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ブックマーク / sessai.cocolog-nifty.com (10)

  • 政治的な立場と人格 - 雪斎の随想録

    ■ 人々が、どのような政治上の立場を取るかということは、その人物の人格の反映である。下のような図表がある。これは、『現代政治学入門』(永井陽之助・篠原一共編、有斐閣))という歴とした政治学教科書に書かれていることである。 「強靭なな心性」 | | | | | | 「急進」---------「保守」 | | | | | | 「柔和な心性」 横軸は、物事を観察する視座である。これは説明を要しまい。 縦軸は、物事に対する姿勢である。「強靭な心性」とは、その成長過程で、様々な欲求の統御の術を上手く体得することが出来なかった人々に多い、故に、外部に対する姿勢は、非妥協的、攻撃的なものになる。「反共の闘士」とか「革命の志士」とかという類の人物は、このタイプに属する。他人を表立って馬鹿にしたり、罵倒するような言辞を吐く人々も、そうすることで不満を解消しようという心理の下にある点では、同じようなタイプであ

    政治的な立場と人格 - 雪斎の随想録
  • 「いいひと」と「無茶苦茶なひと」 - 雪斎の随想録

    ■ 忌野清志郎さんの訃報に接する。 ただし、雪斎は、ロック系の音楽は余り聴かない。 昔、TOKIOが出ていた番組で、無名のストリート・ミュージシャンに変装して、オーディションを受けていたの見たことがある。当然、オーディションを通過するのだが、あとで正体がばれて大騒ぎと相成る。横綱が序の口の土俵に上るようなものだから…。 その後、「君が代」をロックで歌うということをやる人物だと知った。 「無茶苦茶なひと」だと思った。 昭和40年代に活躍した奇人に、交楽龍弾という人物がいた。モヒカン刈りの風貌で、サイケデリックの前衛画家として知られた。歌手やパフォーマーとしても名を馳せた。ある意味では、「無茶苦茶な」人物である。ただし、元々は、石見浜田松平家の当主で、世が世なら子爵の待遇を得ていた人物である。 ところで、この奇人である交楽龍弾との交友を喜んでいたのが、時の宰相、佐藤栄作であった。「俺にも、こう

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  • 陰謀論という「脳内麻薬」 - 雪斎の随想録

    ■ 「陰謀論」は、人間の「意図」と「結果」が必ず一致するという思考の産物である。 「陰謀論」は、人間の世界の複雑さを観察することに耐えられない人々こそが、走りやすい代物だといえよう。「複雑な」世界の様相を読む際に単純な「解」を見つけ出して、「俺だけが、『解』を知っている」と思うことは、人々に倒錯した優越感を与えるものである。「陰謀論」が後から後から出てくる背景には、そうした「脳内麻薬」の需要に「陰謀論」が応えているからであろう。 特に、古今東西、世の中に「苦境」の空気が流れれば、それを「誰か」のせいにしたくなる人々が出てくる。第一次世界大戦後のドイツでは、その「誰か」とはユダヤ人であり、その空気がナチスの擡頭をもたらした。ナチスの擡頭と第二次世界大戦は、古くからの反ユダヤ感情に「ユダヤの連中なら、やりかねん」」といった類の「陰謀論が招いた災厄であった。 「小沢スキャンダル」は、たんなる古色

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  • 「最高の人材」の行き先 - 雪斎の随想録

    ■ それぞれの国々において、「最高の資質」を備えた人材は、どこに行くのか。 『ベスト・アンド・ブライテスト』を読み返して、考えることがある。 こういう話がある。 米国では、ウォール・ストリートに行った。 英国では、パブリック・スクールに行った。 そして、日では、「霞ヶ関」に行った。 どういうことであろうか。 米国は、「ビジネス」を目指す。資主義の総山では、大体、「カネ」が神になる。 英国では、「聖職」を目指す。英国では、ケンブリッジやオックスフォード出身の初等・中等学校教師は珍しくはないそうである。「ロンドンなど碌なところではない」という感覚の反映である。 日は、「官僚」を目指す。俗に「蛍雪の功」という。「蛍雪の功」の成った若者は、どこに行ったのか。この若者は、朝廷の大官になったのである。別に、大商人や大芸術家になったわけでではない。中国、朝鮮、日の極東アジア三ヵ国は、その点では

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  • 政治家をどう育てるか。 - 雪斎の随想録

    ■ 中川昭一財務大臣が辞意を表明した。あの記者会見の時は、彼は、当に「酔っていた」のか。 「酔っていた」のであれば、論外である。 だが、連日の危機対応による疲労と風邪が重なり、これに薬の効果も後押しして、「ふらふら」の状態になっていたのであれば、雪斎は、かなり同情する。真相は、報道に伝えられる限りでは、判らない。 こういう辞め方をすれば、彼も、政治家としては、かなりの失点を刻んだことになろう。次に重職が回ってきたときには、間違いなく、この「辞め方」が突っ込まれる。下手をすれば、もう重職には、つけないかもしれない。 「代わりなど、幾らでもいる」などと考えてはいけない。 彼もまた、小泉純一郎政権の五年の歳月の中で、「鍛えられた」人物である。麻生太郎総理も、そうである。 だが、この僅かに二年の間に、そうした人材も、かなりの数が痛んだ状態になっている。 雪斎は、「政治の世界にいおいて、どのように

