ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く食欲そそられますね 下足はミンチにし…
主に、上場会社の経営幹部クラス、もしくは重要プロジェクトのキーパーソンクラスのリーダーorディシジョンメーカーに、「この人無能だな」と思われる人の特徴を以下の記事がまとめてくださっていました。 頭が良いフリをする方法 1.外向的 →とにかくたくさん話す。必殺「質より量」である。(略) 2.批判的 →相手を個人的に批判すると角が立つが、相手の会社や事業を批判するのは有効。(略) 3.自分の得意な分野について語る →これは、まぁ当然といえば当然だが、いかなる話も自分の得意な分野に引き寄せて語る、という話術が必要なのだな。 具体的に言うと、無能な人は、以下の3つの特徴を持っています。 (1)発言の濃度が低い (2)批判するときの対案がしょぼい (3)自分の得意分野を外へつなげられない 以下、これら3点について、説明します。 (1)発言の濃度が低い 上位のディシジョンメーカーは、発言の生産性にとて
愚痴や不満を述べたりネガティブに悩んだり投げ出したりする人を見るとすかさず人のせいにしている。甘えてる。見下している。という事にしたがる人はたぶんその気になれば人にせいにできる立場にいるけど人のせいにしないその気になれば甘える事のできる相手が居るけど甘えないその気になれば見下せる人達もいるけど見下さないという事なのだろうと思う。勝手な想像だけど。それで、その人が若くて愚かだった頃には、うまく行かないのを他人のせいにして不貞腐れたり、周りに甘えたり、根拠も無く他人を見下した事もあったけれど、でもそれらは自分にとってプラスにはならないと学んで乗り越えて成長してきたから今の素晴らしい自分があるし、それが自信の源にもなっていると。これも勝手な想像だけど。たから、膝を抱えてうずくまっていたり、同じ場所をグルグルしている人を見掛けると、過去の自分を見たような気分になるんじゃないだろうか。そして「あー、
何千年も前の遺跡から「最近の若者は……」と書かれた出土品が出てきた、という話をご存じの方は多いと思います。でも、これって本当の話なんでしょうか? 今日は、「最近の若者」のルーツを追っかけながら、ネット社会と統一されない自己について考えます。 人の話す言葉のどれが正しいとするかは、なかなかむずかしいことです。それはどこに基準点をおくか、いつの時代、どこの言葉を基準とするかによります。どれが正しいかというところに踏みこむと、保守的な態度の人、新しいことを好む人、いろいろあって、その人の人生や世界に対する考え方が言葉の選択の上に出てきます。今から何千年も昔の楔(くさび)形文字を解読したところ、「このごろの若者の言葉づかいが悪くて困る」とあったそうです。言葉は人間の行為だから、保守的、革新的という相違があるのは当然です。 大野晋『日本語練習帳』より 日本語ブームの種火となった『日本語練習帳』です。
思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
「リンクはトップページへ」という主張をしているサイトとその周辺での騒動について。 異なるふたつの文化 「許可制リンク」「無断リンク」「ディープリンク禁止」といった主張を「礼儀」「常識」とするひとたちは、SBM界隈ではあきらかに「異文化圏」のひとたちです。 参考→ソーシャルブックマークにクリップされるディープリンクの割合を調べた - SiroKuro Page こちらにも書きましたが、これは ネットの公益のためにリンクは原則フリーであるべき(自由リンク主義) リンクは個々のサイト管理人の許可を得るのが礼儀(許可制リンク主義) というふたつの異なった「常識」を掲げる文化圏によって摩擦が起きている、と捉えるべき。 ちょっと手を抜いて引用しますが、 問題は個別の文化圏というものを認めるかどうかで、自分固有文化圏の主張を否定するのも、ネット公共文化圏を否定するのも、わりと大差ない。どっちもどっち。だ
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
SNS 内に「足跡帳」とかを作る→でも足跡ついてるのに足跡帳に記帳してないひとが居る→「ちゃんと足跡帳に書いてください。常識でしょ」→「そんな常識は NEEEE」 SNS 内に日記を書く→日記を見に来るけどコメントをつけない(またはコメントつけたのにレスを返さない)→「見たならコメント(レス)書いてください。常識でしょ」→「そんな常識は NEEEE」 この類のローカルルール派とローカルルール食糞派による SNS 内人間関係トラブル(というか、トラブルのように爆発→収束せず、じわじわギスギスが続いて風化するような場面が多い)をわりと見かける気がするので整理。 基本的な考え方 「足跡帳を置く自由」は保障されてよい。ので、「足跡帳」的な慣習は排除されるべきでないし、排除を助長するような言論も蔓延すべきでない。 「足跡帳に記帳しない自由」は保障されてよい。ので、「足跡帳に記帳しない」的な行動は排除
平田(仮名)さんは誰とでも仲良くなる。 掃除のおばさんと飲みに行く。勤務時間中に会社の近くの喫茶店で店番をしている。海外旅行に行けば現地ガイドの家に行ってごはんを食べる。仲良くなりかたが普通ではないのだ。 一時期平田さんとはいっしょに働いていた。そのときはそんな人もいるのかと思っていたが、平田さんと会わなくなって2年、そんな人に出会わない。 やっぱりあの人は特殊なんではないか。そう思って、ふつうの人なんだけどインタビューをしてきました。(林 雄司) ---どうしたら掃除のおばさんと飲みに行くことになるんでしょうか。 最初は、ビルの喫煙コーナーで一緒になって。仕事たいへんですか?とかそんな話をしました。仕事の愚痴を聞いたりして。 で、僕がジャズを聞くって言ったら知り合いがジャズの店をやってるのでいこうって誘われて。 ---ジャズの店に行ったんですか? ええ、高い店でした。 喫煙コーナーで話を
