9月に発生から100年となる関東大震災の際、群馬県でも朝鮮人17人が虐殺されたとされる「藤岡事件」を知ってもらお...
飯⼭由貴《In-Mates》《In-Mates》は、26分46秒の映像作品。本作の概要として、小田原のどかによる解説を以下に引用する。 《In-Mates》は、1945年に空襲で焼失した精神病院・王⼦脳病院(東京)の⼊院患者の診療録に基づくドキュメンタリー調の映像作品だ。王⼦脳病院には、1930〜40年まで⼊院し、院内で病没した2⼈の朝鮮⼈患者の記録が残されていた。 本作では、同院の診療録に記録された2⼈の朝鮮⼈患者の実際のやりとりに基づき、ラッパー・詩⼈で在⽇コリアン2.5世であるFUNIが、⾔葉とパフォーマンスによって彼らの葛藤を現代にあらわそうと試みる姿が記録されている。 また作品内では、当時の時代背景へ学びを深めるため、FUNIと飯⼭が精神医学史と歴史学のレクチャーを受ける様⼦も収められている。歴史学については、外村⼤が講師を務めた。 飯⼭はこれまでも、精神医療と⾃らの家族、障害者
2020年06月22日 東京弁護士会 会長 冨田 秀実 東京都は、今般、本年度の「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」開催のため、同追悼式典の実行委員会が、東京都立横網町公園の占用許可を申請したのに対して、誓約書の提出を占用許可の条件とし、誓約書の提出がなければ、占用を許可しないと言明した。誓約書の内容は、「公園管理上支障となる行為は行わない」、「遵守されないことにより公園管理者が集会の中止等、公園管理上の必要な措置を指示した場合は、その指示に従います。また、公園管理者の指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」などというものである。 同追悼式典は、同公園において毎年9月1日に開催されてきた式典である。関東大震災時に「朝鮮人が井戸に毒をいれた」等のデマが流布したことなどにより、自警団や軍隊、警察による殺傷事件が起きた。政府の「災害
だが、この事件には何ひとつ客観的な物的証拠というものはない。爆ダンもなければ、爆ダンに似たものもなかった。そしてただ「天皇を殺そうと思った」だけであり、そのために「爆ダンを手に入れようと思った」だけであるということになる。それでいながらいつのまにか大逆事件にされてしまった。文字どおりのデッチ上げである点では今日の三鷹事件や松川事件と、事件の本質はまさにそっくりである。 それなら何故に裁判所や警視庁が、よってたかって朴烈、文子のふたりを、しゃにむに大逆罪という大罪にたたきおとさなければならなかったか。その理由は、当時の社会性の特別に重大な事情の中にあったのである。 関東大震災で巻き起こった「鮮人さわぎ」 重大な事情とは何か。関東大震災のまっさい中に、いわゆる「鮮人さわぎ」というものがおこり、そのどさくさまぎれに、関東一たいにわたって軍隊や警察や自警団の手でおこなわれた、3000名に近い朝鮮人
東京都の小池知事が2期目の任期満了を迎えるのに伴って来月7日、都知事選が行われます。私たちは8年にわたる小池都政の是非をあらためて検証しました。 👉https://tver.jp/series/srljho6kpk?utm_source=youtube&utm_medium=txtlink&utm_campaign=tbsnewsdig 6月8日OA「クルド人ヘイト」はTVerで先行公開中 ▼TBS NEWS DIG 公式サイト https://newsdig.tbs.co.jp/ ▼チャンネル登録をお願いします! http://www.youtube.com/channel/UC6AG81pAkf6Lbi_1VC5NmPA?sub_confirmation=1 ▼情報提供はこちらから「TBSインサイダーズ」 https://www.tbs.co.jp/news_sp/tbs-i
