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ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (39)

  • 「みなし再入国」制度は詐欺の手口だ(追記しました)。 - hituziのブログじゃがー

    で生活している外国籍の人が日から出国するとき、「再入国許可」を とらないと、それまでの在留資格をうしなってしまうという問題があります。そして、その再入国許可というのは、お金をはらって、地元の地方入管(住居地を管轄する地方入国管理官署)で申請をとる必要があるという問題がありました(参考:法務省:再入国許可申請)。 2012年の改訂入管法で法務省は「みなし再入国」制度をはじめました。法務省は「便利になりました!」とアピールしていました。 法務省は、朝鮮籍の人は法務省が「有効」とみなすパスポートを もっていないといって、この みなし再入国制度を 利用させていません。この問題は、よく しられています。 今回 紹介するのは、みなし再入国制度の もうひとつの問題です。いまになって紹介するのは、わたしの不勉強によるものです。反省します。 金朋央(きむ・ぷんあん)「特別永住者にとっての新在留管理制度

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    sarutora 2013/04/28
  • 「障がい」表記について。 - hituziのブログじゃがー

    去年、たくさんの ひとたちと共同論文を かいた。まだ査読まちなので、論文として掲載されるかどうか きまっていない。なので、共同で原稿を かいたというのが正確。そのとき、障害の表記を「障がい」にしたいという意見が複数でた。それについて反対意見もでた。わたしは、どっちでも いいと おもったし、そのように発言したけれど、「なぜ「障がい」にするのか、納得のいく説明をしてほしい、そうでなければ「障害」で」ということを あとで つけくわえた。 「障がい」にするなら するとして、気になることがある。たとえば、わたしは この数年、「図書館利用に障害のある人々へのサービス」というものを 紹介しつづけている。これは、障害者に対するサービスに限定されるものではない。図書館の利用に なんらかの困難がある場合、それは、図書館側が もうけてしまっている障害であり、それを解消する責任が 図書館には あるという視点に た

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    sarutora 2013/01/16
    点字を 触読できるほどの感覚も なければ、手話の音韻を 視認できるほどの視覚も言語的知識も ないのに、「わたしには障害がない」と おもっている。これはたんに、権力関係を 反映しているだけ
  • 国籍差別/民族差別を なくすための読書案内。 - hituziのブログじゃがー

    わたしが問題にしたいのは、「「日人(ヤマト人/和人)」であること」ではない。問題は、属性にあるのではない。どのように行動するのかが とわれるべきだ。 日社会において「民族的な多数派」に「属しているだけ」で批判されるべきではない。だが、この社会に民族差別を のこしているなら、その制度を なおさないといけない。差別制度によって、自分が結果的に得をしているなら、なにを しているわけでもなくても、差別制度に よいしょされた生活をしている。差別を 再生産していると いっても いい。その状況で、「わたしは なにを するのか」ということ。どのように ふるまうのか、ということ。 たとえば天皇制は、戸籍制度とセットになって日社会で生活している ひとたちを しばっている。『非婚の親と婚外子』というで問題にされているのは、婚外子への制度上の差別だ。 戸籍制度は、性別二元論と異性愛主義によって性的少数派を

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    sarutora 2011/11/23
  • 公平とは なにか。 - hituziのブログじゃがー

    「こういう ひとたちが いて、一方で こういう ひとたちも いる。どちらも尊重しよう!」というとき、その関係が どうなっているのかを ちゃんと確認するようにしたい。片方が圧倒的に多数派で、権力的であるなら、「どちらも尊重しよう!」なんてのは そもそも公平ではない。 非対称な関係にあるという現実から出発して、いかにして平等な関係を きずいていくのか。どのように むきあい、対話していくのか。そういうプロセスを すっとばして、ただ「どちらも大事」とだけ主張するのは、なにも いっていないのと おなじだ。 「こうすることも、ああすることも排除につながる。」 それは ただしい。 しかし、それならば、「わたしは どちらを えらぶのか」ということじゃないか。どちらの側に たつのかという主体的な選択じゃないか。えらべないなんてことはない。わたしたちは、現に えらんでいる。 はっきりと意見を 表明することを

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    sarutora 2011/07/10
  • 原発の立地(「事故が おきたら賠償が たいへんだから」)。 - hituziのブログじゃがー

