結局のところ何のために書くか、状況にコミットしようという姿勢を見せるかということじゃね。一方的に決めつけたり否定する、議論に勝ちに行こうとするんじゃ先がないけれど、対話の回路を開いているから次に繋がる訳で、それをネガエンとしか読めない可哀想な人は蚊帳の外だ。 ネガコメが問題なら、ネガエン(ネガティブ・エントリ)はどうだろう。権利者が悪いだの、どこそこの組織が悪いだの、法律が悪いだの、誰それという裁判官が悪いだの、JASRAC が悪いだの、老害は去れだの、山のようなネガティブ・エントリを毎日見かけるんだが、それは問題ではないのだろうか。 対話の余地をどう残していくか、対話の過程で不明瞭なところをどう炙り出していくか、譲り合えそうな落としどころはあるのか、一方で如何に世の矛盾を押し付けられている人々を代弁していくかという文脈を考えて書いている訳で、自分の方が詳しいと思い込んで、単に「俺はこう思