> F1ニュース記事一覧 > 「FW11Bに敵うマシンはない」元F1王者マンセル、今のドライバーは“適切なマシン”を知らないと主張
ハミルトンのフェラーリ移籍の可能性が報じられたのは、2月1日のヨーロッパ時間午前中のことだった。このニュースを受け、ニューヨーク証券取引所でフェラーリの株価は10%以上高騰し、最高値を更新することとなった。 そしてヨーロッパ時間の夜になって、フェラーリがプレスリリースを配信し、2025年からハミルトンが加入することを正式に発表した。これにより2025年のフェラーリは、ハミルトンとシャルル・ルクレールという超強力ラインアップとなる。 ハミルトンは、メルセデスと2025年末までの契約を結んでいると考えられていた。しかし2025年についてはオプション契約だった模様で、ハミルトンはこれを行使しないことを決断したようだ。 motorsport.comの調べによれば、メルセデスのスタッフは2月1日の午後にブラックリーで行なわれた緊急ミーティングで、チーム代表のトト・ウルフとテクニカルディレクターのジェ
ありがとうフェラーリ、ありがとうメルセデス、ありがとうトヨタ... 2021年12月12日のアブダビ・グランプリ(GP)で、エンジンを供給するレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン選手(オランダ)が勝利し、F1ラストイヤーで有終の美を飾ったホンダ。最終戦に臨む日の朝、歴戦のライバルに感謝を告げる新聞広告を掲載し、ファンの間で大きな反響を呼んだ。 【画像】英語版の広告には異なるメッセージ 広告にはどんな思いが込められていたのだろうか。ホンダに話を聞いた。 ■「すべてのライバルに感謝します」「すべての仲間に感謝します」 ホンダは1964年にF1初参戦。以降、撤退と復帰を重ね、15年にはエンジンのサプライヤーとして4度目の復帰を果たした。第4期ではマクラーレン、トロ・ロッソ、レッドブル、アルファタウリといったパートナーとタッグを組んできたが、ホンダの2050年カーボンニュートラル実現を理
ロマン・グロージャンは、スタート直後にダニール・クビアトと接触。時速192km、29度の角度で3段構造のバリアに衝突したグロージャンのマシンは、2段のバリアを突き破った。 ヘイローが装着されていたことで、ロマン・グロージャンの頭部は最上段のバリアに接触することを免れた。だが、エアボックスが最上段のバリアに引っかかり、67Gの衝撃が加わったマシンは真っ二つに分断。エンジンと燃料タンクを接続する安全ブラダーが引き裂かれて、燃料に引火。マシンは炎に包まれた。それはわずか1秒の間で起こった。 ロマン・グロージャンは車から脱出しようとしたときに左足が動かなくなったが、レーシングブーツ、ヘッドレスト、ハンドルを外した後、残骸から解放された。 ロマン・グロージャンは27秒後にようやく燃えているマシンから逃げることができ、両手の後ろ側の火傷を除いて無傷で現れた。病院で3日間過ごした後、彼は2020年12月
FIA F2ベルギーラウンドレース1で大クラッシュを喫したアントワーヌ・ユベールが亡くなった。享年22歳だった。 アクシデントは2周目に発生した。オールージュを登った先のラディオンで、ユベールはジュリアーノ・アレジ(トライデント)と接触し、バリアに衝突。その後反動で跳ね返ったユベールのマシンに、ファン-マヌエル・コレア(ザウバー/チャロウズ)がハイスピードで激突し、両マシンは大破した。 特にユベールのマシンは原型をとどめないほどに破壊されてしまっており、その安否が心配されていたが、FIAの公式声明によって、ユベールが亡くなったことが明らかにされた。 ユベールは昨年にGP3王者を獲得し、今年からF2に参戦。将来を渇望されていたが、22歳という若さでこの世を去ることになってしまった。 心より、哀悼の意を表します。