    武田徹(たけだ・とおる)『「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ』中公文庫(追記:このは『私たちはこうして「原発大国」を選んだ―増補版「核」論』中公新書ラクレとして復刊されました。) いっきに よんだ。参考になった。印象的だった部分は たくさんある。たくさん ありすぎるので、あまり要約したくない。ぜひ よんでみてください。 「1947年論 電源三法交付金―過疎と過密と原発と」(130-152ページ) この章で、武田は1961年の「原子力損害賠償法」の成立について紹介している。この法律をつくるとき、参考にしたのがアメリカの「プライス・アンダーソン法」(原発事故による賠償方法をさだめる法律)だったという。 原発事故による被害が あまりにも ひどい場合には、国が賠償するという、そういう きまりですね。 武田は、1964年に原子力委員会が つくった「原子炉立地審査指針及びその適用に関する判断のめ

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    sarutora 2011/04/15
    「余地がほとんど無い」? ほとんどなんかじゃない。事故が おきたら賠償が たいへんだから、都市部には、絶対に、原発は建設しないのだ。それが日本の方針なのだ。
  • 『ヘルプマン!』ってマンガが おもしろい! - hituziのブログじゃがー

    京都市にひと・まち交流館 京都という公共施設があります。その会議室で ドキュメンタリー映画の上映会を よく やっています。地下1階には図書室があります。いってみると、老人介護のがたくさんあります。なぜ?と おもってみたら、4階が「長寿すこやかセンター」で、5階が短期入所施設(ショートステイ)なのです。なるほど。 そういうことで、いろいろがあるので「これは!!!」と よろこんで利用しています。おもしろそうなが たくさん あります。けど、集中力が つづかない! 活字なんて よめないわ! ということで、こまった! だけど、あらまあマンガがあるじゃない。 『ヘルプマン』。 どんな題だよ。ヘルプに マンって。「なんとか マン」とか いって しっくりくる名前は「おっかまん」だけでしょ!!! バーおっかまんブログ バーおっかまん (BarOccaMan) ツイッター いやあでもねえ、『ヘルプマン

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    sarutora 2011/02/21
  • 狩猟民族じゃねえ、狩猟採集民じゃい。 - hituziのブログじゃがー

    田重道(ほんだ・しげみち)『なぜ、私の歳をきくの? 年齢不問社会の提言』飛鳥新社 うえのを よんでいたら、くだらないことが かいてあったので批判します。 田は、「年齢」という かんがえかたの起源について想像を めぐらせ、つぎのように かいている。 原始の狩猟時代とは言え、ヒトは集団生活をしていたし、その最小単位の「家族」はすでにあったはずだ。例えば、であり母である彼女は、洞窟の中で狩りから戻る夫を待ち続けていたであろう。 (23ページ) このあと「獲物を手にした夫を待ちわびる、洞窟の女」という表現も でてきます。どんだけ受身なんだよっていう。 「狩猟採集民」っていう用語があります。文化人類学のの題名にもありますね。 今村薫(いまむら・かおる)『砂漠に生きる女たち―カラハリ狩猟採集民の日常と儀礼』どうぶつ社 亀井伸孝(かめい・のぶたか)『森の小さな〈ハンター〉たち―狩猟採集民の子ど

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    sarutora 2010/11/24
    >箱の なかみが わからないとき、その箱に つけられた名前から なかみを 想像する。ありがちだ。やってしまいがちだ。
  • たすけない。孤立させる。そんなテストは もう いらない。 - hituziのブログじゃがー

    テストは なぜ、ひとりで こたえないといけないのか。たすけあっては いけないのか。わからないところを おしえてもらっては いけないのか。「カンニングは いけない」とか、うるせえ! わからないとき、わからないと いう。おしえてほしいことを、おしえてくださいと いう。それって だいじなことでしょう? まちがっているかもしれないと不安になり、確認したいというとき、ちょっと だれかに きいてみる。そういうのって、だいじでしょう? ひとり。もくもくと。だまって。自分のちからで。なんで そんなことばっかり。 自分で べんきょうして、それをテストして、これが わたしの点数。わたしのもの。ほんとうに そう? いっしょに べんきょうしたのに、テストするときは どうして個別テストなの。カンニングしたら点数おまけしてもらうくらいで いいじゃないか。だって がんばってるじゃないか。 協力しあって こたえを さがす