関東大震災における朝鮮人虐殺に関する質問主意書 関東大震災が発災した際に、誤った策動と流言蜚語のため、多くの朝鮮人が人の手によって命を落としました。この犠牲者を追悼するため、都立横網町公園内に朝鮮人犠牲者追悼碑が建立され、毎年、九月一日に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式」が開催されています。 この式典の開催に際し、例年、歴代都知事が追悼文を送付しており、昨年は小池都知事も追悼文を送付しておりました。ところが、今年の式典に当たって小池都知事は追悼文の送付を取りやめました。 その理由として、都建設局公園緑地部は、都慰霊協会主催の秋季大法要が関東大震災の九月一日に開催されていることを挙げ、「知事はそこに出席し、亡くなった人すべてに哀悼の意を表しているため」と説明し、「今後、他の団体から要請があっても出さない」としていることが報じられています。 都慰霊協会主催の大法要は自然災害による震災の被害者を慰
栗田谷中学校の校門前で、周辺の地図を頭上に掲げる山本代表(中央)と虐殺事件を説明するメンバー=横浜市神奈川区で 関東大震災発生直後の朝鮮人虐殺を巡り、現在の横浜市立栗田谷中学校(神奈川区)周辺で、5人が自警団に殺害されたとみられることが、市民団体「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」の調査で分かった。当時は学校の創立前だが、山本すみ子代表(85)は「市民と生徒らに身近な場所で起きた事件を知ってもらい、歴史的な背景と朝鮮人差別の問題を考えてほしい」と話している。(阿部博行) 山本代表は、震災当時の県知事が内務省警保局長に宛てた「震災ニ伴フ朝鮮人並ニ支那人ニ関スル犯罪及保護状況其他調査ノ件」と題する史料について、発見した故姜徳相(カンドクサン)氏と共編の書籍「神奈川県 関東大震災 朝鮮人虐殺関係資料」(三一書房)に収録し、昨年9月に出版。同会はこれに基づき、当時の地図や
東京都の横網町公園の一等地とも言える場所に堂々と立つ「関東大震災朝鮮人犠牲者の慰霊碑」であります。 公園の公式サイトより。 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑 http://tokyoireikyoukai.or.jp/park/%e6%96%bd%e8%a8%ad%e6%a1%88%e5%86%85/%e6%9c%9d%e9%ae%ae%e4%ba%ba%e7%8a%a0%e7%89%b2%e8%80%85%e8%bf%bd%e6%82%bc%e7%a2%91/ 関東大震災時の混乱のなかで、あやまった策動と流言ひ語により尊い命を奪われた多くの朝鮮人を追悼し、二度とこのような不幸な歴史を繰り返さないことを願い、震災50周年を記念して昭和48年(1973)に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」により立てられた碑です。 この碑文の犠牲者数「六千余名」となっております。 今回はこれを取り上げま
約100年前に発生した関東大震災後に虐殺された朝鮮人らを悼む式典の実行委員会が東京都知事選(7月7日投開票)の立候補者に対し、知事として追悼文を送る意思があるかどうかについてアンケートを実施した。2017年から追悼文送付を見送っている現職の小池百合子氏(71)は引き続き送らない意向を示す一方、前参院議員の蓮舫氏(56)は送ると表明。過去の歴史にどう向き合うかを巡って対応が分かれた。(渡辺真由子) 朝鮮人虐殺 1923年9月に起きた関東大震災直後の混乱の中で、自警団や軍、警察の一部が朝鮮人らを暴行、殺害した事件。東京や神奈川を中心に起きた。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などとする流言をきっかけに、非人道行為が相次いだと伝えられる。中国人や社会主義者の日本人も犠牲になった。政府は「政府内に事実関係を把握できる記録がない」との見解を示している。政府の中央防災会議は2009年の報告書で、震災の10万