フェルスタッペンはポルトガルGPのFP2でストロールと接触した際、『retard』や『mongol』といった言葉でストロールを罵った。『retard』は知的障害者などを揶揄する言葉であり、『mongol』も“モンゴル人”という意味の他に、かつてはダウン症患者を揶揄するような意味でも使われていた単語であったため、フェルスタッペンは各方面から激しく非難され、慈善団体の『モンゴル・アイデンティティ』が公式に謝罪を求める事態にまで発展した。 Read Also: モンゴル国連大使、フェルスタッペンのポルトガルGPの際の発言に”遺憾の意” フェルスタッペンはその後、「誰かの気分を害する意図はなかった」と釈明したが、モンゴルの国連大使であるルンデグ・プレブスレンはFIAに書面を送り、フェルスタッペンの人種差別的で軽蔑的な言葉遣いに関してより厳しいスタンスを取るよう求めた。 来たる1月24日(日)は『教
あまり知られていないが、今年2020年は、エイドリアン・ニューウェイがレースの世界で働くようになりちょうど40年という節目の年である。大学を卒業した1980年、若きニューウェイはF1チーム『フィッティパルディ』に加入。ここからF1通算150を超える勝ち星を手にする偉大なレーシングカーデザイナーの第一歩が始まった。 これまでメディアの取材を嫌い続けた彼が、自らのキャリアを振り返る自叙伝『HOW TO BUILD A CAR』を発表したのが2017年のこと。日本でも今年ついに全訳版が発売となり、世界規模で注目を集めている。 “1冊=1車種”で歴代F1カーを特集するGP Car Storyでは、1年に1度だけ異なるテーマを扱う“スペシャルエディション”を刊行。ドライバー、チーム、レース、これまで扱ってきたテーマは多岐に渡るが、今年はこのニューウェイの自叙伝を保管する意味で、『ニューウェイ本の副読
自動車レースの最高峰F1に、神奈川県出身の20歳、角田裕毅選手が来シーズンから参戦することが決まりました。日本からF1ドライバーが誕生するのは7年ぶりです。 角田裕毅選手は神奈川県出身の20歳で、4歳からレーシングカートでレースを始めました。 16歳から本格的な自動車レースに参戦し、自動車メーカーのホンダの支援を受けて去年から活動の中心をヨーロッパに移しました。 ことしはF1の下部カテゴリーのF2に参戦して3回優勝するなど、好成績をあげてF1参戦に必要な資格を得ました。 これを受けて、F1チームの「スクーデリア・アルファタウリ」は16日、角田選手が来シーズンからF1に参戦することが決まったと発表しました。 日本選手がF1のシーズンに参戦するのは、2014年まで走った小林可夢偉選手以来、7年ぶりです。 角田選手は「多くのドライバーと同じくF1に参戦することは私の目標だったので、とてもうれしく
2020年10月9日(金)~11日(日)に、鈴鹿サーキットで開催予定でありました「2020 FIA F1世界選手権シリーズ ピレリ 日本グランプリレース」につきまして、本年度の開催を中止することを決定いたしました。 国内外における新型コロナウイルスの感染拡大状況や各地域での防止対策などを踏まえ、慎重に検討を重ねて参りましたが、現段階で海外からの渡航に関する規制解除の見通しが立っていない社会状況および国際的に大規模な移動を伴うイベントの特性を鑑み、開催中止を判断いたしました。 楽しみにされていたファンの皆様および関係者の皆様におかれましては、ご理解くださいますようお願いいたします。 株式会社モビリティランド 代表取締役社長 田中薫 「F1日本グランプリについて、開催を目指して準備を進めておりましたが、国内外における今後の状況変化や、渡航規制の解除が見通せない状況のなか、安心・安全な環境で開催
2019年のF1第9戦、オーストリアGPで、Hondaは2015年のF1復帰以降初優勝を飾りました。広報担当のスズキが、今回の勝利を振り返ります。 ―ついにやりました!復帰後の初勝利みなさん、お久しぶりです。2回目の登場となるHonda F1広報のスズキです。 いきなりですが、Honda F1復帰後初勝利という記念の回に、このコラムに一体だれの言葉を載せたらいいものか、非常に悩みました。田辺テクニカルディレクター、HRD-Sakuraの浅木センター長、山本マネージングディレクター、チーフエンジニアのジョージさんや本橋さん、それに担当エンジニアやメカニック、Sakuraとミルトン・キーンズのファクトリーで懸命に開発を続けるエンジニアなどなど。皆さんに声を届けたい人たちの姿が、ぐるぐるぐるぐると巡りました。そして、それならいっそ僕自身の言葉で語ってみようと。そんな風に考えた次第です。 「こんな