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    sarutora 2010/11/02
  • スラジュさんのことを かんがえるために(強制送還についてのリンク集)。 - hituziのブログじゃがー

    ガーナ人が強制送還の機中で「制止」されて「ぐったり」して「死亡が確認」された件についてガーナをふくむ世界のひとびとのコメント - ニートのあした ちょっと、それって・・・: ある男性の死 http://www.bochao.jp/article/13683529.html 強制送還中 ガーナ人男性死亡 詳細伝えず「捜査中」 「暴れて」手錠、タオル使用 不法残留のため成田空港から強制送還される途中だったガーナ人男性=当時(45)=が先月下旬、離陸前の航空機内で意識不明になり、搬送先の病院で死亡した。男性が暴れたため、取り押さえるために、タオルと手錠が使われたという。東京入国管理局側の対応や強制送還の決定に、問題はなかったのか。(篠ケ瀬祐司) ◇     ◇     ◇ 「謝罪も詳しい説明もなく、ただ、彼が死んだことだけ告げられた。東京入国管理局の対応には憤りを覚える」 亡くなったガーナ人、ア

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    sarutora 2010/08/18
  • わかちがきは、発明されたものだ。 - hituziのブログじゃがー

    I am a student. ああ、英語を かくのは いやなものです。「アイ アム ア ステューデント」。「わたし は 学生 です」。 ってことですね。言語音は、連続しているもので、アイとアムとアとステューデントの間に、音のきれめが くっきりあるわけではありません。けれども、文字で表記するときには、ことばの きれめにスペースを いれています。これを日語では「わかちがき(分かち書き)」と いいます。 世界の言語のなかで、この わかちがきを しない言語は日語と漢語(いわゆる中国語)ぐらいだと いわれています。もちろん、ほかにも いくつか あるはずですが、わかちがきを しない言語としては、日語と漢語が代表格です。 とはいえ、日語だって わかちがきされることも あります。小学校の教科書や日語点字では わかちがきを しています。語学書としての日語の入門書でも、よく わかちがき されてい

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    sarutora 2010/07/29
  • 『月刊イオ』2010年 5月号。特集「差別なき高校無償化を」。 - hituziのブログじゃがー

    『月刊イオ』2010年 5月号(特集「差別なき高校無償化を」)に、「民族教育を平等に」というエッセーを かきました。40-41ページ。 5月号も、いつもどおり充実した1冊にしあがっているので、ぜひ よんでみてください。 わたしの「民族教育を平等に」という文章は、『月刊イオ』が今年の1月号から連載をはじめた「ブロガーズ@イオ」というシリーズで、ともだちの ツネノさん(id:toled)さんや さるとらさん(id:sarutora)さんも かいています。片山貴夫(かたやま・たかお)さんや なごなぐ雑記さん(id:nagonagu)も。 わたしの「民族教育を平等に」は、このブログで かいてきた「多数派には名前がない」シリーズの問題意識を土台にしています。「学校のなかの問題」だけでなく、「学校のそとの問題」を 改善する必要があると論じました。 関連リンク: 月刊「イオ」★目次 月刊「イオ」★今月の

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    sarutora 2010/04/29
  • 民族についての基本文献。 - hituziのブログじゃがー

    民族について、あるいは国民国家論。 小坂井敏晶(こざかい・としあき)『民族という虚構』東京大学出版会 酒井直樹(さかい・なおき)『死産される日語・日人』新曜社 ましこ・ひでのり『日人という自画像』三元社 アンダーソン『定 想像の共同体』書籍工房早山 田中克彦(たなか・かつひこ)『ことばと国家』岩波新書 西川長夫(にしかわ・ながお)『増補 国境の越え方』平凡社ライブラリー 花崎皋平(はなさき・こうへい)『増補 アイデンティティと共生の哲学』平凡社ライブラリー スチュアート・ヘンリ『民族幻想論』解放出版社 エリクセン『エスニシティとナショナリズム』明石書店 アイデンティティについては、つぎの4冊を。 石川准(いしかわ・じゅん)『アイデンティティ・ゲーム―存在証明の社会学』新評論 石川准『人はなぜ認められたいのか―アイデンティティ依存の社会学』旬報社 上野千鶴子(うえの・ちづこ)編『脱ア