100年前の関東大震災時のデマにより虐殺された朝鮮人犠牲者らを追悼する式典が1日、東京都墨田区の横網町公園で行われました。「悲劇を繰り返さないために、歴史の直視を」。炎天の下、会場いっぱいの人が集まり、政府による真相究明と謝罪を求めました。同式典実行委員会の主催です。 1923年の震災後、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言が広まり、軍隊や民衆などによって朝鮮人や中国人、日本人社会主義者らが虐殺されました。朝鮮人の犠牲者は6000人超と言われます。 式典で、実行委員長で日朝協会東京都連合会の宮川泰彦会長は「過ちを繰り返さないため、語り継ぐことが私たちの責務です」とあいさつしました。 「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」の田中正敬事務局長は、日本政府が事実を認めず、小池百合子都知事が同式典への追悼文を拒んでいることを批判。排外主義が広がりつつあることに危機感を示し、「過去を直視し、責
関東大震災時の朝鮮人への虐殺から百年。数ある出来事の中で、今大きな注目を集めるのが福田村事件である。事件の名を冠した森達也監督の映画のよりどころとなったのがこの本。旧版を全面的に加筆し、新版が生まれた。 利根川の下流、茨城県に渡る手前の千葉県福田村、現在の野田市で事件は起きた。渡し場にやってきた(胎児を含む)十人が惨殺された。殺された人たちは朝鮮人ではない。香川県からの旅の集団。彼らは被差別部落で生まれ育ち、耕す田畑も少ない中、正露丸や湯の花などを商う行商で命をつないでいた。 九死に一生を得て、故郷に戻った人の証言がある。青年団長は日本人だと思った。だが疑問だという声も。警察署の判断を待つ混乱の中、村人は蟻(あり)のように殺到する。一行を針金で縛り、ついにとび口を振り降ろし、頭から血の柱が噴き上がった。
松野博一官房長官が記者会見で、関東大震災をめぐる朝鮮人虐殺について「政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」と述べましたが、ミスリードで不正確です。 政府は2009年に内閣総理大臣を会長とする内閣府の中央防災会議で報告書を出しており、事実関係をまとめた様々な資料とともに「朝鮮人を中心に犠牲者の1%から数%が殺害された」と明記しています。報告書が引用した一次資料には、朝鮮人らが犠牲となった殺傷事件が記録されており、国立公文書館が運営するアジア歴史資料センターなどで保管・公開されています。 検証対象2023年8月30日、松野官房長官は記者会見で、関東大震災当時の朝鮮人虐殺について「政府内において事実関係を把握することのできる記録は見当たらない」と2回発言した。「令和5年8月30日(水)午前-内閣官房長官記者会見」で確認できる。 2023年8月30日の記者会見より問題の発言は動画の6
当館所蔵の関東大震災関連の映画を公開するWEBサイト。 文部省が監修し全国規模での普及を図った長篇記録映画『關東大震大火實況』やその弁士説明版、『関東大震災』[返還映画版]、『帝都の大震災 大正十二年九月一日』、『東京大震災』、『関東大震災実況』、『東京関東地方 大震災惨害實况 大正十二年九月一日二日三日』、『帝都大震災 大正十二年九月一日』(別題名『震災ト三井』)、『大正十二年九月一日 帝都大震災大火災 大惨状』、『関東大震災』[伊奈精一版]、『大正拾弐年九月一日 猛火と屍の東京を踏みて』、『大震災以前 帝都 の壯觀』、『復興帝都シンフオニー』、『帝都復興』、『震災後之日本』、『日本之大地震』、『地震と震災』、『北伊豆震災』、『航空船にて復興の帝都へ』、『第四報 東京大震災惨状』、『東京大震災の惨状』の全篇をご覧いただけます。 巨大災害の実態と社会の変容を、現在の共有知にするための本サイ