「なんでむかつくの?」て聞かれたので考えてみる。 「こんな事されたら私どうしたらいいかわかんないじゃないですか…!」 「…何でいるんですか…何で…」 →荻上さんはたまたま笹原が好きだったかもしれませんが、多くの場合、 「私はあなたを普通の友達と思っていて、サークルの和を乱すのもいやなので、それなりに愛想よくしていますが、それ以上の関係になる気は全くないです。その親切を享受して脈があると思われるのも面倒なので、このあたりで線引きしたいんですが、穏やかな言い方でわかってもらえないでしょうか。また、私はいま具合が悪いので、あまり親しくない人に傍にいられるのが単純にプレッシャーでほんと迷惑です」 という感じで言われるせりふです。 「何でってそりゃもちろん…荻上さんが好きだっていう…下心みたいな?」 →理由なんか聞いてねえよ。出てけって言ってるの。 多くの場合、穏やかな言葉に込めた否
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対談の中で、鈴木謙介氏が、電子コミュニケーションが現実に近いようなビデオチャットのようなことが技術的にはできるようになったのにテキストでコミュニケーションをしたがることを指摘、言葉を深読みすることによって、気を遣ったりしなければならず、コミュニケーションから抜けられないという。それに対して斉藤環氏が、 それは2ちゃんもそうだし、ブログもそういうところがある。携帯のメールなんてまさにそうです。結局つながりたい欲求が最初にあって、ぼくの言葉でいえば、毛づくろい的コミュニケーションですね。ぼくの考える「コミュニケーションの達人」とは、内容のない話をいつまでも続けられる人です。話題がなくてもだらだらしゃべってるのはかなりコミュニケーション当事者にとっては心地よい。実際、若い患者のメールを見せてもらうと、本当に一行か二行しか書いてない。大事なことは来た瞬間に返しているかどうかとか、形式的な部分です。
2024 . 02 « 12345678910111213141516171819202122232425262728293031» 2024 . 04 information 平凡助教授 「平凡助教授」(平成香川大学図書館) は,高松に実在する大学に所属する教員 (専門は社会選択とゲーム理論) を始めとする典型的な大学教員をモデルにした人物である. こちらは関係すると思われる人物が発信する情報.過去のエントリーや各エントリーのタイトルは「theorist2のはてなハイク」をクリックすれば見れる): この作品 (ブログ) はフィクションであり,実在の人物・団体・出来事とは関係ないことがある. 月1,2 回ていどの更新を予定.更新情報を得るには,RSSリーダー (あるいは同等機能がついたブラウザ) を薦める.カテゴリー別,あるいはコメント・トラックバックの更新情報も得られる. リンク歓迎.記
「愛想笑いしかしない」ではなく「愛想笑いしか出来ない」 愛想笑いしか出来ない人や、お互いに傷つかないような情報量皆無のやりとりに終始する人というのは、他者に影響を与える事が難しい。彼らは確かに悪影響をもたらさないかもしれないが、魅力的な何かをプレゼントすることもない(参考:シロクマの屑籠)。「ただ無害であること」を示して排除されないよう終始するだけの彼らを、弱者として交際リストから除外するのは実にたやすい。弱っちょろくて空気そのものみたいなどうでもいい存在で、わざわざ骨を折って時間をかけて話し合いたいという魅力を探すのが困難な対象。確かに、そんな奴と長時間毛づくろいをしたって、何の刺激もありやしないし、経験値効率(?)もよろしくない。空気人間じゃない人間と交際できるんだったら、そっちに移ったほうがよっぽど色々経験できる。 しかし、親密になりたいと思う魅力が皆無な彼らなんだけど、彼らにはそれ
①なぜ「人間」は笑うのか 恐怖は個人的、笑いは集団的 恐怖と笑いは、同じ体験です。その違いは、いわば恐怖が個人的なものであるのに対して、笑いは集団的なものである、ということです。笑いはかならず他者への「同意」としてある、と思います。恐怖は集団戦でも個人として体験する。笑いは回りに誰もいなくても、「集団」として体験する。ということです。ポイントは「他者への同意」です。さらにいえば、笑いはアイロニーです。直接、体験するのではなく、体験を他者の目でみなおすというところに現れます。 フロイトの機知論は言語論でもあるのは、笑いは恐怖のような(個人的)身体的な体験でなく、人間のみがもつ高等な社会性を円滑に運営するためのもの、「言語」を解した、社会性(象徴界)として体験だからです。だから笑いはある集団への帰属していないと、笑えないということがが多々あります。ボクも少し前、アンガールズの何が面白いのかわか
ぴかぁ〜 恐怖と笑いは、同じ体験です。その違いは、いわば恐怖が個人的なものであるのに対して、笑いは集団的なものである、ということです。笑いはかならず他者への「同意」としてある、と思います。 考える名無しさん 恐怖と笑いは親和しいが、戦争は集団ですが、集団戦でも怖いようです。それとも、何かが無いにしても、集団を和やかにしたい現われである。集団戦でも、笑っていると、何かが無いので、狂気である。例えば、集団の立場が悪くなるので、怒ってみせたり、笑ってみせたりします。これは誰でも判っているけど、咎めもしないし、褒めもしないのです。 ぴかぁ〜 恐怖は集団戦でも個人として体験する。笑いは回りに誰もいなくても、「集団」として体験する。ということです。ポイントは「他者への同意」です。さらにいえば、笑いはアイロニーです。直接、体験するのではなく、体験を他者の目でみなおすというところに現れます。 ぴかぁ〜 フ
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