���AzUNews Formula 1, FIA and AGPC announce cancellation of the 2020 Australian Grand Prix This weekend’s season-opening Australian Grand Prix in Melbourne has been cancelled. The news follows McLaren’s withdrawal from the race on Thursday, after one of their team members tested positive for the coronavirus. A statement issued jointly by F1, governing body the FIA and the Australian Grand Prix Cor
11月27日午前、『ホンダレーシングサンクスデー2022』が開催中のモビリティリゾートもてぎで、2022年シーズンのF1世界選手権を戦ったスクーデリア・アルファタウリのピエール・ガスリーと角田裕毅が登壇する取材会が行われた。 2023年はアルピーヌF1へ移籍するガスリーは、長きにわたりレースキャリアをともにしたホンダ/HRCへ向けた感謝、「兄弟のように」接したチームメイト角田への想いを語るとともに、日本でのスーパーフォーミュラ参戦の際の思い出。そして日本のファンへ向け感謝のメッセージを述べた。 まず、「アルファタウリで2022年シーズンを戦ってきたけど、今回のイベントがアルファタウリでの最後の走りになるから、非常にエキサイティングで楽しみにしているよ」と語り始めたガスリー。続けて、2022年シーズンを振り返った。
2019年F1ドイツGP決勝で、レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンは今季2勝目を挙げ、ピエール・ガスリーはリタイア(14位完走扱い)に終わった。トロロッソ・ホンダのダニール・クビアトは3位表彰台を獲得、アレクサンダー・アルボンは6位だった。 難コンディションの下、順位が目まぐるしく変わり、リタイアが相次いだレースで、フェルスタッペンは第9戦オーストリアに続く2019年2勝目を達成。クビアトは復帰後初、自身3回目の表彰台を獲得した。ホンダのパワーユニット(PU/エンジン)搭載車4台のうち3台が入賞、ホンダにとってダブル表彰台は1992年以来のこと。トロロッソの表彰台は2008年イタリアGPでセバスチャン・ベッテルが優勝して以来のことだった。
Motorsport.com's Prime content The best content from Motorsport.com Prime, our subscription service. <a href="https://www.motorsport.com/prime/">Subscribe here</a> to get access to all the features. この新レギュレーションでは、現在では一般的である”ハイノーズ”スタイルが封じられることになり、ウイングがノーズに直接取り付けられる。その結果、1980〜90年代前半頃のF1マシンの姿を彷彿させる部分もある。 また空力デザインの専門家にとっては、マシンの中心部を”開ける”ことによって、ダウンフォースを確保することができないということを意味する。 ハイノーズのマシンは、1990年の第3戦サンマリノGPで
佐藤琢磨は、43歳でインディ500の2度目の制覇を達成。レース後の記者会見で「夢の中で生きている」と語った。 佐藤琢磨は、8月23日(日)に開催された『第104回 インディ500』でスコット・ディクソンとの接戦を制し、2017年以来となる2度目のインディ500での優勝を達成。インディ500で複数回優勝した史上20人目のドライバーとなった。 2002年から2008年までジョーダン、BARホンダ、スーパーアグリでF1で90戦を戦った佐藤琢磨は、2008年途中にスーパーアグリの撤退とともにシートを失った後、プロのレースキャリアは終わったと考えていた。 しかし、2010年からインディカーに戦いの場を移した佐藤琢磨は、11回のインディ500に参戦。2017年の初勝利に続き、2回目の勝利を挙げた。インディカーで通算6勝のうち2回がインディ500での優勝という勝負強さだ。 「40歳でまだ運転していていま