国立科学博物館がAIと人力を駆使してカラー化した100年前の関東大震災の写真を、9月から11月まで展示をおこないます。 このAIニュースのポイント 国立科学博物館がAIと人力でカラー化した100年前の関東大震災写真を展示 静岡県伊東市の津波被害や東京・浅草の写真10点がリアルに再現され、リアリティを追求 期間は9月1日(金)から11月26日(日)までで、入館料は一般と大学生が630円、高校生以下と65歳以上は無料 国立科学博物館は、関東大震災から100年となる9月1日(金)から「震災からのあゆみ─未来へつなげる科学技術─」と題された展示を開始しました。 展示されている写真は、静岡県伊東市を襲った津波被害や、東京・浅草の風景など、博物館が所蔵する震災当時の写真10点です。これらの写真は、東京大学大学院の渡邉英徳教授の協力を得て、AIを駆使してカラー化され、当時の資料を元に補正が行われました。
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
<今回のデマ>関東大震災での朝鮮人暴動は事実。内務省も司法省も認めている。自警団の行為を虐殺と言うのは不正確。関東大震災で殺された朝鮮人は約300人。<事実>内務省は大正15年発行の『大正震災志』の中で当時流れた流言(デマ)として朝鮮人虐殺の記事を紹介しているし、司法省は大正12年に朝鮮人暴動や井戸に毒を流したなどの噂を「一定の計画の下に脈絡ある非行を為したる事跡を認め難し」として否定している。震災時の「自警団」の「多くは震災直後に自然発生的に形成された」ものであるうえに、「当時武器を持った民間人集団はすべて『自警団』と表現された」にすぎず、「自警団の行為だから虐殺と言うのは不正確」という弁解は全くの意味不明。当時の司法省の記録には、警察に保護されている朝鮮人を民衆が警察署を襲撃して殺害した事件なども記録されており、暴動に対する自衛どころか明らかな虐殺である。約300人とは起訴された事件で
関東大震災の被害が小さかった群馬県からは、各地で編成した救護班が被災地へ派遣された。写真は、沢田村(現・中之条町)の救護班が出発に際して撮影されたとみられる(中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」提供) 一九二三(大正十二)年九月一日、南関東や静岡県に壊滅的打撃を与えた関東大震災から今年で百年を迎える。群馬県内は強い揺れで建物が倒壊するなどしたものの、直接的な被害は少なかった。しかし、社会は大混乱に陥り、自警団による朝鮮人の虐殺事件が起きた。複数の資料から、県内の状況を振り返る。 (小松田健一) 「群馬県史」(県史編さん委員会編)によると、高崎市内の工場煙突が倒壊したり、現在の渋川市内でトンネルが崩壊し交通が途絶したりした。九月三日付の上毛新聞(群馬県の地元紙)は、東京に近い邑楽郡で「被害激甚」と、建物被害に加え東武線の線路亀裂などを伝えている。 首都救援の立ち上がりは早かった。県内各地で救
こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。しばらく前にBSで放送された、戦前の記録映像を紹介する番組のなかで、関東大震災直後の東京の映像がありまして、隅田川に累々と死体が浮かぶ様子など、かなり凄惨な実態までも生々しく記録されていることにゾッとしました。これを撮影したのは白井茂というカメラマンで、当時のいきさつを本に書き残しているとのことだったので、読んでみました。 『カメラと人生』という回顧録です。震災時のエピソードは短めですが、かなり具体的に記述されていて非常に興味深い記録となってます。この本、たぶん少部数しか刷ってないんじゃないでしょうか。公立図書館でもなかなか置いてないようなので、内容を要約しておきます。 その日、白井はある劇団から撮影を依頼され、埼玉県の熊谷にいました。撮影前の昼食時に激しい揺れに見舞われました。東京からけっこう距離がある熊谷でも、ただごとではないとわかるほどの揺れだ
