1600人以上の犠牲者を出し、シベリア抑留よりも高い死亡率だったという、終戦直後にモンゴルでおきた日本人の抑留。その歴史はあまり知られていません。 抑留中に両足を失い、帰国後も戦友たちの慰霊のため、モンゴルに40回以上通い続けた男性がいます。男性が94歳で臨んだ「最後」の慰霊の旅にモンゴル出身のディレクターが同行し、抑留の知られざる記憶をたどりました。 (取材・中京テレビ報道局 O.ホンゴルズル) 1945年8月8日。第二次世界大戦が終わる直前になってソ連が突然、日本に宣戦布告、日本が事実上の植民地としていた、満州に侵攻。8月10日にはモンゴルも参戦。そして日本は、戦争に負けました。 するとソ連の指導者・スターリンは、大陸で終戦を迎えた日本兵をソ連に移し強制労働をさせる命令を下しました。これにより、満州や樺太などにいた約60万人の日本兵や一部の民間人がシベリアなどに抑留され、6万人が死亡。
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