2019年6月、自動車のF1オーストリアGPで優勝したレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン(ゲッティ=共同) ガソリン車の最高峰を競うF1シリーズにパワーユニット(PU)供給で参戦しているホンダが、2021年シーズンを最後に撤退することを決めた。これまでも撤退や再参戦を繰り返してきたが、八郷隆弘社長は「再参戦は考えていない」と明言した。二酸化炭素(CO2)排出削減など世界的な環境規制の強化やクルマの電動化に対応するため、創業者・本田宗一郎氏の夢であり、巨額の費用を投じてきたF1と決別する。 「大きくかじを切り、新たなPUとエネルギーの研究開発に経営資源を集中する」 2日のオンライン会見で八郷社長はこう述べ、電気自動車(EV)やハイブリッド車(HV)などの電動車の販売比率を上げ、50年に企業活動で出るCO2を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」の実現を目指す考えを示した。 世界的
モータースポーツにおいて、ドライバーがマシンを操舵するステアリングホイールは極めて重要なパーツであると言える。このステアリングホイールは技術の進歩と共に、目覚ましい進化を遂げてきた。各チームはより快適なもの、より良い機能が備わったものを開発し、ライバルよりも少しでも優位に立とうとしたのだ。 ステアリングホイールに関する最初の変化は人間工学に基づくもので、ドライバーがより快適に操舵できることを目指したものだった。しかしながらそのカスタマイズのレベルは時代と共に劇的に変化し、現在ではほぼ全てのドライバーがステアリングホイールに独自の特徴を取り入れている。 ■セナとマンセル、対照的なドライビングスタイルが対照的なステアリングを生み出した Steering wheel Mansell, Prost, Patrese, Senna, Berger Photo by: Giorgio Piola F1
みなさまごきげんよう。 フェルディナント・ヤマグチでございます。 今週も明るく楽しくヨタ話からまいりましょう。 と、その前にちょっと宣伝を。 先週号でマイトのY氏がお知らせした通り、10月2日(水)にホンダF1のパワーユニット(PU)開発責任者である浅木泰昭さん、おなじみホンダ F1マネージングディレクターの山本雅史さんをお招きして、ビジネスセミナー「ホンダF1エンジン開発陣に学ぶ 『折れないチーム』のつくり方」を開催します。 ご愛読の皆様、お待たせいたしました。日経ビジネス電子版がお送りするフェルさんの読者イベント特別企画、ようやく公開の運びとなりました。 昨年来、ホンダF1の現場に密着してきたフェルさんが連載でご紹介してきたチームの苦闘と栄光、そのキーマンである、ホンダ F1マネージングディレクター 山本雅史氏と、ホンダ F1 HRD Sakuraセンター長 / ホンダF1 PU 開発
こんにちは。じょりぱです。 銀粘土ってご存知でしょうか? まぁまぁお手頃な値段で自分だけの純銀アクセサリーが作れちゃうスーパー粘土です。銀粘土と呼ばれる粘土で好きな形を作り、自宅のコンロで焼いて磨くとキレイな銀がでてくるというとても面白いもので趣味にオススメです。焼成後の銀の純度は驚きの99.96%! 細かい銀粒子が粘土状の結合剤の中に浮いているような状態で、火により結合剤が飛んでいき純銀が残るような仕組みです。考えた人まさに天才! コロナがなかなか収まらず閉塞感がある世の中ではありますが、ある意味自分磨きに時間をかけられるまたとないチャンスでもあります。STAY HOME中に銀職人になっちゃいましょう! 私も学生時代から定期的にオリジナルな指輪など作ってはいるのですが、この度なんともマニアなものを大量に作ってしまいました。 これです! なんのモチーフかわかりますか? ん?わからないって?