東京・横網町公園での追悼式、今年は使用を許可せず 妨害集会と「同級」で「自制」を要求し、誓約書を要求 知識人ら「民族差別を扇動する集会と同列で規制するのは不当」批判 ある市民は個人的に3万人署名を集めて東京都に提出 昨年9月1日、東京都墨田区横網町公園で開かれた96周年関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼式で、市民が追悼碑の前に献花した後、黙祷している=ハンギョレ資料写真 東京都が関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者追悼式を事実上許可していないことについて、日本の男性が追悼祭の許可を求める市民約3万人の署名を集めて提出し、知識人らも同趣旨の声明を発表した。 共同通信は「ある会社員の男性(42)が11日に東京都庁を訪れ、追悼式開催のための公園の使用許可を求める請願に3万1846人の署名を集め提出した」と報じた。日本の知識人117人も、東京都に例年のように追悼式を許可するよう声明を提出する予定だ。知識
川崎市のJR川崎駅東口広場に背丈ほどの直方体の石碑がある。沖縄で道の曲がり角などに、ずっと小ぶりなのを見かける魔除けの石敢當(いしがんとう)である。その前で8月28日、川崎沖縄県人会主催の「石敢當建立50周年 記念のつどい」があった。(女性史研究者・江刺昭子) 設置の由来は1959年9月、米国統治下にあった沖縄を襲った宮古島台風(別名サラ)にさかのぼる。茅葺き・木造が多かった宮古島の家屋は7割が倒壊、農作物の被害も甚大だった。島民の窮状を知った川崎市議会が中心になって救援会が結成され、市民から集めた義援金355万円(当時のレートで約1万ドル)を琉球政府に贈った。その返礼にと宮古島から贈られたのがこの石敢當で、駅前に設置されたのが70年9月1日だという。 設置50周年にあたり、その絆を語り継ごうと、市長や市議会議長をはじめ、ゆかりの人びとが出席。約100年前から始まった川崎と沖縄の交流をこも
関東大震災直後に起きた事件を描く森達也監督の初劇映画『福田村事件』。凄惨な事件はなぜ起きたか、澤田智一の妻・静子やジャーナリスト・恩田楓が伝えようとしたことは何か。平澤計七とは? 実際の事件も踏まえながら考察する。 オウム真理教のドキュメンタリー映画『A』や佐村河内守氏の「ゴーストライター問題」を題材にした『FAKE』など、センセーショナルな作品を発表し続けてきた森達也監督の初劇映画『福田村事件』。関東大震災の直後に実際に起きた「福田村事件」を震災前から描くことで、デマを信じてしまう人々の心理や社会状況を丁寧に解き明かし、群像劇のスタイルを用いて多様な視点で見つめているのが特徴。福田村に戻ってきたある夫妻、地元住民、新聞社、香川からの行商団、そして東京の活動家など、それぞれの側面から、なぜこのような凄惨な事件が起きてしまったのかを、人間心理に深く切り込み明らかにしている。 澤田智一の妻・静
関東大地震直後、自警団による朝鮮人に対する襲撃事件が続発する。のちに立件された事件記録・資料をもとに、自警団の知られざる実態が百年を経て明らかになる。 シリーズ: 1,980円(税込) Cコード:0395 整理番号: 刊行日: 2023/08/08 ※発売日は地域・書店によって 前後する場合があります 判型:四六判 ページ数:320 ISBN:978-4-480-01780-2 JANコード:9784480017802 購入
「朝鮮人大虐殺を『事実』と発言する動画を使用する事に懸念があります」。東京都人権部の職員が送った2022年5月12日付のメールには、朝鮮人虐殺を巡る懸念が示されていた=後藤由耶撮影 今秋で関東大震災から100年。甚大な被害とともに忘れてはいけない歴史がある。 「鮮人暴動というデマと、それに乗った自警団の暴虐とは、大正の東京の歴史の、ぬぐうことのできない汚点である」。1972年に東京都が発行した「東京百年史」にある記述だ。23年9月1日に発生した関東大震災では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「放火している」などのデマが被災地に流れ、信じた民衆らが朝鮮人虐殺を起こした。そのことを「汚点」と強く表現したのだ。だが100年の節目を迎えようとしている今、都はむしろ虐殺を「なかった」ことにしようとしていないか。 昨年8~11月、都の外郭団体が運営する「東京都人権プラザ」で現代美術家の飯山由貴さんの企画展が
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く