なぜ「南京虐殺」が今も問題になるのか 1945年8月――。日本が15年におよぶ戦争を終えてから69年目の夏を迎えた。310万人の日本人が犠牲となった先の大戦。東京大空襲や2度の原爆投下などで一般市民も100万人が泉下の人となった。 日本人は「被害者」としての側面もある半面、アジア太平洋地域では「加害者」としての側面を持つ戦争だった。 その中の1つに、1937年(昭和12年)、当時の中華民国の首都であった南京が陥落し、日本軍が入城する前後に行われた虐殺事件がある。 一般には「南京大虐殺」あるいは「南京事件」と称されるもので、中国側の数字では被害者30万人、中立的な日本人の学者などが4~5万人の説を唱える。数字にばらつきがあるのは、戦時下の混乱の中で、正確な実態把握が難しかったためだ。また日本軍は多くの戦争資料を燃やしており、その中にあったと思われる証拠も失われていることによる。 中国側は南京
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