その後俳優業に重心を移し、『太陽にほえろ!』などに出演 無頼な修と純情な亨の探偵コンビ。あの頃、誰もが二人に憧れ、真似した。愛も暴力も笑いも涙もエロも死も、大切なことはすべてこのドラマが教えてくれた。 再放送で25% 萩原 ドラマ『傷だらけの天使』の放送は'74年~'75年でしたが、放送終了後も繰り返し再放送されたんですよね。 赤坂 はい、今もBS日テレで再放送中ですよ。 萩原 えーっ、まだやってるんですか。それは知りませんでした。 赤坂 名作ならでは、でしょう。探偵事務所の下っ端コンビの、アナーキーでエロティックな青春ドラマ。当

                                                                            萩原健一×赤坂英一~青春のバイブル「アニキ~」と「アキラ!」の時代『傷だらけの天使』を語ろう(週刊現代) @gendai_biz
                                                                          • asahi.com(朝日新聞社):「坂上さんはアイドル」 関根さん・小堺さん追悼の談話 - 社会

                                                                            坂上さんと同じ芸能事務所に所属するタレントの関根勤さんと小堺一機さんもコメントを出した。  関根さん 「突然の、知らせに驚いております。テレビ番組『カックラキン大放送』で10年間、芸や人生など、お教えいただきました。私にとってのコント55号は、私自身のアイドルでありお笑いの芸を目指すきっかけとなった大きな存在です。そんな憧れの坂上二郎さんとの共演は、夢のような時間だったと記憶しております。ここ最近は、明治座にコント55号の舞台を見にうかがった際に、楽屋でお会いするのが楽しみとなっておりました。今年1月の公演では声だけの出演でしたので、大変寂しく感じました。また、お会いできる時を楽しみにしておりましたが、それがかなうことがないと思うと誠に残念であります。今までどうもありがとうございました。ご冥福を、お祈りいたします」  小堺さん 「また、昭和の芸能界の偉大な先輩にお別れしなければなりません。

                                                                            • 内海桂子・好江

                                                                              人 物 人 物 内海うつみ 桂子けいこ ・本 名 安藤 良子 ・生没年 1922年9月12日~2020年8月22日 ・出身地 千葉県 銚子市 内海うつみ 好江よしえ ・本 名 奥田 好江(旧・栗田) ・生没年 1936年2月23日~1997年10月6日 ・出身地 東京 浅草 来 歴 内海桂子・好江は戦後活躍した女流漫才である。桂子と好江は師弟関係ではない、純然たる他人コンビであった。派手で達者な三味線漫才と個性的なキャラクターで一世を風靡したほか、歯切れのいい男勝りの江戸っ子キャラとして、俳優やコメンテーターとしても活躍した。 内海桂子の来歴 内海桂子こと安藤良子は、網中一良と安藤千代の長女として千葉県銚子市に生まれる。当時、二人は恋愛関係の末に駆け落ちし、千葉県銚子市へと落ち延びた所であった。そのため、出生届を出すのが遅れ、戸籍上では「1923年1月12日」生まれとして登録されている。

                                                                                内海桂子・好江
                                                                              • Yahoo!ニュース - 芸能界の重鎮・伊東四朗が語る、「逆境を越えた生き方」 (withnews)

                                                                                予想しなかったつらい事態に直面する。途方にくれる。苦しみからどう抜け出せるか、見当もつかない――。そんな時に何が見えたか。役者として、タレントとして、テレビで映画であらゆる役柄をこなしてきた芸能界の重鎮・伊東四朗さん(77)が、「逆境」を乗り越えた生き方を語ってくれました。 わがてんぷくトリオのリーダーだった三波伸介氏が52歳で急逝した時は茫然自失(ぼうぜんじしつ)になりました。突然の訃報(ふほう)を聞いて、座りこんでしまった。病院に飛んで行って亡くなった三波氏をさわると、まだあたたかかった。もう一人のメンバーの戸塚睦夫氏は、その9年前に42歳の若さで亡くなっていたから「とうとう、ひとりきりになってしまったか」と思いましたね。 私は人づき合いが良い方ではありませんから、積極的にトリオの売り込みをした三波氏の大きな翼の中で庇護(ひご)されながら、何とか笑いの世界を生きている感覚がありました

                                                                                  Yahoo!ニュース - 芸能界の重鎮・伊東四朗が語る、「逆境を越えた生き方」 (withnews)
                                                                                • 桑田佳祐感謝…勝手にシンドバッドは志村さんパクリ - おくやみ : 日刊スポーツ

                                                                                  サザンオールスターズ桑田佳祐(64)が4日、レギュラーパーソナリティーを務めるTOKYO FM「桑田佳祐のやさしい夜遊び」(土曜午後11時)で、コロナウイルス肺炎のため亡くなったザ・ドリフターズ志村けんさん(享年70)を追悼した。 桑田は冒頭で「コロナウイルスの影響も日に日に拡大しておりまして、今週は志村けんさんのご訃報もございました」と前置き。リスナーからの志村さん訃報を悲しむ投稿を紹介した桑田は、サザンの78年のデビュー曲「勝手にシンドバッド」のタイトルが、志村さんが「8時だョ!全員集合」で披露した、振り付けをごちゃまぜにするコントネタからインスパイアされたことを告白した。「サザンのデビュー曲は『勝手にシンドバッド』って言うんですけど、デビューしてしばらくだまってたんですけど。沢田研二さんの『勝手にしやがれ』とピンクレディーさんの『渚のシンドバッド』をくっつけた。いかにも僕のオリジナル

                                                                                    桑田佳祐感謝…勝手にシンドバッドは志村さんパクリ - おくやみ : 日刊スポーツ