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    sarutora 2010/04/17
    >こちらが なぐった。だから あなたは抵抗する。あなたの その民族意識を「肯定する」は おかしい。その背景にある抑圧を解体すると いわなくてはいけない。
  • 無力感が 無責任に つながってしまう。 - hituziのブログじゃがー

    その社会の だれもが、自分は無力だ、社会を かえる ちからはないと感じてしまうなら民主主義の社会ではない。ダグラス・ラミスが いうとおり、「無力感を感じるなら、民主主義ではない」のだ(『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』第5章)。 無力だと おもっているなら、自分の責任など実感できるはずもない。自分に決定権や影響力が あることを 実感するからこそ、自分の やくわりや責任を 自覚するようになる。 「わたしは この社会を かたちづくっている一員なのだ」という感覚。そういう感覚が まず第一に必要。それが おのずと実感できるような社会にしないといけない。そうしていくなかで、自分の社会的位置を 確認し、構造的差別への「責任」を 実感できるようになる。行動できるようになる。 責任を ひきうける。 - hituziのブログじゃがー 要するに、「差別者として自覚する」とか、そういうことは

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    sarutora 2010/02/25
  • 2010年 2月11日「ニートはジャズ」ライブ。 - hituziのブログじゃがー

    ひさしぶりのライブです。みなさん大歓迎。ニートのあした1周年記念です。 「ニートはジャズ」ライブ(紀元節を ぶっとばせ スペシャル) バンド:ニートはジャズ じかん:2010年 2月11日 15時から(14時 開場) ばしょ:カフェ コモンズ(おおさか。たかつき) 出演者 さるとら(id:sarutora。キーボード、うた) やねごん(id:lever_building。ギター) ツネノ(id:toled。演説) あべ(id:hituzinosanpo。うた) ほか。 ライブを ウェブで生放送します(ユーストリーム:ニートのあした放送か、ジャスティンTV:ニートのあした放送の どちらかで配信。当日にニートのあしたで おしらせします)。 ライブの曲は、ライブのあとでウェブに公開します(mp3とユーチューブ)。 定番の曲も 新曲も やります。「わしら、スターダストや」、「ケーサツよ、ニートにな

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    sarutora 2010/02/03
  • 朝鮮人差別について。 - hituziのブログじゃがー

    三浦耕吉郎(みうら・こうきちろう)編『構造的差別のソシオグラフィ』世界思想社 「私たちがある種の関係性のなかにおかれると、個々人のなかの偏見や差別意識の有無とは無関係に、差別に荷担させられたり、差別を引き起こしてしまうことがある」(みうら「序章 〈構造的差別〉のソシオグラフィにむけて」3ページ) マイノリティについて - hituziのブログじゃがー マイノリティは、ただマイノリティなのではない。マジョリティ(多数派)との関係において、マイノリティであるのだ。 日国籍を 一方的に おしつけ、うばいとる。 さて、かんたんに歴史的事実から。在日コリアン弁護士協会 LAZAK編著『裁判の中の在日コリアン』現代人文社より。 1910年のいわゆる日韓併合によって、朝鮮は日の領土とされ、朝鮮人は一律に日国籍を取得しました。その後、日による朝鮮半島の植民地支配が行われていた間、日国籍を有し、日

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    sarutora 2010/01/20
  • 漢字は、まちがえるのが あたりまえ。 - hituziのブログじゃがー

    漢字の よみまちがいで ひとを ばかにする反動保守を ゆるさない。 - hituziのブログじゃがーの つづきです。 うえの文章と あわせて よんでください。 ともだちに『カナ ノ ヒカリ』2009ネン、ナツ ゴウ(944ゴウ)を もらった。 『カナ ノ ヒカリ』とはザイダン ホウジン カナモジカイの機関誌です。購読すると2部もらえるので、購読している ともだちに もらっています。 さて、つぎの文章を 紹介します。 フジワラ タダシ「首相の漢字力不足と文化審議会の認識不足」『カナ ノ ヒカリ』944ゴウ、2-3ページ フジワラは、麻生太郎(あそう・たろう)が「国会答弁などで 漢字の ヨミを たびたび まちがえたことが 報道され、話題に のぼった」こと、その「マチガイ」を 紹介し、つぎのように かいている。 これについて、首相は「マンガ ばかり よんで いるからだ。」などと 批判され、また、

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    sarutora 2009/12/13
  • 「セクシュアルマイノリティ傾向」ですって? - hituziのブログじゃがー