    政治家をどう育てるか。 - 雪斎の随想録
  • 「平和呆け」批判の中の「平和呆け」  - 雪斎の随想録

    ■ 一昨日、産経新聞「正論」欄に下掲の論稿を寄せた。 ○ 安全保障政策の不備こそ問え この論稿それ自体は、だいぶ以前に出来上がっていたけれども、スケジュールの都合で掲載が延び延びになっていた。自衛隊将官(陸海空三幕僚長の一)を務めた方に事前に読んでもらって、「違和感はない」という反応を得た。 予定通り、この論稿は、一般には「分裂した」評価を得ているようである。 「保守・右翼」層は、「●●(雪斎の名)は、田母神論稿を全然、肯定的に評価しない」と不満を漏らしているようであるし、「進歩・左派」層は、この論稿における「軍事予算は足りない」という主張を嫌がっているようである。 日国憲法前文に曰く、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」である。それならば、具体的に何をするのか。 紛争調停や平和維持にかか

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  • 『回顧録』より - 雪斎の随想録

    ■ 「これまで軟弱外交とか、親米とか、親英とかの言を用いて時の当局を攻撃し、事実を究めず、根拠薄弱な放言を以て群集を煽動した弊風は、当事者を鞭撻する上で何ら実質的な効果がなく、却って相手国の誤解を招いたに過ぎなかったのである」。 これは、誰の言葉であろうか。 麻生太郎総理の曽祖父、吉田茂の岳父、大久保利通の次男、即ち牧野伸顕の言葉である。牧野の口述したものを牧野の孫に当たる吉田健一が書き留めた『回顧録』に、この記述がある。 戦前、牧野は外務大臣を務めた後に宮中に入り、内大臣として昭和天皇に仕えた。牧野が内大臣だった時、侍従長だったのが、終戦時に宰相の座にあった鈴木貫太郎であり、侍従武官だったのがが、陸軍大臣であった阿南惟幾である。 牧野が内大臣を退任したとき、昭和天皇は、その退任を落涙しながら惜しんだという挿話がある。後に、牧野と鈴木は、二・二六事件の決起将校によって襲撃され、昭和天皇は、

    『回顧録』より - 雪斎の随想録
  • 過去に「潔癖性」を求める心理 - 雪斎の随想録

    ■ 西郷隆盛は、西欧列強の帝国主義の論理を「野蛮」と評した。だから、明治以来日の歩みは、その「野蛮」の沙汰に加わった歳月である。 歴史の「イフ」を考えてみる。 もし、清朝末期の中国や李朝末期の朝鮮が、その植民地獲得競争に乗り出せるだけの国力の裏づけを持っていたならば、彼らは、その競争の論理に加わったのであろうか。それとも、「われれは、東洋道義の国であるから、そのようなことはしない」と応じたのであろうか。 これを考えてみることは、大事なことである。 案外、チベットや竹島の扱いを見れば、中国も朝鮮も、殖民地獲得競争に加わった可能性が高い。少なくとも、雪斎は、「敢えてしなかった」根拠を探すことのほうが難しいだろうと思っている、 田母神空将の論稿に垣間見られるように、日の過去に「過誤はなかった」と弁じたがる神経は、どうも理解できない。19世紀国際政治の常識に則れば、それを可能とする「力の裏付け

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  • 日本の「盾」としての「村山談話」 - 雪斎の随想録

    ■ 金曜日に田母神前空将の論稿を題材にして産経新聞「正論」欄に原稿を載せた。中身は、ここで書いた二つのエントリーを元にしたものである。 予定通り、産経新聞が運営している「iza ブログ」界隈では、不評である。四月末には、「さじをなげたく」なったものであるけれども、今は、「そういうものであろう…」という諦念が先に立っている。 ただし、産経新聞というメディアにおける「多様性」を世に示そうとするならば、雪斎のように、「正論左派」でやっていくことの意味は、決して小さくない。「正論」欄という論説欄に書き始めたのは、もう10年も前である。過去十年の間に書いた原稿は、既に120は超えるであろう。10年前に「異例の若さ」で迎えてもらい、その後、今に至るまで最若手の一人である。「よくも続いているな…」と思う。 「正論左派」を標榜する雪斎が倣いたいと思っているのは、「正論」欄の第一号執筆者である猪木正道京都大

    日本の「盾」としての「村山談話」 - 雪斎の随想録
  • 田母神論稿の「正しさ」と「愚かさ」 - 雪斎の随想録

    ■ 田母神航空幕僚長更迭の件について記してみる。 雪斎も、件の論稿を読んでみた。 率直にいえば、雪斎は、この論稿には高い評価を与えられない。「不可」に限りなく近い「可」というところである。「不可」にしなかったのは、「自分と意見を異にする論稿は、否定的に評価する」真似は、したくないからである。少なくとも、懸賞論文で「最優秀」を取るようなものではあるまい。選考した人々の見識は、どうなっているのであろうか。 というのも、これは、雑誌『正論』辺りに載ったならば、航空幕僚長が書いたということを除けば、他の論稿に埋没するような「没個性的な」中身であるからである。とある漫画家の漫画に影響されて、保守論壇の作品に触れ始めた若者が、そういうものを必死になって真似して自前の論稿を書けば、こういうものができるという風情であろう。要するに、この論稿を航空幕僚長が書く「必然性」が、まったく判らないのである。 たとえ

    田母神論稿の「正しさ」と「愚かさ」 - 雪斎の随想録
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