アストンマーティン・アラムコ・コグニザントF1チームは、7月28日、セバスチャン・ベッテルが2022年末でF1から引退することを発表した。2007年からF1で活動しているベッテルは、現在35歳、ここまで4度のF1タイトルを獲得し、今年の最終戦アブダビGPで300戦目を迎える。優勝回数は53回で、ルイス・ハミルトン、ミハエル・シューマッハーに次ぐ歴代3位という、偉大なるキャリアの持ち主だ。 2007年第7戦アメリカGPでにBMWザウバーからデビュー、第11戦からトロロッソに移り、2008年イタリアGPでは同チームで初優勝を挙げた。2009年にレッドブルに昇格、2010年から2013年までダブルタイトル獲得を達成した後、2015年にフェラーリに移籍。しかし憧れのフェラーリではチャンピオンになることはできず、ランキング2位を2回獲得した後に、2021年に現在のアストンマーティンに加入した。
3度のF1世界チャンピオンであるアイルトン・セナの象徴的なホンダNSXが売りに出されており、英国のオーナーは希望価格を50万ポンド(約9750万円)に設定している。 この車は、セナが所有していた3台のホンダ・NSXのうちの1台で、赤いNSXはセナがポルトガルの自宅に保管していた1台である。 この車は1991年に初めて登録され、以来39,100マイル(62,925km)を走行している。 セナの赤いホンダ・NSXはポルトガルで何度か撮影されたことで有名になり、1992年のドキュメンタリー映画『Racing is in my Blood』にも登場した。 セナは1994年のサンマリノGPで悲劇的に命を落としたが、5月1日にその30周年が近づいている。 セナの死後、この車は現在のイギリス人オーナー、ロバート・マッケイガンが2013年に購入するまでポルトガルに保管されていた。彼は現在、Auto Tra
ハースF1チームは、2020年第15戦バーレーンGP決勝オープニングラップで大クラッシュを喫したロマン・グロージャンの検査結果について発表、やけどはあるものの、骨折は見られないことを明らかにした。グロージャンは病院からメッセージを発信している。 バーレーンGPスタート直後、グロージャンはターン3の出口でコースオフ、バリアに激しく衝突した。マシンは真っ二つに割れて炎上、懸念される状況だったが、グロージャンは燃え盛る炎のなかから自力で脱出し、世界中の人々を安堵させた。グロージャンはサーキットで検査を受けた後、バーレーン国防軍病院に搬送され、レントゲン検査を受けた結果、当初心配された骨折は見られなかったということだ。
ホンダF1は、1983年にスピリットにエンジン供給するかたちで“第2期”をスタート。最終戦F1南アフリカGPでウィリアムズにエンジンを供給。1984年にホンダはスピリットを見限ってウィリアムズF1とパートナーを組み、第9戦F1アメリカGPで復帰後初勝利を挙げる。 1987年までのパートナーシップのなかで、ウィリアムズ・ホンダは1986年と1987年にコンストラクターズタイトル、1987年にネルソン・ピケのドライバーズタイトルを獲得した。 「フランク・ウィリアムズ氏ご逝去の報に接して、深い哀悼の意を表します」と山本雅史はホンダを代表して声明を発表。 「ウィリアムズ・レーシングとホンダは、フランク氏と本田宗一郎氏という、エンジニアリングに情熱を燃やし、勝つことにこだわった創業者によって成長を遂げ、1983年~1987年に5年間で多くの成功をともにしました」 「フランク氏は、一人の夢がチームを作
新型コロナウイルスの感染拡大により、2020年の開催を中止したF1日本GP。しかし今年も開催されないことが決定した。これで2年連続で日本でF1が開催されないということになる。 Read Also: 日本GPの開催断念を受け、F1も声明を発表。代替開催はどうなる? モビリティランドは今回の決断に至った理由について「F1日本グランプリを開催するために設定された期日までに、F1海外関係者の日本入国が確実な状況に至らなかった」とリリースの中で説明している。 新型コロナウイルスの感染がまだ収まっていない状況ではあるものの、モビリティランドやFOMなど、関係各所がF1日本GPの開催に向けて尽力してきた。そして開催可否については、ギリギリまで判断が先送りされたものの、この段階で中止が決定された。これ以上判断が遅れれば、F1開催に必要不可欠な機材のロジスティクスに影響が及んでしまうのは避けられないというこ
マックス・フェルスタッペンとホンダF1のエンジンはイギリスGPでの51Gのクラッシュを乗り越えたが、RB16Bが大破したことで約75万ユーロ(約9700万円)の損害を被ることになった。 マックス・フェルスタッペンは、F1イギリスGPのオープニングラップのコプスでルイス・ハミルトンと接触。高速でタイヤバリアにクラッシュし、その衝撃は51Gに及んだ。 ホンダF1はエンジンを救うことができると考えており、マックス・フェルスタッペン自身も幸いにも打撲傷と首の痛みで済んだ。 しかし、シャシーは大破。レッドブルF1のモータースポーツアドバイザーを務めるヘルムート・マルコは、被害額を約75万ユーロ(約9700万円)と見積もった。これはレッドブルF1が新しいRB16Bを組むために費やす金額であり、予算上限が設けられていることで、今年のマシン開発や来年のマシンに影響を与える 「現状では、エンジンの状況はまだ
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