    1ヶ月まえのことですが、障害学会第6回大会(障害学会・2009)に いきました。いろいろと かんがえることはあったのですが、ひとつ「ええー」と感じたことについて。 杉崎 敬「知的障害当事者の<生き様>から見える多様なセクシュアリティの形――知的障害と共に生きる<彼ら/彼女らなり>の<リアリティ>とは何か」 うえの報告原稿にも でてきますが、「セクシュアルマイノリティ傾向」という表現に とまどいました。おかしな表現だと感じました。引用します。 2.“男が好き、男性と女性をはき違えている”(Bさん:男性・60歳) セクシュアルマイノリティ傾向があるBさん。同じGH内に好意を抱くUさん(30代男性)と担当職員Iさん(30代男性)がいる。Bさんの自室には、Uさんの写真が数多く貼られており、その思いの強さがうかがえる。15歳から施設へ入所、その後35年間施設で育った。32歳の時に、友達(男性)との性

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    sarutora 2009/10/24
  • わたしたちは、わたしも あなたもフェミニズムの当事者だ。 - hituziのブログじゃがー

    ちょっと なつかしい。 わたしたちは、わたしも あなたもベジタリアンだ - hituziのブログ 無料体験コース 反ベジタリアニズムの思想の もちぬしが、ベジタリアンを限定形容詞にしてしまうのだ。なぜか。そうすることによって、ベジタリアニズムを他人ごとにしたいからです。にげたいからです。自分から、きりはなしたいからです。自分とは関係のないことにしたいからです。 きょうは、野菜をたべよう。そんなとき、あなたは すてきなベジタリアンです。 きのうは肉をたべました。それでも、あなたはベジタリアンです。 そういった ゆるい思想。ゆるい連帯。資格をとわない社会運動が必要なのです。 きょうは、「フェミニズムは、みんなのものだ」というはなしです。 ええと、いつもながら あたりまえのことを かきます。 性差別に反対するということは、なにもフェミニズムなどと なづけるまでもなく、当然のことだ。女性だからとい

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    sarutora 2009/10/02
    >社会問題を 他人ごとにしようとする ひとが、そのための戦略として、安心するための手段として、「イロモノとしてのサヨク」というカテゴリーを でっちあげるならば、「イロモノは おまえだよ」と きりかえしたい
  • 集団に あまえて 罪悪感を ごまかすな。 - hituziのブログじゃがー

    集団は、こわい。 わたしも、あなたも なんらかの集団に属している。ある視点に たてば、こんな集団に。自分で はいった このグループに。あるいは、なになにという属性に属すという意味で。 人間は、ひとりなようでいて、そうでもない。集団で 活動している。集団に ささえられている。集団に同化している。そして同時に、ある集団から距離をとっている。ひとりであろうとすることもある。 めに みえるかたちで、集団で うごいているとき、自分の意思や行動というものは、その集団に同意し、同化しているかぎりは、めだたないものです。自分の やることなすことは、ちいさなものに感じられます。 集団との葛藤(かっとう)が すくなければ、感覚も よわくなります。さまざまな感覚が。 「赤信号、みんなで わたれば、こわくない。」 集団にも、いろいろあります。なにかに ささえられている集団。数のうえで圧倒的な集団。権力が支配的な集

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    sarutora 2009/09/30
  • ドキュメンタリー『精神』 - hituziのブログじゃがー

    観察映画の周辺 Blog by Kazuhiro Soda: 岡山など、大盛況! 7月18日と19日は、映画の上映あとに監督や出演者が おはなしされるということで、19日に『精神』というドキュメンタリー映画を シネマクレールで みてきました。 『精神』は、精神障害者の日常を「こらーる岡山」という「診療所であり、居場所であり、作業所である」空間を 舞台に「観察」した映画です。監督は、想田和弘(そうだ・かずひろ)さんで、デビュー作は『選挙』というドキュメンタリーです。ひじょうに たいせつな素材を 提供してくださるドキュメンタリー作家だと おもいます。 映画の舞台が岡山だっただけに、観客さんは ものすごく たくさんでした。18日も満員だったそう。 映画は、モザイクや音楽を つかわず、スジがきもない。淡々としていますが、おもしろ おかしく、あったかい。いろんなことを かんがえながら、うるうる ない

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    sarutora 2009/07/21